第四話「動き出した陰謀」
1.狐狸妖怪の類
一九五五年も既に五月下旬。小町が育成館へ編入し、おおよそ一ヶ月が経とうとしていた。
季節は春から夏へと移り変わろうとしていて、日に日に暖かくなっていた。昨年の同じ時期は肌寒い日もあり、母の静香と共にバラック小屋で身を寄せ合うように過ごしたものだったが、五ツ木の屋敷へ来て以来、そういった悩みも殆どなくなっている。
五ツ木夫人と安琉斗には感謝しかない想いであった。
「小町~? 安琉斗くん待たせてるわよ~。早く出なさい~」
「分かってるよ。そう急かすなよかーちゃん!」
この一ヶ月程で、小町も静香もすっかり五ツ木の屋敷での生活に慣れていた。家事の殆どはばあやがやってくれていたが、身の回りの細々とした作業は、既に自分達でやるようになっている。
特に静香は、小町と違い完全な「居候」の身なので、昼間の間はばあやを手伝って屋敷の中のことをあれこれやっているようだった。服装も洋服から、ばあやのお下がりらしい紫と白を基調とした
――かと思えば、鮮やかな深紅のドレスを身に纏い、五ツ木夫人が招いた客人の前で自慢の歌声を披露することもある等、静香なりに屋敷での生活に順応しているらしかった。
母の歌声を聞いて育った小町としては、そちらの姿の方が好ましくも思えた。
「遅いぞ小町」
予定の時刻ギリギリに車のもとへ向かうと、安琉斗がいつもと変わらぬ仏頂面で立っていた。
その身を包むのは見慣れた白い学ラン――ではなく、白い半袖開襟のシャツになっている。育成館の夏服だった。
世間の学校は六月の一日に一斉に衣替えするらしいが、育成館は個人の裁量に任されている。かくいう小町も既に夏服に切り替えており、セーラー服は白を基調とした半袖のものになっていた。もちろん、濃紺のスラックスも夏用のものになっている。
「わりぃわりぃ! ちょっと寝ぐせ直しててさ」
「……少し髪が伸びたな。君が家に来て、もうそのくらい経つのか」
少しだけ伸びた小町の髪は、この頃は寝ぐせが酷くなり毎朝それを直すのに格闘するようになっていた。元々が癖毛なのかもしれない。
同級生の女子達が揃って髪を伸ばしているので小町もそれに倣っているのだが、思ったよりも手入れが面倒くさく、「そろそろ切ろうか」等とも思っていた。
だが――。
「なあアルト。お前は長いのと短いの、どっちがいいと思う?」
「髪の話か? そうだな……短い方が活発な君には似合っていると思うが、長い髪も似合うんじゃないか。何せ、素材が良いからな」
「――ッ!? お、お前なぁ! 真顔でそういうこと言う奴は、女たらしって言うんだぞ!」
「そうなのか? 思う所を言ったまでなんだが」
「も、もう! ほらさっさと育成館に行こうぜ!」
安琉斗は基本的にお世辞など言わない。つまり彼の誉め言葉は率直な感想ということになる。
それを真顔で口にするのだから、言われた方はたまったものではない。小町は真っ赤になった頬を隠しながら、安琉斗を押しのけるようにして車へと乗り込んだ。
***
「あ、小町さん。ごきげんよう!」
「安琉斗くんと小町さん、おはようございます。今朝もお元気ですね」
予定の時刻を大幅に遅れて育成館へ着くと、同じく遅刻寸前の生徒達がにこやかな笑顔と共に小町達に挨拶してきた。
有名人である安琉斗は元より、「変わり種」の転入生である小町も今やすっかり生徒達の顔なじみになっていた。特に、やんごとない家柄ではない、一般の家庭から育成館に入学した生徒達にとっては、小町のざっくばらんさは親しみやすいものだったらしい。
「おう! みんなごきげんようだ!」
「ごきげんよう、諸君」
それぞれの挨拶に、小町は元気よく、生徒であると同時に教官でもある安琉斗は少しの尊大さを込めて返す。ここ最近、すっかりおなじみになった育成館の朝の風景であった。
