4.「育成館」

 日は既に大きく傾き、空が橙色に染まり始めていた。

 この空の下のどこかに、昨日まで自分が住んでいたバラック街があるのだと考えると、小町は心底不思議な心持ちになった。


「二人とも、帰る前に少し寄り道をしても良いか? 見せたい場所がある」


 「御所」を後にしてしばらく歩いたところで、安琉斗が不意にそんなことを言い出した。


「おっ? なんだなんだ。皇居の観光案内でもしてくれるのか?」

「……そんな訳がないだろう。これから小町が通うことになる『学校』を見せておこうと思ったんだ」

「学校……か。なあ? 本当に通わないと駄目なのか?」


 小町は、生まれてこの方「学校」などという存在とは無縁の暮らしをしてきた。

 読み書きや簡単な計算は、母やバラック街の世話焼きオバさん達に教えてもらっていたが、それは「生きる為に必要なこと」だったからであって、「勉強」という程のものではない。

 今更「学校」へ通えなどと言われても、戸惑いしかない。


「一色の家名と財産を継ぐ条件として、必須だと考えてくれ。交換条件、と言ってもいい」

「だよなぁ……」


 今更「嫌だ」と言えないことは、小町にも理解出来る。小町は先程、その最後の機会を自ら捨てているのだ。

 だが――。


「でもよう。学校はともかく……あ、後継ぎを産め、とかピンとこねぇし。はぁ……」

「そちらに関しては、先ほど陛下も仰せになっていたが、追い追い考えればいいさ。そもそも、一人でどうにか出来ることでもない」

「っ!?」


 安琉斗の言葉に、思わず小町が赤面する。

 そうなのだ。「後継ぎを産む」ということは、夫を迎えなければならないということと同義だ。

 つまり、結婚相手を探さなければならないし、その相手と――。


「どうした小町? 顔が赤いぞ」

「なななななんでもねぇよ!」


 あまりにも朴念仁な安琉斗の発言に、赤面したまま怒鳴り散らす小町。

 安琉斗は基本的に紳士だが、どうにも女心に疎い所もあるようだ。知り合ってまだ一日しか経っていないが、乙女心に欠ける小町でも、そのくらいのことは察せられた。


「まぁまぁ、いざとなったら安琉斗くんが小町を貰ってくれればいいじゃない。で、子供も沢山たぁ~くさん産めば、一色家の跡取りも五ツ木家の跡取りも心配なくなるわよ!」

『はぁ?』


 突然飛び出した静香の爆弾発言に、小町と安琉斗の声が見事にハモる。


「ほら~、息もぴったし!」

「いやいやいや、カーチャン! オレみたいな男女、アルトも迷惑だろ!」

「静香さん、娘さんの将来なのだからもっと真剣に考えてあげてくれ」


 そこでお互いに「こんなやつ願い下げだ」という話にならないのが、静香としては実に「脈あり」な印象なのだが――流石にこれ以上、若い二人をからかうのは止めておいた。


   ***


 「御所」を出てから十数分ほど歩いただろうか。小町がぼちぼちと歩き疲れたその時、ようやく目的の建物が見えてきた。


「二人とも、あれが学校――『育成館』だ」


 見えてきたのは、コンクリート製の武骨な建物だった。三階建てで、飾り気や看板の類が一切ない。

 質実剛健を絵に描いたようなビルディングだ。広さは「学校」というには、やや狭いようにも見える。


「なんでぇ、随分と武骨な建物だな」

「戦前には、陛下の親衛隊の育成機関として使われていた建物だ。軍隊同然の場所だったからな、飾り気の類は必要なかったらしい」

「ふ~ん」


 小町も一般的な「学校」に詳しい訳ではないが、それにしても「育成館」はあまりにも質素に見えた。

 校舎の前にはそこそこの広さの運動場が広がっているが、今は人の姿はない。また、校舎以外にも木造の建物がいくつか併設されているようだった。


「なんか、あんまり『学校』って感じがしないなぁ」

「まあ、そうだろうな。育成館の実態は、姫巫女とサムライの養成機関だ。尋常の学校という訳ではない」

「姫巫女と……サムライの養成? なあアルト、姫巫女ってのはさっき聞いたから何となく分かるんだけど、サムライってのは結局何なんだ?」


 今更な小町の問いに、「だからさっき説明しようとしただろう」という言葉を飲み込みつつ、安琉斗が口を開きかけた、その時――。


「サムライとは、盾となって姫巫女を守り、時に剣となって荒魂あらみたまを討つ者の総称ですよ」


 不意に、小町達のすぐ背後から野太い男の声がした。

 突然の声に驚きつつ小町が振り向くと、そこには「巨漢」という言葉が世界一似合うのではないか、といった風体の男が立っていた。


 まず、大きい。身長はおそらく一九〇センチメートル以上はあるだろうか。見上げる程の大男である。

 肩幅は広く筋骨隆々。薄茶色のスーツに身を包んでいるが、筋肉の厚みを隠しきれておらず、布地はパンパンに張っている。

 頭は見事な禿頭。傾きかけた陽射しを受けて、鈍く輝いている。そしてその禿頭の下には、六十絡みと思しき柔和そうな紳士の顔が貼りついていて、なんともアンバランスな印象を受ける。


「……えと、誰?」


 絞り出すように、小町が問いかける。

 その圧倒的な存在感と、そんな大男の接近に気付かなかった事とで、小町の思考は完全に停止してしまった。


「おっと、これは驚かせてしまいましたかな? 大変失礼しました。私は、当『育成館』の館長を務めております、原田と申します。以後お見知りおきを、凛々しいお嬢さん」


 大男――原田はそう名乗ると、朗らかそうな笑みを浮かべて見せた。

 小町にはそれが、獰猛なヒグマが気まぐれに見せた笑顔にしか思えなかった。


(怖い)


 小町は原田に対して、底知れぬ恐怖を感じていた。

 先ほど霊皇と謁見する直前に感じた悪寒程ではないが、何か剣呑な、刃の先を突き付けられているような危機感がある。

 ――と。


「館長先生! 相手は右も左も分からぬ素人なんです、ような真似は平にご容赦願います!」


 安琉斗が珍しく感情を顕わにしながら、小町と原田の間に割って入る。

 何やら、酷く怒っている様子だった。


「ほっほっほっ! いやあ、これは失礼失礼。才能のありそうな若人を見付けますとな、ついついちょっかいを出したくなってしまうのですよ。老人の悪い癖ですなぁ」


 言いながら、朗らかに笑う原田。

 だがその笑い声からして、腹に響くほどの「圧」を持っている。いちいち所作が大きい男であった。


「小町、静香さん。こちらは育成館の館長である原田先生だ。……見ての通り、少し困った方でもある。だが、悪い人ではない。そう警戒しなくても大丈夫だ」

「……っ、喋るヒグマかと思ったぞ、クソ」


 その安琉斗の言葉で呪縛が解けたかのように、小町が感じていた恐怖が急激に薄らいでいった。

 いつも通りの悪態を吐くが、その体は安琉斗の陰に隠れたままだ。よほど怖かったらしい。


「はっはっはっ! ヒグマとはまた! 大入道となら呼ばれた事はありますがな! ――っと。まあ、雑談はこの辺りにして……。既に陛下よりお話は伺っております。僭越ながら本日はこの原田めが、育成館とサムライについて、小町嬢にお教えいたしましょう」


 恭しく頭を下げる原田の姿に、小町は嫌そうな顔を隠せずにいた――。



※作者より

次回は一挙二話更新いたします。

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