6.荒魂

 そもそも「霊力」とは、この世に存在するありとあらゆるものが持つ純粋なエネルギーである。

 生物ならばその生命活動や精神活動を支え、無機物ならばその「存在そのもの」を支えるという、宿るものによって性質が変わる万能の力こそが「霊力」だ。

 宿るものが大地や海――即ち惑星そのものであれば、その地殻運動や海流、気候さえも司る。


 通常、霊力は生物や惑星の中を循環し安定している。しかし、風が強くも弱くも吹くように、波が時に荒々しく振る舞うように、大地が激しく揺れるように、その循環は一定ではない。強弱があり、時に停滞し一つ所に留まる事がある。

 例えば、火山の奥底で噴火を待つ溶岩であったり。

 例えば、限界まで水分を蓄えた山の土壌であったり。


 そういった場所や環境には霊力が停滞しやすく、またその性質も「破壊」へと大きく傾く。それは、惑星レベルではただの新陳代謝であるが、その上に住まう生物や形あるモノにとっては、大いなる脅威である。

 即ちそれは、惑星の上で生けるモノにとっての「天敵」。自然の恵みを「陽」とするならば、「陰」を司る霊力の塊。

 生けるモノが抱く本能的な畏怖と恐怖は、やがて「彼ら」に形を与えた。それが即ち「荒魂あらみたま」である――。



「――で、良かったっけ?」

「はい、良く出来ましたぞ! あ、


 放課後。合同授業が終わり殆どの生徒が帰った教室の中で、小町は両手に水の入った木製のバケツを持って立たされていた。

 小学校などでよく見受けられる効果不明な「体罰」であったが、この育成館では純粋な精神修養の一つとして行われていた。バケツに張られた水は少なく、重量もそれほどではなかったのだが、これを「揺らさずに」立っていなければならないので、中々に集中力を必要とするのだ。

 小町はその状態で、丸暗記した「荒魂」についての知識を暗唱させられていた。


「ふむふむ、確かに知識として記憶はしているようですが、それを理解はしていない、ということのようですな。もし今までに学んだことをきちんと理解していれば、未熟なまま霊脈へ触れよう等と思いませんしなぁ」

「うう……ごめんってば! もうやらねーよ!」

「あ、ほら。バケツの水が波打ってますぞ」

「あっ……くっそう」


 チャプチャプと音を立てるバケツを慌てて制止する。バケツの中の水を乱せば乱すだけ、この「体罰」は長くなるのだ。


「しっかしよう、火山の中に棲んでるのが巨大ナマズってのは、まるで昔話だな。ほれ、地震は地中に棲んでるでっかいナマズが起こすっていうじゃねぇか。まるで作り事めいてやがるぜ」

「ホッホッホ! 小町嬢、それは順序が逆かもしれませぬぞ? 過去に霊力を持つ何者かが火山や地殻に巨大ナマズの姿を視たからこそ、昔話の題材になったのかもしれませぬ」

「……そっか。そういう考え方もあるのか」


 「何故、巨大ナマズの姿なのか」は置いておくとしても、なるほど、先にナマズの姿があってそれが昔話で語られた、というのは中々に筋が通っている。

 原田の話では、巨大ナマズ以外にも「水害の具現である大蛇の荒魂」というものもいるらしい。蛇は、時に神の使いとされることもある生物だ。こちらも、人間がそう決めたのではなく、先に蛇という姿があったのかもしれない。

 言って見れば、人類にとって彼らはこの地球に住まう先輩なのかもしれないのだ。まさに神あるいはその使いと呼ぶにふさわしい存在だ。

 ――だが、そう考えるとある疑問が湧いてくる。


「そういや、あの大ナマズは言って見りゃ火山の神様なんだろ? 館長先生、前に『サムライの使命は姫巫女を護ることと荒魂を討つこと』みたいなこと言っていたけど、神様って倒していいのか? つーか、あんなのに勝てるのか?」


 当然の疑問だった。相手は自然現象の具現なのだ。地上で生きるモノにとっては恐ろしい災厄ではあるが、それを人間の尺度で「悪」と断じて良いのか、小町には量りかねた。

 それに、山のように巨大な荒魂を相手に、人間が太刀打ちできるとも思えない。いくらサムライが超常の戦闘能力を持つとしても、だ。

 しかし、原田の口からは意外な答えが返って来た。


「もちろん、神とも呼べる方々を人間がどうこう出来る訳はございませんよ? 精々が、大規模な儀式――これも姫巫女の役割の一つですが――で、災害の規模を気持ち抑えるですとか、時間を稼ぐですとか。そういったことがやっとです。神話の時代には神々とも戦った人々がいたようですが」

