4.彼はサムライ
信じがたい光景が広がっていた。
一陣の風のように、荒くれ男達の群れへと迫った安琉斗。男達は一瞬だけ虚を衝かれたものの、すぐに落ち着きを取り戻し、手にした凶器を一斉に安琉斗へと振り下ろした。
――が、男達が強かに打ち付けたのは地面であった。男達が手にした木材も鉄パイプも、どれもが安琉斗に紙一重で届かず、地面を虚ろに叩いていた。
「な、なんだ~? 確かにぶっ叩いたと思ったんだが……」
小町に乱暴を働こうとしたあの男――一応はこの一派の
それは傍で見ていた小町も同じであった。男達の凶器は、過たず安琉斗へ振り下ろされたはずだったのに、その全てが外れている。
「どうした? 僕には涼風一つ届いていないぞ」
安琉斗が不敵な笑みを浮かべながら、男達を挑発する。
だが、安琉斗の得体の知れなさに尻込みしたのか、男達は皆、腰が引けてしまっていた。
「……情けない奴らだ。そちらが来ないというのなら、こちらから行くぞ!」
安琉斗が、再び一陣の風となる。
男達は安琉斗を迎え撃つべく、反射的に得物を構えたが――全てが遅すぎた。
安琉斗は一瞬にして最も近くにいた男の懐へ入ると、顎をかち上げるような掌底を見舞った。上顎と下顎がぶつかる「ガチンッ!」という凄まじい音が響き、男の体が宙に浮く。
そのまま勢いを殺さず体を半回転させ、後ろ回し蹴りで隣にいた男の腹を打ち抜く。男は血反吐とも吐瀉物とも分からぬものを口から撒き散らしながら悶絶した。
安琉斗はなおも駒のように回り、裏拳を他の男の顔面に食らわせる。鼻っ柱を砕かれた男は、噴水のような鼻血を吹き出しながら、もんどりうって倒れる。
――全ては一瞬の出来事であった。時間にして一秒にも満たなかっただろう。
その一瞬で、安琉斗は三人もの凶器を持った男達を、素手で打ち倒していた。
「……あと七人か。どうする、まだやるか?」
再び男達を挑発する安琉斗。だが、男達は目の前で繰り広げられた閃光のような暴力を前に、すっかり震えあがってしまっていた。
小町に好色そうな眼を向けていた太った男など、小便を漏らしている。
だが――。
「な、なめやがって……なめやがって! オメェらビビってんじゃねぇ! 一斉にかかれば奴もひとたまりもねぇ!」
頭の男は、先ほどその一斉の攻撃を見事に躱されたことも忘れて、威勢よく奇声を上げながら安琉斗へと突進していった。
それは明らかに蛮勇ではなく恐慌であった。他の男達もまるで集団ヒステリーでも起こしたかのように、安琉斗へと殺到していった――。
***
「……しまった、制服が汚れたな。またばあやに怒られる……」
僅か数十秒後、全ての荒くれ男達を叩きのめした安琉斗は、怪我一つ負わず、制服に着いたほんの少しのシミ――返り血を気にしていた。
「あ、アンタ一体何者なのさ!? 空手の達人か何か?」
一方、目の前で安琉斗の異常な強さを見せつけられた小町は、困惑半分、恐怖半分の複雑な感情に襲われていた。
安琉斗は自分達を守ってくれたわけだが……それ以上に、彼の強さは得体が知れなかったのだ。
「はぁ~。強いだろうとは思っていたけど、これは予想以上ね! 惚れちゃいそう!」
かたや静香は娘とは反対に、安琉斗の強さに目を輝かせていた。とても先程まで、娘と一緒に青ざめていたのと同一人物とは思えないほどの変わり身の早さだ。
「ふ~ん。刀を持ってた時点でそうだろうとは思ったけど。――安琉斗くんはサムライなんだね?」
「――ああ。まだ学生の身だが、既に陛下から刀を賜った正式なサムライだ」
「……サムライ? サムライって、あの昔いたっていう、ちょんまげの奴?」
何やら納得した風な静香とは逆に、小町が首を傾げる。
