閑話『望む行く末』





 国から与えられた白亜の屋敷の自室では、私の大切な幼馴染が眠っている。


 今までだって、彼のことはこっそり遠目で覗いたり、クレアさんから話を聞いたりしていたけれど、こうして間近で見るのは本当に久しぶり……。


「なんだか、すごく……男の人、よね……」


 ついつい聖職者にあるまじき吐息が漏れて、顔が熱くなってしまう。


 昨日、彼を治療した時にだって、その逞しくなった身体付きには驚いたし、怪我をして熱もある彼の“看病”という建前の下、同じベッドで夜を共にした私は彼の変化をよくよくと実感してしまった。


 もはや医術行為の中で、男性の身体なんて見慣れてしまったし、私からすれば魚や鶏をさばくのと変わらない。


 それなのに、その対象が未だに続く初恋の相手の身体というだけで、こうも違うものなのか。


 昨日だって、心音を確認するためと称して彼の胸板に頬を寄せたり、体温異常を感じやすいようにと理由を付けて薄着で添い寝してみたり……。


 私はそれらを思い出し、はしたなくも喉を鳴らしながら、今も隣で眠り続ける彼――レナードの寝顔を覗き込む。


「でも、こうして寝顔を見るのって、貧困街で看病をした時以来よね……」


 そして、あれからもう三年近くの時が経っていて、それだけレナードと離れ離れになっていたということ。


 けれど、それが今では手を伸ばせば届く距離に居て、それがなんとも嬉しくて胸の奥がくすぐったい。


「ふふっ、良く寝てる」


 思わず声が弾んでしまって、そんな自分の喜び様に気恥ずかしくなってくる。


 私は顔の火照りを誤魔化すように、彼のおでこや首に手を当てて検温し、手首を掴んで脈を取る。


「んー……さすがにまだ熱があるわね」


 自分の顔も火照らせながら、私は白々しくもそう零す。


 でも、彼の熱が引かないというのも無理からぬこと。だって、あれだけの怪我と疲労が重なったのだから、しばらく熱は続くだろうし動けなくて当然だ。


 だから、その間の看病は私が責任を持ってする。


 ええ、それはもう、ずっと付きっ切りで――。


 私はレナードのおでこに濡らした布をのせながら、これまでのことを思う。


 最初は、故郷からレナードが居なくなってしまった時。そして、次には王都で再会した後にだって、危険な仕事で傷を負い熱にうなされながら懺悔する彼の口から、王都に至るまでに曝された身を裂くような理不尽と悲しみがあったことを知り、さらには、私達の間を引き裂くことになったアンジェラ誘拐犯事件……。


 これまで、それら全てにおいて、私はずっと蚊帳の外で、レナードが危険な目に合って傷付く時に傍に居ることさえできなかった。


 だからこそ、今回ばかりは持てる力を振り絞って頑張ったのだ。


「それなのに……結局レナードに怪我をさせてしまうなんて……」


 気落ちしながら、昨日のことを思い出す。


 昨日、レナードをこの屋敷の前まで追い立てて怪我をさせたのは、私がご助力を賜ったオースティン先生の手配による聖騎士団所属の者達だった。


 私は屋敷の前に倒れ伏したレナードを抱きかかえ、その彼らを睨みつけた。


『レナード!レナードぉ!ひどい怪我っ……あなた達っ、どうしてここまで――“ひどい怪我をさせたのよっ!”』


 怪我をしたレナードを前に、私はとても冷静では居られずに噛みついてしまったけれど、彼らだって先生からの指示で仕事を全うしただけなのだ。


『も、申し訳ありませんっ……ですが、オースティン様より“の者を適度に追い詰め、またどこぞへ行かないようしばらく動けないようにしてやれ――”とのご指示が……』


 困惑した彼らの言に、私は目を見開いてしまった。


 だって、私が当初聞いていた話では、レナードをこの屋敷へと追い立てた後、私が直接説得するということだったから……。


 どうやら、オースティン先生が余計な気を回して下さったらしい。


 そして、それを知った私はもう彼らに平謝り……本当に失礼な態度をとってしまったと思う。


 彼らも彼らで酷く恐縮して、レナードを指しながら“その御仁が良い動きをするもので熱くなってしまいまして……”とか、“あれだけの才をお持ちなら我々の組織に勧誘したいくらいです”とか、お世辞なのだろうけど、レナードのことを褒められて、私は余計に申し訳ない気持ちに……。