「んん? じゃあ、『荒魂を討つ』ってのはどういう意味なんだ?」

「それはですね小町嬢。。それ、貴女の頭の中に在る知識を参照して御覧なさい」


 原田に言われて頭の中を探ると――確かにあった。小町の頭の中に在る知識は、「荒魂」という存在について二種類の定義をしていた。


 荒魂には大きく分けて二種類ある。

 一つは大自然の起こす災害の具現。火山や地殻、海流や水流が蓄えた陰の気の塊。これらは神にも等しき存在であり、人間が御することは事実上不可能である。

 いま一つは、が生み出した怪異の総称。怒りや恨み、嘆きといった死者(時には生者)の妄念が形を成し、人々や生けるもの達に害をもたらす。時に大自然側の荒魂に憑りつき、災害を誘発することもある。


「……死んだ奴の恨みつらみが、荒魂を生み出す?」

「そうです。『彼ら』は自然が生み出した荒魂ほどの力は持ちませんが、人間や生き物、形あるものに害を及ぼします」

「妖怪変化ってことか?」

「それに近い存在と言えましょう。実際、姿形も昔話に伝わる妖怪によく似ていますよ。尤も、『彼ら』には意思と呼べるものが存在しません。死者が遺した負の感情に従い、ただ害を為す。それだけの存在です」


 いつしか、原田の顔からいつもの笑みが消えていた。その表情は沈痛に溢れ、瞳はどこか遠くを見つめているようだった。


「先の戦争のことは、小町嬢もご存じですね? 沢山の人が死にました。沢山の人が、同じ人間をその手にかけました。この東京をはじめとする、日本の主要都市が火の海と化しました。多くの人が爆弾で、大火で、あるいは機銃掃射で命を落としたのです。飢餓で亡くなった方も多かったことでしょう。……その結果、何が起こったと思いますか?」


 小町は静かに首を横に振った。手にしたバケツがチャプン、と場違いに間抜けな音を立てる。


「日本各地に荒魂が現れ、更なる被害を生んだのです。当時、殆どのサムライは軍部の強硬なやり口により戦地に取られていましたから、我々は姫巫女と未熟なサムライ、とうに引退した老人ばかりで荒魂を祓う必要がありました。米軍による爆撃が続く中でも、です。結果として、多くのサムライと姫巫女が命を落としました」

「あっ――」


 原田のその言葉に、いつぞや安琉斗から聞いた話が重なる。

 確か、一色家の奥方や娘達は「空襲で死んだ」のではなかっただろうか? 彼女らも姫巫女だったとしたら、それはつまりただ単に空襲の犠牲になっただけではなく――。


「今も日本各地では、戦争の犠牲となった人々の怨嗟の念が漂い澱みとなって、荒魂の『核』となっています。そして彼らは『成長』します。より大きな力を求めるかのように、お互いに交じり合い、一つになってより強力な荒魂と化すのです。そしてやがては、自然の生んだ荒魂までその身に取り込もうとします。こうなってしまえば、本物の『荒ぶる神』です。我々にも太刀打ち出来ない――そうならぬよう、霊脈を通じて日本各地を監視するのが即ち姫巫女であり、彼女達を守りつつその剣となって荒魂を討つのがサムライ、という訳です。理解出来ましたかな? 小町嬢」


 原田の問いに、今度は首を縦に振る小町。

 だが、彼女が手にするバケツは、いつまでもチャプリチャプリと気の抜けた音を出し続けていた。その手の震えが収まらぬ故に。

 原田は、その震えを憂いに満ちた眼で眺めた後、天を仰ぐような仕草をし、再び小町に顔を向けた時にはいつもの貼り付けたような笑顔を取り戻していた。

 そして――。


「さて、小町嬢。荒魂についての理解が進んだところで、一つ『補習』と参りましょうか」


 いつもの調子で、そんなことを言って来た。とても穏やかな、いつも通りの原田の声であった。

 けれども小町には、それがとても恐ろしい響きに聞こえた。何故だか分からないが、彼女の手の震えは増すばかりで、水音がいつまでも教室に響き渡っていた――。

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