6.女傑と噂の(元)伯爵夫人
小町達の入浴と着替えも無事終わり、ばあやを除く一同は五ツ木邸の居間へと集まっていた。
大きな明かり取りの窓、豪華な調度品、硬すぎず柔らかすぎずの絶妙な弾力のソファ。どれもこれも小町が初めて目にし体感する品々ばかりで、なんだかソワソワとした気持ちになってしまっていた。
だが、何より小町をソワソワさせたのは――。
「へぇ」
「な、なんだよ?」
「いや、中々見事に化けたな、と思ってね。――よく似合っている」
「ほ、褒めても何も出ないぞ! ったく、気持ち悪りぃなぁ」
きっちりと身を清め清潔な服に着替えた小町に、安琉斗は素直な感嘆の言葉を漏らしていた。が、当の小町は安琉斗の誉め言葉を正面から受け取れず、正体不明のもやもやを胸の内に抱えていたのだ。
もちろん、安琉斗の言葉にお世辞の色はない。
ボサボサだった小町の短い髪は、静香の手による丹念な洗髪とブラッシングにより、見違える程に艶やかになっている。薄汚れていた顔もすっきりしたもので、日焼けこそしているが、元々の端正な顔立ちがよく見て取れた。
ばあやの見立てによるパンツ・ルックな服装も、元々活発な印象のある小町に良く似合っていた。
他方、母親の静香はと言えば、彼女の派手な性格とは裏腹に、レースを軽くあしらったブラウスと濃紺のスカートという、地味な出で立ちだ。
安琉斗はそれを意外に思ったが……もしかすると、娘の姿をより引き立てようという、彼女なりの親心が働いたのかもしれない、とも感じた。
「でさ、安琉斗。オレ達はこれからどうすればいいんだ? へーかにエッケン? ってのは、いつ頃になりそうなんだ?」
「先程、侍従長に連絡を取ったんだが、幸いにも明日の昼過ぎには陛下にお目通りが叶うらしい」
「へぇ、案外早いんだな。オレはもっとこう、何日も待たされるのかと思ってた」
霊皇は、戦前はこの国の君主だった存在だ。小町もよくは知らぬが、敗戦により政治的権限の殆どを失ったものの、未だにその存在は日本において無視できないものらしい。
そんな人物と会うのだから、もっと待たされるのかと思っていたのだが――。
「驚くことではない。陛下は全てお見通しというだけのことだろう」
「はぁ? お見通しって、何がだ?」
「……追い追い分かる」
それだけ答えると、安琉斗は押し黙ってしまった。
流石に小町も「それじゃ分かんねぇよ」等と、文句を言おうと思ったのだが――その時、居間の扉をノックする音が響いた。
「――失礼いたします。ただ今、奥様がお戻りになられました。すぐにこちらへ向かう、とのことでございます」
ノックの主は、ばあやだった。どうやら安琉斗の母親が帰ってきたらしく、それを伝えに来たようだ。
「分かった。――ということで、二人とも。母が帰ってきたようだ。一応、今この五ツ木家の主は母になっている。君達も身の振り方が決まるまで、うちの屋敷に逗留することになるだろうから――」
「みなまで言わなくっても分かってるわよぉ、安琉斗くん。ちゃんと失礼のないようにするから。小町、アンタもよ?」
「ほ~い」
静香の言葉に生返事を返した小町だったが、その実、内心では少しだけ緊張していた。
先程聞いた話によれば、安琉斗の母親は、没落しかけた五ツ木家を女だてらに立て直した女傑なのだという。小町は「きっとおっかない女に違いない」と、まだ会ってもいない五ツ木夫人に、失礼なイメージを抱いていたのだ。
だが――。
「安琉斗さん、母が帰ってまいりましたよ! ……ああ、貴女が柏崎静香さんね? 随分と昔に一度会ったことがありましたね。そしてこちらが小町さん? あらあら、とっても可愛らしいお嬢さん! 初めまして、私が安琉斗の母で、五ツ木の家を今現在預かっている、五ツ木
