7.地の底に眠るモノ

 小町が「補習」と称して連れてこられたのは、育成館の敷地内にある何かの倉庫のような建物だった。

 全体が丈夫そうなコンクリートで覆われていて、入り口と思しき所にも頑強な鉄扉が鎮座している。かなり厳重な雰囲気を感じる。しかも、扉自体に備え付けられた鍵と武骨な錠前、更には幾重にも巻きつけられた鎖によって封じられており、剣呑な空気が漂っている。

 だが、その一方で大きさはそれほどなく、小町が母と住んでいたバラック小屋に毛が生えた程度のものだった。おそらく中は四畳半程度の広さだろう。


「館長先生、ここは?」

「ここは数ある『修練場』の一つですよ」

「シューレンジョウ? 随分と小っちゃく見えるけど……」

「中を見れば分かりますよ」


 言いながら、原田はガチャガチャと錠前を外し始めた。

 その腰には、いつもは携えていない日本刀を帯びている。黒塗りの鞘に納められた長い刀で、小町の頭の中にある知識はそれを「太刀」であると教えていた。安琉斗がいつも持ち歩いている種類よりも、もっと長大なものだ。

 けれども、巨漢の原田にはそれが丁度良いサイズにも見える。


(――なんか。やだな、あの刀)


 小町は、原田の帯びたその太刀に正体不明の嫌悪感を抱いていた。

 最初は苦手とする原田が長物を持っているので恐怖を覚えているのかと思ったが、そうではない。小町自身にも理由の分からぬ畏れや嫌悪を、その太刀に感じていたのだ。先程からどうにも目が離せなかった。


「お、開きましたぞ」


 原田の言葉と共に、ジャラリと音を立てて鎖が落ちる。小町にはそれが、何か忌まわしいものが戒めから解き放たれた音であるように感じられ、背筋にぞわりと寒気が走った。

 そのまま、鉄扉が原田によってギィギィと音を立てながら開かれていく。そこから姿を現したのは、古めかしい石畳と――。


「……階段、か?」

「左様。この階段を下りた先が『修練場』という訳です」


 小町の目の前に姿を現したのは、石畳の中にぽっかりと口を開けた下り階段であった。かなり古い物らしく、すっかり苔むしている。

 建物の中に明かりの類は無いらしく、既に大きく傾いた日の光が僅かに差し込むのみ。そのせいで、階段の奥には真っ暗な闇ばかりが広がっており、目を凝らしても何も見えない。

 だが、驚いたことに原田は何の明かりも持たずに「さ、行きましょうか」等と呑気な事を言いながら、階段を下り始めてしまった。


「ちょっ、館長先生!? そんな真っ暗な中に明かりも持たずに入るのかよ!」

「なんのなんの。心配ご無用ですぞ小町嬢。中に入れば分かります。ささ、中へ中へ」


 そのまま原田がズンズンと階段を下りていくので、小町も仕方なくそれに続く。

 と――背後で「ギギギ」という重い音を立てながら、鉄扉がひとりでに閉まり始めた。小町が「ええっ!?」と声を上げた頃には、鉄扉は完全に締まり辺りを完全な暗闇が支配していた。


「おい館長先生! どうなってんだよ、これ!? 何も見えねーぞ! って言うか、誰が扉閉めやがった!」

「……落ち着きなさい小町嬢。貴女には既に『視えている』はずですぞ」

「みえてるって、こんな真っ暗じゃ――」


 「何も見えない」と言おうとした形のまま、小町の口が固まった。辺りは相変わらず真っ暗で何も見えない――にもかかわらず、小町には

 足元の石段、左右の石壁、天井、果ては先を行く原田の禿頭の位置まで、全てがはっきりと分かる。薄暗い中で目を凝らしていた時よりもクリアなくらいだった。


 そのまま、恐る恐る「次の段がある」と感じる場所に足を運ぶと、程なく足の裏に硬い石段の感触が伝わって来た。更に一歩、二歩と足を進めてみても、踏み外す気配は全くない。

 なんとも奇妙な感触だった。


「か、館長先生、これ気持ち悪いんだけど……。なんで見えてねぇのに、周りのことが分かるんだ?」

「だから落ち着きなさい、小町嬢。それは今、貴女が霊的な感覚で世界を捉えている証左ですぞ」

「レーテキなカンカク?」


 おうむ返しに答える小町に、原田が苦笑いする気配があった。


「左様。霊力は万物に宿ります。そして我らは霊力を感じ取り『視る』ことが出来る。ならば、視覚に頼らずとも周囲の状況を把握出来るのも、自明の理というものではありませんかな?」

「でもでも、オレ、普段は暗いところで周りのことなんて分からねーぞ」

「それは貴女が、暗い場所でも視覚に頼ろうとしているからでしょう。――霊脈を視ようとした時、貴女はどうしましたか?」

「あっ――」


 言われてみれば確かにそうであった。小町は霊脈の姿を視ようとした際、眼を閉じ物理的な視覚を断った上で、霊的な視覚を得ていた。

 つまり、それと似たようなことが今の小町に起こっているという訳だ。


「小町嬢、我らサムライは『銃で武装した複数人と戦っても圧倒出来る』という話を聞いたことがありますかな?」

「ん? ああ、なんかそんな話を聞いたような……マジなのか?」

「マジもマジの大マジですぞ? ――ですが小町嬢。いくらサムライが超常の身体能力と感覚を持っているからと言って、拳銃の弾を避けられると思いますか?」

「それは」


 流石に無理だろう、と小町は思った。

 彼女が住んでいたバラック街でも、たまに発砲事件が起こっていた。小町自身もヤクザ者が銃を撃つ姿を見たことがあったが、避けるなんてとんでもない。拳銃の弾は音よりも速い。いくらサムライと言えども、そんなものを避けられるはずがない。