更に――。
「ごきげんよう安琉斗さま。小町さんもごきげんよう」
「安琉斗先輩! 小町さん! おはようございます!」
わざわざ昇降口前で、安琉斗と小町のことを待っていた彩乃と肇が加わり、一層華やかさを増す。生徒達の中には、彼らが揃った姿を見たいが為に、わざわざ校舎の外で時間を潰している者もいるくらいだ。
エキゾチックさと和の趣が習合したような美青年である安琉斗。理想的な深窓の令嬢である彩乃。育成館のマスコットキャラである肇。そして、庶民的で親しみやすくボーイッシュな美少女である小町。
四人揃った姿は、名人の手により活けられた花よりもなお華やかであった。
――しかし、万人に好かれる人間というものは存在しない。実際、この育成館にも彼ら四人を苦々しく見つめる人物がいた。
「あらぁ、二階堂さんに五ツ木くん。今朝もご一緒なのね? 仲のよろしいこと……」
安琉斗達が校舎へ入ろうとした、その時のことだった。背後から彼らを呼び止める者がいた。やけに甲高い、耳に障るような女の声であった。
「……おはようございます、九重先輩」
「ごきげんよう九重先輩。先輩こそ、本日もお元気なようで……」
安琉斗は無表情に、彩乃はたおやかな笑顔を浮かべながら振り返り、それぞれ挨拶を返す。が、二人ともに剣呑な気配を放っている。他でもない、声の主に対してあからさまな警戒心を放っていた。
――声の主の名は
「ええ、ええ。お陰様で元気いっぱいですわよ? ええと、そちらの……なんと仰いましたかしら? 可愛らしいお二方は。……ああ、そう! 月舘くんと柏崎さんでしたわね。あなた方も仲良しさんなのねぇ。うらやましい限りですわ。――中島、お前もそう思うでしょう?」
「はい、お嬢様」
肇と小町のことを「つまらないもの」でも見るかのような視線で見やってから、傍らに控える大男――中島に声をかける九重。その姿には尊大さが滲み出ていた。
(ま~たこいつらか)
そんな彼らの様子を見ながら、心の中で嘆息する小町。
実は、小町達が九重に絡まれるのは、今日が初めてではなかった。数日ほど前から、朝夕構わず嫌味ったらしい態度で声をかけてくるようになっていたのだ。
九重について小町が知っていることは少ない。育成館では彩乃に次いで優秀な姫巫女候補であり、元公爵家の出ということもあり家柄も確かだ。
スレンダーな長身とクルクルと軽くロールした豊かな黒髪を湛えた美人なのだが、どこか狐を思わせる容貌であり、小町は直感的に相容れないものを感じていた。
九重の付き人である中島は、原田に勝るとも劣らぬ巨漢だ。日本刀を携えているのは、彼が安琉斗と同じく正規のサムライであることを示すらしい。育成館の制服に身を包んではいるが、既に成人しているらしく、九重が自分のボディガードとして無理矢理に入学させたらしい。
常にサングラスをかけているので表情は分からない。髪型は何故か「坊ちゃん刈り」で、似合っていないことこの上ない。
頼まれてもお近づきになりたくない雰囲気の二人組であった。
「あら、もうこんな時間。それでは皆様、ごきげんよう~」
校舎に掲げられた大時計を見やってから、わざとらしく早足で去っていく九重。実際、小町達も急がなければ遅刻ギリギリであるが、そうなったのは九重に呼び止められたからだった。
あまりにもあからさまな嫌がらせであった。
(育ちのいい連中ばっかりかと思いきや、ああいうのもいるんだ……出来れば関わり合いになりたくねぇや)
彩乃達と共に、駆け足にならない程度に急ぎ教室に向かいながら、心の中で呟く。
しかし小町の想いとは裏腹に、彼女は九重という少女と深く関わっていくことになるのだが、今はまだそのことに気付いていなかった――。
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