姿を現したのは、安琉斗と似たような髪と瞳の色を持った、四十絡みの小柄で柔和そうなご婦人だった。
そのご婦人が、愛想よい笑顔を浮かべながら静香と小町の手を取り、上品な早口を浴びせてくるのだ。「女傑」どころか「ご近所の気の良い奥様」といった感じだった。
「まあ~、五ツ木の奥様! 十五年は前のことですのに、覚えていて下さったんですか~? 感激です!」
そんな聖来の雰囲気にあてられたのか、静香が今まで小町が聞いたことのないような、上品を装った口調で話し始めた。
母の豹変ぶりに気味の悪さを覚えた小町だったが――
「ほら、小町! あなたもちゃんと挨拶なさい」
静香に催促されて、おどおどしながら聖来に頭を下げた。
「あの……小町、です。初めまして」
「あらあらあら! 小町さんは中々奥ゆかしいお嬢さんなのね! 静香さんの若い頃によく似てらっしゃるわぁ。どうぞ、この家を自分の家だと思って、くつろいで下さいね?」
何やらあらぬ誤解を受けてしまったが、それを訂正することも出来ず、小町は愛想笑いを浮かべるだけの存在となっていた。
そんな小町の姿を、安琉斗が口元に微かな笑みを浮かべながら見守っていた――。
***
「ふい~、なんか盛大に疲れた」
「お疲れ様小町。そりゃあ、一日に色んなことがあったのだもの。疲れもするわよ。今夜はゆっくり休みなさい」
――夜。
小町と静香の母娘は、あてがわれた客室の一つで床に就こうとしていた。
聖来は一人一室ずつをあてがってくれようとしたのだが、静香が二人一緒で良いと申し出、ベッドが二つある客間を準備してもらったのだ。
それは言うまでもなく、慣れない環境に適応出来ずに「借りてきた猫」のようになってしまっている小町の緊張を、少しでも解きほぐそうという母親としての思いやりからだった。
今日は本当に色々なことがあったのだ。
屑鉄を巡ってチンピラ男と諍いになり、襲われかけた。
そこを安琉斗に助けてもらった。
自分が元公爵家の落とし胤であることを知った。
元公爵家を継ぐ為に、霊皇に謁見することになった――。
今日一日で、小町の人生は文字通り大きな変化を迎えていた。
「不安?」
「そりゃあ、な。金に目がくらんでついつい引き受けちまったけど、オレがお貴族様……っと、元お貴族様の跡取りなんて、なれんのかなぁ?」
安琉斗の話では、小町は学校に通う必要もあるらしい。読み書きこそ静香に教えてもらっているが、勉強なんてものは生まれてこの方した覚えがない。小町の中にあるのは、バラック街で生き抜く為の知恵だけだ。
それに何より、霊皇への謁見も小町の心に重くのしかかっていた。
小町がほんの小さい頃のこと。
普段は気さくな隣近所の人々が、兵士達を戦場に送り出す時に見せた「霊皇陛下万歳!」という狂気じみた叫びを上げる光景が、小町の中で悪夢のような原風景になっている。
戦後の焼け野原の中で育った小町にとっては、「霊皇」という響きそれ自体が不吉に聞こえさえする。
だが――。
「大丈夫よ。小町はアタシの娘なんだもん。きっと全部、上手くいくから……ゆっくりお休み」
隣のベッドから伸ばされた静香の手が、優しく優しく小町の頭をなでる。
「もう子供じゃないんだから止めろ」と一瞬思った小町だったが、静香の手のぬくもりは離れ難く、結局なでられるままに、小町はやがて眠りに落ちた。
「そうよ、今は眠りなさい小町。――あなたにはこれから、沢山の試練が待ち構えてるんだから」
愛おしそうに娘の頭をなでながら呟いた母の言葉を、小町が聞くことはなかった。
(第一話 了)
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