 「撃たれる前に相手を倒す」が最適解だろう。

 だが――。


「ええ、普通に考えれば無理でしょう。どんなに身体能力が高くとも、銃火器の弾を避けるなんて芸当は、人間の反射神経の限界を超えています。――けれども、それを可能にするのが霊力の加護なのです。一人前のサムライならば、間近で向けられた銃から発射された弾丸を避けることさえ可能です」

「……マジか」

「マジもマジの大マジですぞ?」


 いつしか階段は終わり、細く長い通路が先へ先へと延びていた。小町と原田は、カツンカツンと小気味よい音を返す石畳を更に進んだ。


「サムライの身体能力の向上は、肉体的な強化を意味しません。我らは霊力と溶け合い、物理を超えた力を得ているのです。――そして霊力は万物に宿ります。当然、銃にも、その担い手にも。我らは相手の肉体を、意思を、その動きを、彼らよりも早く正確に感じ取っている。故に『後の先』を『先の先』に変えることも難しくはないのです」

「え、えーと?」


 原田の言葉が熱を帯びてくる一方で、小町は理解力の限界を迎えていた。言葉は一字一句違えずに頭の中に入っているのだが、その意味を理解出来ていなかった。


「――っと、失礼。簡単に言えば、我らサムライは物理を超えた速さと力を持っているし、相手の行動を先んじて予測する能力をも備えている、ということですぞ」

「な、なんだよ! そうならそうと先にそう言ってくれよ! なんか難しいことばっかり言うから……」


 「これでもかみ砕いたつもりだったのですが」と原田が苦笑いした、その時。二人の足元に伝わる感触が変わった。

 石畳の固い感触ではない、柔らかな土の感触が伝わって来た。


「着きましたぞ、小町嬢」

「着いたって、館長先生……ここ」


 相変わらずの真っ暗闇であったが、霊的な感覚で世界を捉えることに慣れてきたことで、小町にはその場所の様子がはっきりと分かった。

 広い空間だ。足元は土、周囲の壁は硬い岩石のようで天井も高い。壁や天井の表面はでこぼこした部分と滑らかな部分とがあり、どうやら天然の洞穴に人の手を加えたものらしい。

 見事に何もない。――何もないが、


 「それ」は、一見すると揺らめく炎のようであった。だが、この真っ暗闇のこと、間違いなく炎ではない。熱も感じない。不定形の何かが、空間の中央に漂っているのだ。

 しかも「それ」からは、非常に剣呑な雰囲気が漂っている。まるで人間の持つ悪意全てを向けられたような、そんな不快感が小町の背筋をチリチリと焼いていた。


「館長先生、あれは……?」

「小町嬢が感じている通りのものですよ。――あれは、非業の死を遂げた人間達の負の感情、その吹き溜まりに生まれたものです。放っておけばいずれ荒魂の核となるであろう、マイナスの霊力の塊なのです。それを、ここに封じてあります」


 言いながら、一歩踏み出しおもむろに太刀を抜く原田。

 その刀身が顕わになるにつれ、小町の霊的な視覚に眩いばかりの光が飛び込んでくる。刀身から凄まじい霊力が迸っているのだ。


「この霊力の塊は、普段は皇居全体に張り巡らされた結界術式によって封じられています。――けれども、封じているだけでは負の霊力は消えてくれません。は祓われない限り、何百年にもわたってそこにあり続けてしまいます」

「はぁ? じゃ、じゃあどうするんだよ? ずっとここに封じておくのか?」

「ホッホッホッ! いやいや、まさかまさか。こいつはですね、コツコツと時間をかけてんですよ」


 原田がわざとらしい笑い声を上げながら、更に一歩踏み出し霊力の塊へと近付く。

 すると――。


「か、館長先生! なんかアレ、蠢いてないか?」


 小町の言葉通り、揺らめいていただけの霊力の塊が、明らかな動きを見せ始めた。

 ぼこぼこと触手のようなものが何本も突き出て、不気味な金平糖のような様相を見せている。


「ええ、私とこの太刀の霊力に反応したのでしょう。には、ある種の生存本能があります。危険を察知し、結界から逃れようとしている。けれどご安心を。『本体』が結界術式から逃れることは、絶対にありません。ただし――」


 霊力の塊から突き出した触手のような突起物は、遂に本体から分離し、一つの形を成し始めた。

 小町にはそれが鎧武者のシルエットに見えた。


「これこの通り。時折ですが、その一部が結界をすり抜け『独り立ち』してくるのですよ。集団行動が出来ぬヤンチャ坊主、という訳ですな! ハッハッハッ! ――ということで、小町嬢。ここからが『補習』の本題です。私と一緒にあのと戦っていただきますぞ?」

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