「はぁ……レナードが起きたら、色々と説明しなくては駄目よね」


 クレアさんにこっそりと情報提供をお願いしていたことはもちろん、今回のレナードのお仕事に合わせて、貸金所の前で騒ぎを起こして警備員を引っ張り出したり、抗議行進の交通整理やカジノの門前の警備を強化する通達を出してカジノ内を空にしたりと……勝手に色々としてしまった。


 だから、それらを懺悔した上で、怪我をさせてしまったことを謝らなければならない。


 そうして、レナードの寝顔を見詰めながら私が決意を固めているところに、部屋の扉をノックする音が響いて来た。


『セリーナ様、オースティン様がお見えです』


 どうやら、先生が来て下さったみたい。


「失礼する――彼の者の様子はどうかね、司祭セリーナ」


 私が出迎えのために寝室から出ると、もう部屋の出入り口の扉を入ったところに、余所行きのジュストコールを羽織った先生が立っていた。


 対し、私は一礼する。


「ようこそいらっしゃいました、先生。レナードはまだ熱こそありますが、怪我の治療も終えましたし、じきに目を覚ますかと」


 そう答えつつ、私は先生に応接セットのソファーを勧める。


 すると、まるで私と先生が座る瞬間を見計らったように、いつも扉の向こうに控えている侍女がお茶を運んで来てくれた。


 私と先生の目の前では、侍女による洗練された動作でお茶の準備がなされて行く。


 私はそれを自分で用意できないもどかしさと、他人に用意させていることへの心苦しさを覚えながら、お茶の準備が終わるのをじっと辛抱して待った。


 やがて準備が終わって侍女が一礼して退出すると、先生が直ぐに口を開いた。


「――さて、セリーナよ。先程まで教会本部やら貴族院やらに出向いて探りを入れてみたのだが、やはり予想通りの展開になりそうだ」


 先生の言葉に、私の気持ちは一気に重たくなった。


 それは、当初から私達が懸念していた今回の騒ぎに対する国側が決める落とし所について――。


 そもそも、私や先生には事前情報があったにせよ、個人で調べてレナード達の計画の全容を掴めたくらいだから、国側が気付かないはずがない。


 確かに、レナード達は巧妙に動いていたし、有力者の味方も多かった。でも、国家の目を出し抜くには性急にことを運び過ぎていた。


 もちろん、レナードが性急に動かなければならなかった理由については見当が付くし、もしかしたら、最終的には国に裁かれることまで覚悟の上だったのかもしれない。


 でも、だからこそ――と私は思う。


「それで、最終的には君が責を負うということで、本当に良いのだな?」


 先生が猛禽類のような鋭い目を向けてくる。


「はい――」


 私は真っ直ぐに見詰め返して頷いた。


 こんな結末は、レナードの望むものではないかもしれないけれど、でもきっと、貴方と私が逆の立場だったなら、貴方は私のためにと同じ選択をしてくれたと思う。


 すると、先生がふっと力を抜いて言った。


「まぁ、最終的に得られる結果としては、私個人としても望むところだ。君が医術の道に邁進するのであれば、この後も精々尽力しようじゃないか」


 先生はお茶を軽く啜ってから立ち上がる。


「それでは、私は念のために各方面に根回ししてくるとしよう。必要ないかもしれないがね」


 私はそんな先生に十分お礼を言って、その背中を見送った。


 そして、私も自分の持てるコネや貸しを使ってお願いしようと思う。


 私の望む、その行く末に至るために――。




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