第46話『奴隷落ち』





 目を覚ました時、僕もいよいよ天に召されたのかと思った。


 だって、首だけを動かして周りを見回せば、どこもかしこも輝くような白を基調とした神殿のような部屋に居て、自分が横たわる巨大な天幕付きの寝台と、極めつけには天女のような純白の美女が隣で眠っていて……こんな状況では、勘違いも仕方のないことだと思う。


 しかし、そんな状況でも、僕が瞬時に現実に気が付くことができたのは、その隣で眠る美女が、自分の良く知る幼馴染であったから――。


「せ、セリーナ……っ」


 およそ三年振りにもなる彼女は見目麗しく成長し、昔と変わらぬ透き通るような白肌と、輝くような白金の長髪も健在だった。


 それに、成長したのは容姿だけではなく、年々凄みを増す彼女の活躍振りは、会いえない間も王都の新聞や噂話などで幾度となく目や耳にして来た。


 そんな彼女の成長と活躍を眩しく、羨ましく、嬉しく思う反面、自分とは離れて行く立場に、もう会ってはいけないのだと自分に言い聞かせて諦めていた。


 しかし、そのセリーナが、今こうして目の前にいるのだ。


 疑問よりも感動の方が大きくて、僕は夢遊病者のようにふらふらと手を伸ばす。


「幻覚じゃなかったんだ……」


 気を失う直前に、なんとも懐かしい美声と香りと温かさを感じたと思ったけれど、あれは現実のものであったらしい。


 僕は存在を確かめるようにセリーナの頭やら手やらに触れてみる。


 柔らかい感触、温かい体温、甘い香り――って、これ以上は変態っぽいし、起こしちゃ悪いからやめておこう。


 女性の寝込みを襲うような不埒な行為に、罪悪感と羞恥の念も込み上げて、僕は俯きながら手を引っ込める。


 すると――。


「あら、もうやめちゃうの……?」


 こちらを見上げる澄んだ碧眼と、目が合った。


「わあっ!いやっ、これはっ――いだぃっ!?」


 久しぶりの対面なのに、みっともなく狼狽えてしまった上、身を引こうとした瞬間、左右の膝に激痛が走った。


 セリーナは落ち着いた様子で身を起こし、僕の身体を支えてくれた。


「無理して動いてはダメよ、結構ひどい怪我だったのだから」


 そうは言うけれど、今もセリーナが悩ましいネグリジェ姿で身体を密着させてくるものだから、こちらとしては緊張して余計な力が入ってしまう。


 なのに、当のセリーナはどこ吹く風で聞いてくる。


「ああ、そうだわ。朝ご飯は食べられそうかしら?」


 そう聞かれて初めて、自分が空腹であることに気が付いた。


 僕が頷くと、彼女は身をひるがえして立ち上がり、少し待っていてね――と軽やかな足取りで部屋を出て行った。


 だだっ広い寝台の上に残された僕は、改めて部屋の中を見回す。


「本当にすごい部屋だ……ここが今のセリーナの住まいなんだろうか?」


 ルイーザやクレアさんからは、セリーナはお城のようなところに住んでいると聞いてはいたけれど、これは想像以上のお屋敷だ。


 やはり、これも彼女が成功を収めている証だろう。


 だとすれば、僕はその邪魔だけはしたくない。


「お待たせ、レナード」


 ちょうどそこに、セリーナが戻って来た。


 広いベッドの上に、朝食が乗ったトレーが置かれる。


 ホカホカと湯気を立てるスープに柔らかそうな白パン、卵料理やサラダもあって、どれもとても美味しそう。


 もう見ているだけで涎が溢れて胃が締め付けられるような空腹感に、一瞬何を思っていたか忘れそうになったけど、僕はセリーナに向き直った。


「セリーナ、ちょっと良いかな?」


 これは真面目な話だ。


 僕が貸金所やカジノで行った仕事の後はどうなっているのか、エイミー商会の仲間達は無事なのか、そして、どうしてセリーナと再会するに至っているのか……本当に分からないことだらけだ。


