5.「お嬢様」との遭遇
「当『育成館』では、未来の姫巫女・サムライを育てると共に、通常の学校教育も行っているのです」
――小町達は、原田によって「育成館」の建物の中を案内されながら説明を受けていた。
コンクリート建ての校舎の中は、外から見たよりも広く感じた。二十人少々が入れそうな小さな教室がいくつも連なっており、中にはずらりと木製の机と椅子が並べられている。
小町はいわゆる普通の「学校」に通ったことこそなかったが、何となくのイメージは持っていた。今のところ、そのイメージと大きくずれる部分は見受けられない。
「へぇ、姫巫女とサムライの育成機関だなんていうから、そこら中に幽霊やらお化けやらいるのかと思ったけど、案外普通なんだな」
「お望みでしたら、そういう施設もご案内出来ますぞ?」
「……いや。今はいい……です」
原田は満面の笑みを浮かべているが、恐らく「そういう施設」とやらは今の小町には刺激が強すぎる場所なのだろう。小町は珍しく丁重にそれを断った。
やはり小町は原田のことが苦手なようだ。
「館長先生。通常の学校教育もやっていると仰いましたけど、具体的には何年生から何年生までの教育を受けさせているのかしら? うちの小町は、その……読み書きとか簡単な計算は出来るけど、まともな学校には通わせたことはなくて」
「その点は心配ご無用ですぞ、お母上殿。育成館には、全国から才能を持った人材が集められています。年齢も性別も家柄もバラバラですから、生徒それぞれに合わせた柔軟なカリキュラムを準備いたしますぞ」
「……かりきゅらむ?」
聞きなれない言葉に、静香が首を傾げる。
こういった仕草は実に娘と瓜二つであった。
「カリキュラムとは、教育課程のことですよ。何をどの順番で教えるのか、という計画のようなものです」
「ああ、なるほど。ごめんなさいね? 横文字には弱くて……」
原田の説明に、思わず苦笑いを返す静香。
小町だけではなく、実のところ彼女自身もまともに学校へ通ってはいない。彼女にとっての「学」は、公爵家で働いていた頃に教え込まれたものが全てだ。
娘には上手く隠していたものの、こうやってバラック街の外の世界へと踏み出したことで、ボロが出つつあった。
「へへ、カーチャンでも知らないことはあるんだな。なあなあ、せっかくだからオレと一緒に学校通ったらどうだ?」
「はぁ? アンタ何言ってんの? こんなオバサンが子供達と一緒に学校通うとか、無いでしょ、無い」
――なので、小町の軽い冗談にも少しムキになってしまう静香であった。
***
「……そういえば、安琉斗が着てるのってこの学校の制服なのか?」
「ああ、そうだ。男子は皆、この制服に身を包み、気を引きしめている」
答えながら、白い学ランの襟を正す安琉斗。
戦前の軍服にも似たその姿からは、どこか勇ましさが滲み出ている。
「じゃあ、女子の制服ってのもあるのか? オレも着なきゃダメなのか?」
「当然、女子の制服もある。そうだな……ああ、ちょうどあちらから歩いてくる彼女が着ているのが、そうだ」
言いながら、廊下の向かう先へと視線を移す安琉斗。
つられてそちらを見やった小町は――思わず息を呑んだ。
「しゃなり、しゃなり」と音がしそうな所作で廊下の向こう側からやって来るのは、一人の少女だった。しかも、とびきりの美少女だ。
歳の頃は小町と同じくらいか。背丈は小町よりもやや高く、長く艶やかだが緩くふわっとしたボリュームのある黒髪を揺らしている。
肌の色は、髪とは正反対の美しい白。日焼けなどとは無縁ながらも、不健康さなど全く感じさせない。
その身を包むのは、大きな襟が特徴的な濃紺の制服――いわゆる「セーラー服」だ。歩くたびに、長めのプリーツスカートがひらひらと舞っている。ただそれだけで「雅さ」を感じさせた。
そして何より小町の目を引いたのは、彼女の肢体だ。体を緩く包むセーラー服の上からでも分かるほど、少女は起伏の激しい体つきをしていた。全体のシルエットは細いのに、出る所はきちんと出ている。小町とは正反対だ。