彼女も紙芝居の中くらいでしか見たことが無いが、「サムライ」というのはその昔の支配階級である「武士」の別名だったはずだ。だが、大昔にその地位を奪われいなくなっている、という話も知っていた。
安琉斗が「サムライ」だというのは、一体どういうことなのだろうか。
「……静香さん。本当に小町には、何も教えていないんだな。色々な意味で」
「あー、面目ない。読み書きだけは教えたんだけどねぇ。学校には通わせてなくって……」
「流石に一色家の跡取りが無学では困る。学校にも通えるよう、僕の方でも役所に掛け合っておこう」
「ええっ!? 学校~? やだよ、めんどくせー!」
「……必要なことだ、受け入れてくれ。さあ、いつまでもここにいても仕方ない。このヤクザ者共が目を覚まさない内に、移動するぞ」
なおもぶつくさと言う小町に渋い顔をしながら、安琉斗が歩き出す。
この野生児のような少女を、どうやったら一色家の跡取りとして周囲に認めてもらえるやらと、安琉斗は内心で溜息を吐くのであった――。
***
「おお、すげぇ! はえぇ! こいつが自動車か!」
「こら、あまりはしゃぐな小町。この先は結構揺れる、舌を噛むぞ」
バラック街を後にして数十分後、小町達は車上の人になっていた。
自動車自体は見たことがあったが、小町自身が乗るのはもちろん初めてである。はしゃぐのも無理はなかった。
黒光りする大型の輸入車の中は広く、後部座席に三人が乗っても余裕がある。――そのせいで、何故か安琉斗は柏崎母娘に挟まれており、やや不機嫌そうな表情だ。
運転しているのは初老の男性。五ツ木家のお抱え運転手らしい。
「で? これからどこに向かうんだ? へーかの所か?」
「……いきなり陛下に会える訳がないだろう。お忙しい方なんだ。それに、二人共その恰好のまま陛下に謁見するつもりか?」
言われて、自分達の服を見下ろす小町と静香。そこにあるのは、どこに出しても恥ずかしい程のボロである。
教養のない小町にも、流石にそれは駄目だと理解出来た。
「つってもさぁ、オレ、服なんて他に持ってないぜ? カーチャンは商売用の一張羅があるけどよぉ」
「いやいやいや、アタシの一張羅だって駄目よ? 米兵から買い叩いたスペインの踊り子の衣装だよ? とてもとても……」
「困ったなぁ」等と揃って呟きつつ、安琉斗に視線を投げかける母娘。明らかに安琉斗に「どうにかしろ」と言っている目だ。
流石は親子、と言わんばかりに息がぴったりだった。
「……安心してくれ。僕は君達を陛下に引き合わせるまでの、世話役も命じられている。これから僕の家――五ツ木の屋敷へ向かう。そこで身なりを整えてもらう予定だ。もちろん、服も可能な限り融通する」
「あ~ん! ありがとう安琉斗くん! お礼にチューしてあげようか?」
「遠慮しておく」
唇を「チュー」と突き出す静香に、安琉斗がすげなく答える。
最初は年長者ということで敬語を使っていたのもなくなり、今や扱いもぞんざいになっていた。
そんな安琉斗の態度を見て、果たしてどんな感情を抱いたのやら――静香が悪戯っぽい笑みを浮かべながら、とんでもないことを言い出した。
「ふむふむ。そうよね~、こんなオバさんじゃ安琉斗くんも嫌よねぇ? じゃあ、小町。アンタがしてあげなさい。チュー」
「は、はぁっ!? な、なんでオレが!?」
「……そちらも謹んで遠慮しておく」
慌てふためく小町とそれを面白がる静香。
母娘の仲睦まじい――しかしあまりにも姦しい姿を横目で見ながら、安琉斗は今日何度目かの溜息を吐いた。
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