3.仕返し
安琉斗の話を要約すると、概ね次のような内容であった。
大貴族である一色公爵家は、戦争で当主も後継ぎも死に、夫人や娘も空襲で亡くなってしまったのだという。
唯一残された係累は、当主の弟のみ。だが、これは生来の病弱であった。結局、嫁も取らず養子も迎えぬまま、その弟もつい先日死んでしまったらしい。
一色の家系はここに絶えてしまった――と思われたが、そこで霊皇がとんでもないことを言い始めた。
『死んだ一色の当主が、ワシにだけ打ち明けた秘密がある。実は、彼には隠し子がいるそうなんじゃ。戦前に屋敷で働いていた女中が当主の子を孕み、密かに女児を産んだのだとか。まだ生きているはずじゃぞ』
そして霊皇は、一色家の後継ぎとしてその女児を迎えるよう、若い側近である安琉斗に命じたのだという――。
「えと……つまりオレは、お貴族様の隠し子ってことか……? カーチャン、ホントかよ!?」
「あ~ま~、アタシも若気の至りというやつでね~。あはは」
「マジでか……」
今まで「父親は戦争で死んだ売れない歌手」と聞かされていた小町にとっては、まさに驚天動地の事実であった。
しかもどうやら、兄だか姉だかもいて……既に死んでしまっているらしい。衝撃的という言葉では足りないくらいに、小町の心は揺さぶられている。
「ど、どーして今まで言ってくれなかったんだよ!」
「ええ~? だって、公爵様の子供だってことを隠すことを条件に、奥様に援助してもらってたんだもん~。奥様は空襲の時に亡くなっちゃったらしいけど、一応は義理立てしないとねぇ? 寝覚めが悪いというか~」
「オレだけにこっそり教えりゃいいじゃないかよ~!」
母の答えに小町は納得がいかない様子だったが、静香はのらりくらりと適当なことを言って煙に巻く気で満々なようだ。
――だが、傍らで母子の問答を聞いていた安琉斗は、「それもやむなし」と感じていた。
安琉斗も一色公爵とは、子供の頃に数回会った程度の面識しかないが、彼の噂はよく知っていた。
曰く「軍人としては優秀だが、女癖が悪い。特に年端も行かぬ女子が大好物で、強引に迫ることが多々あった」と。その噂を信じるならば、静香がお手付きになった経緯は、決して穏やかではないだろう。
――むしろ、隠し子が小町一人で済んでいるのが不思議なくらいなのだ。
「とにかく、陛下は二人を連れてこい、と僕にお命じになった。出来れば一緒に来てもらいたい。もちろん、タダとは言わない。大半は米軍に没収されたが、一色家には僅かながら財産が残されている。詳しい額は僕も知らないが、小町が成人するまで暮らしていける位にはあるらしい。一色の家を継いでくれるのなら、それは二人のものだ」
『……マジで?』
安琉斗の言葉に、母娘の声が奇麗に重なる。
二人の生活は見るからに困窮しているようだから、無理からぬ反応だろう。
「よっし! それなら話は早いや! 早速連れてってくれよアルト!」
「……いいのか? 陛下にお目通りして、あれやこれやの手続きをして、しばらくは落ち着く間もないぞ。当分の間、ここへは戻ってこられないはずだ。貴重品とかあれこれ、持ち出さなきゃいけないものがあるんじゃないのか?」
「へへっ! ここの住人はな、持って逃げられる程度のものしか持ってねぇのさ! オレもカーチャンも、身一つでいつでも引っ越しだってできらぁ!」
言いながら、ポケットに突っ込んであった小さな袋を取り出す小町。チャリチャリと音がするところを見るに、どうやら小銭入れのようだ。
静香の方も「アタシは商売用の一張羅さえあれば問題ないよ」と、部屋の片隅にあるボロボロの旅行鞄を引っ張り出している。
「……そうか。数日後にまた来る予定だったが、善は急げだな。少し離れた所に車を待たせてある。早速だが、付いてきてくれるか?」
安琉斗の問いに、二人がほぼ同時に頷いて見せる。
その姿は母娘というよりも、姉妹と言った感じであった――。
***
「ヘッヘッヘッ、待ってたぜ~坊主~?」
――三人がバラック街を抜け、隣接する廃工場の敷地に踏み入った時だった。
廃屋や物陰から、十人ほどのガラの悪そうな男達が姿を現した。その中の一人は、安琉斗が追い払ったあの男だ。
「なんだ、さっきの下衆野郎じゃないか。何の用だ? 僕らは急いでいるんだが」
「この……すかしやがって! 見りゃ分かんだろう? さっきの仕返しだよ!」
「仕返し……? お前がただ尻尾を巻いて逃げ出しただけじゃないか。僕はお前に触れてすらいないぞ」
男達は手に手に角材や鉄パイプなどの凶器を携えていた。いずれも長さのある得物だ。日本刀への対策だろう。
――にもかかわらず、安琉斗に慌てた様子はない。あまりに多勢に無勢なはずであるのに、余裕さえ感じられる。
「ちょ、ちょいとアンタ達!
だが、安琉斗と違い、静香と小町の顔は青ざめていた。むくつけき男達に囲まれているのだ。女として、身の危険を感じてやまないのは当たり前のことだった。
「ああ~ん? ここはもう外だぜ、歌姫さんよぉ。それによぉ、ようは親分さんの耳に入らなきゃいいんだよ。――分かるだろ?」
下卑た表情むき出しの男の言葉に、静香の顔が凍り付く。
このバラック街は、とある親分――ヤクザの庇護下にある。住民達は稼ぎに応じたみかじめ料を支払い、組の決めた御法度を破らない限り、むしろ守られる立場にある。静香のように見眼麗しい女性が平穏無事に暮らせているのも、組が目を光らせているからだった。
だが中には、こっそりと隠れて御法度を破っている荒くれ者もいる。どうやらこの男達はその一派らしい。
「ア、アニキィ! お、オデ、あのちっこい娘っこがイイ! いいだろ? いいだろ?」
「おうよ、小娘はくれてやるさ。オラ達は姐さんの方で楽しませてもらうからよ……。ドヤ街の歌姫さんをヤレるなんて、夢みてぇだぜ」
――安琉斗は知らぬことであるが、静香は街角で歌を披露することで生計を立てており、そこそこ人気のある歌い手であった。
見眼麗しさも手伝って、言い寄る男は星の数ほどいるが、今まで男になびいたことがなく「浮沈艦」とも呼ばれていた。
その高嶺の花を弄べるとあって、男達は飢えた犬のようにだらだらと涎を垂らしている。
だが――。
「ふむ。獣同然とは言え、流石に斬り捨てては後々面倒なことになる、か。……仕方あるまい。小町、これを預かっておいてくれ」
驚いたことに、安琉斗はごくごく自然な動作で、日本刀を小町に手渡してしまった。あまりにも自然だったので、小町が思わずそのまま受け取ってしまったほどだ。
「――って、アルト!? この人数相手に、丸腰でどうしようってんだよぉ!」
「いや、丸腰くらいで丁度良いんだ。下手に刀を抜いたら手加減できないから、な!」
言いながら、安琉斗が男達に向かって突っ込んでいく。
その姿はまるで一陣の風のようで――次の瞬間、小町は信じられない光景を見た。
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