「あら? 館長先生と……安琉斗さまではございませんか。ごきげんよう」
「ごきげんよう、二階堂くん」
「やあ、二階堂の姫君。ごきげんよう」
春の陽射しのような微笑みと鈴の音のような声で、原田と安琉斗と挨拶を交わす少女。どうやら二階堂と言うらしい。
安琉斗が「姫君」と呼んでいるところを見るに、彼女も元華族か、それに近い家柄の出身のようだ。
「安琉斗さま……そちらのお二人は、お客様ですか? 初めてお目にかかる方ですが」
「ああ、編入予定者とその御母堂だ。歳は確か君と同じだから、一緒に学ぶ時が来るかもしれないな。――小町、静香さん。こちらは元子爵・二階堂家の御令嬢、
「ど、ども。ええと、柏崎小町です。よ、よろしく」
「小町の母の静香です。以後、お見知りおきを」
小町はぎこちなく、静香は無難に頭を下げる。なんともちぐはぐでみっともない挨拶だった。
けれども彩乃はそれを怪訝に思うでもなく、涼やかささえ感じる笑みで「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と返した。
完璧なお嬢様振りであった。
(や、やべぇ! 本物のオジョーサマだ! むっちゃキレーだ! なんかいい匂いがする!)
一方、小町は初めて目にした「正真正銘のお嬢様」を前に、すっかり興奮状態にあった。
小町の知る同年代の少女は、皆バラック街で逞しく生きる人々ばかりだった。彩乃のように「たおやか」という言葉を連想させる人種には初めて会ったのだ。小町が謎の興奮を覚えるのも、無理からぬことだったのかもしれない。
「では、あたくしは連れを待たせておりますので、これで……。安琉斗さま、皆さま、ごきげんよう」
そのまま、楚々とした風情を漂わせながら、彩乃は廊下の反対側へと姿を消した。
後に残るは、涼やかな風のような雰囲気のみだ。
「は、はへぇ~……緊張した! あれが本物のオジョーサマか。本当にオレと同じ生き物なのか?」
「二階堂家はお公家さんの中でも、とびきり古い血筋の一つだからね。今の二階堂家は確か分家筋だったはずだけど、それでも家の格は高いはず。文字通りのお姫様よ、あれ」
静香も惚れ惚れとした表情で彩乃を見送っている。それほどに見事な「お嬢様振り」だったのだ。
――しかし、同時に気になることもあった。
(あのお嬢様、やたらと安琉斗くんばかり見てたのよねぇ。小町は気付いてないみたいだけど……)
そんなことを考えながら、チラリと娘の姿を窺う。
素材だけなら彩乃にも負けていない、と思う。だが、静香は小町に「逞しく生きる」術は教えてきたが、「女らしさ」はあまり教えてこなかった。バラック街で暮らしていくには、「女らしさ」は武器よりも弱みになりかねないと考えたのだ。
果たして、それが小町にとって良かったのかどうか。静香は心の中で静かに、自らの親としての至らなさを不甲斐なく思った。
が――。
「ふえ~、カーチャンもキレーだとは思うけど、あの子にはとても敵わねぇな!」
当の小町は、母の憂いなどまるで察せず、まだ彩乃の余韻に浸るばかりか、遠回しに母親を腐していた。
なので、静香もすぐに気持ちを切り替え、ついつい娘をからかってしまう。
「そうねぇ。スカートひらひら~ってしてて、可愛かったわねぇ。同情するわよ、小町。これから、あんな上物と同じ制服着て同じ場所に立つ機会が増えるんだから、何かと比べられるわよぉ?」
「げげっ!? そういえばそうだった! なぁなぁ館長先生! オレもあの制服着なきゃいけないのか? オレ、スカートって穿いたことないし、出来ればこれからも穿きたくないんだけど……」
(あ、そっちを心配するのね)
彩乃と比較されることではなく、スカートを穿かなければならいことばかりを危惧する娘の姿に、静香は自分の育て方もまんざら間違ってはいなかったのだと思った。
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