 でも、分からなくても言えることは、侯爵家への攻撃を行った実行犯である僕がここに居ることは、セリーナに不要な危険と迷惑を掛けるということ。


 だからこそ、僕は真剣に言ったつもりだったのだが――。


「ダメよ?さぁ、ご飯を食べましょう」


 一言で、片付けられてしまった。


 え、えぇ……。


「ま、待ってセリーナっ、本当に大事な話なんだ!」


「待たないわ。はい、口を開けて?」


 必死に訴えたけれど、軽くあしらわれてしまった上にご飯を食べさせて来ようとするセリーナ。


「はい、あーん」


 そして、にこやかにスプーンを差し出す彼女の圧力に負け、とりあえずは一口と口を開いた。


「あ、あむ……んんっ、美味しい!」


 吹き飛んじゃいけない悩みが吹き飛ぶような美味しさだった。


 料理自体は普通の野菜スープなんだけど、一つ一つの食材が良いのか、なんというか……高級な味がするのだ。


 僕は自分の語彙力の無さに内心では絶望しつつも、セリーナが口元まで運んでくれる料理を二口三口と堪能して行く。


「ふぅ、お腹がいっぱいだ、生き返った気分だよ。ありがとう、セリーナ」


 結局、いつぞやのように全部食べさせてもらってしまった。


「ふふ、たくさん食べてくれて良かったわ」


 セリーナは食器を片付けながら言う。


「まだ熱があるのだし、できればもう一眠りした方が良いわね」


 確かに、熱の所為か満腹になった所為か、お腹が熱くなって頭がぼんやりとして来た。


 しかし、このままでは終われない。


「うん、でもね、話をさせてほしいんだよ……」


 僕はセリーナを見詰めた。


 すると、セリーナの方も僕が何を言い出すのか承知のようで、困ったように微笑んだ。


「んー……本当なら、貴方の熱が下がってからにしてほしいけれど……良いわ」


 セリーナが寝台脇のテーブルにトレーを置き、再び寝台に上がって僕の傍までやって来る。


「でも、まずはこのお薬を飲んでね」


 セリーナが薄紙に乗った粉薬と水を渡して来て、僕はそれを言われるがままに飲み下す。


「私も貴方に謝らないといけないことがあるし、話をしましょうか――」


 それから、お互いに離れ離れになっていた間のことを埋め合った。


 僕は斡旋施設の地下牢から医術院の老人に逃がしてもらい、王都の路地裏で行き倒れたところを同郷のローザと思しき“奥様”に助けられ、工房街での潜伏生活の末に、侯爵家へ打って出ることを決め、爵位継承式典に合わせて宝剣を盗み、その後に商会を立ち上げたこと――。


 そして、今回の貸金所とカジノことについては、セリーナとの協力関係の話を聞き、その前に自分達で問題を解決しようと動いたと説明した。


 すると、セリーナは意外なところに食いついた。


「ローザ……王都で会ったのかしら?」


 セリーナがじっと見詰めてくる。


「ううん、直接顔を合わせたわけじゃないんだけれど、僕が動けない間の治療や部屋を提供してくれた“奥様”は、たぶんローザで間違いないと思うんだ」


 それを聞いたセリーナは、僕に向けて薄く微笑んで見せた。


「ふぅん、そうなの……まぁ、レナードが何を根拠にローザだって判断したのかは、私の方で勝手に想像しておくことにするわね?」


 なんだか怖い言い回しにたじろいでしまうけど、そこからはセリーナの話が始まった。


 今回、貸金所とカジノで僕らが行った計画のことは、セリーナも事前に知っていたらしく、裏で色々と手助けしてくれていたのだと言う。


「な、なるほど……だから貸金所の前で大きな騒ぎが起きたり、カジノでは警備員が居なかったりしたんだね……」


 どうやら、僕は知らないところで随分とセリーナに助けてもらっていたようだ。


 にもかかわらず、今さら彼女を巻き込みたくないだなんて、身の程知らずな自分が恥ずかしい……。


「だからね、レナードの怪我は私の所為なの、本当にごめんなさい……」


 そうして頭を下げるセリーナに、僕は呆気に取られてしまった。


 いや、どう考えてもセリーナの所為じゃないだろう。


 しかし、それを幾ら伝えても、彼女は納得しないのだ。


「私ね、レナードが危険な目に合ったり、痛い思いをする時にいつも蚊帳の外で、それがとても嫌だったの」


 僕としては、それが唯一の救いだったのだけれど、もし自分が彼女と立場が逆だったなら同じことを言っていただろうとも思う。


「だから、貴方を救い守れる力を持とうと思って、医術師としても司祭としても頑張って来たわ」


 そう頷く彼女の頑張りは、僕はもちろん世間の皆が知るところだろう。

 

 僕も頷くと、セリーナはしなだれ掛かるように身体を寄せて来て、吐息を感じるくらいの近さで切実な瞳を向けてくる。


「だから、お願い……私を、貴方に関わらせて……? 私を巻き込む覚悟を決めて?レナード――」


 その気持ちは痛い程に伝わってくるし、巻き込む覚悟という言葉も耳に痛い。


 セリーナは、僕の貸金所やカジノへの企てを知っても、それらを強引に止めたりはしなかった。あくまでも僕の意思に沿うように、それが成功するようにと助けてくれていたのだ。


 もし立場が逆だった時に、僕は自分の不安や心配を抑え込んで、セリーナの意思に寄り添うことができるだろうか……。


 いいや――と


 きっと、心配で心配で、彼女を捕まえ監禁でもしてしまっていたかもしれない。


 だとするなら、今度は僕が彼女の意思に従う番じゃないだろうか。


 大切な幼馴染であり、妹であり、姉であり、初恋の相手であり、現在の想い人でもある彼女――。


 そのセリーナに迷惑を掛け、負担となる心苦しさを抱えながら、それでも彼女を笑顔にするために足掻くべきなんじゃないだろうか。


 なんというか、セリーナの在り方を知った今となっては、迷惑を掛けないためにと離れることは、単に自分が楽になりたくて逃げているようにしか思えなくなってしまった。


 そして、しばしの沈黙の後に、僕はやっとその覚悟を決めた。


 セリーナにもそれを伝えようと顔を上げれば――。


「そう……なら、仕方がないわね」


「へ?」


 何のことか分からず間抜けな声がもれた瞬間に、視界がクラリと揺れた。


「ごめんなさい、レナード。さっき貴方が飲んだのは熱や怪我のお薬じゃないの」


 急に身体が痺れて、寝台のマットの上に崩れ落ちる。


「できれば、貴方の意思で受け入れてほしかったのだけど……」


 そう呟くセリーナの手に握られた物を見て、僕は目を丸くした。


「大丈夫よ、何も心配ないわ。レナードはこれまで傷付きながら頑張って来たんだもの。だからこれからは、私に任せて? 貴方が病気や怪我をしても私が治すし、ご飯だって食べさせてあげる。それに、子供だって私が生んであげるから……ね?」


 それは至れり尽くせり――じゃなくてっ、僕は受け入れるつもりだよ!と声を上げようとするけれど、口まで痺れて舌すら回らない。


 セリーナは、言うなればこれまでの“全ての元凶”ともなったそれを手に、僕に覆いかぶさって来る。


 そして、ガチリという金属音が首元で鳴った。


 あぁ、なんの因果だろうか……。


 この日僕は、幼馴染の手によって奴隷落ちしたのだった――。




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