第45話『逃走の果て』





 不気味な気配と悪寒。


 それらによって追い立てられるように開始した逃走劇は、昼近くになってもまだ続いていた。


 僕は追跡者を振り切るべく、王都中心街の路地裏を全力疾走しながら上下左右に飛び跳ねる。


 壁を走って柵を越え、屋根から飛び降り地を這うように疾走すれば、大抵の追跡者は振り切れるという自負があった。


 僕とてこの二年半、ルイーザからスキルの手解きを受け、アレックスとの訓練を積み、様々な裏仕事の場数を踏んで、それこそアレックスやルイーザ並みの手練れすら躱して来た。


 だから、今回の不気味な追跡者達が如何に桁違いでも、距離を引き離すくらいはできると思っていた。


 しかし――。


「うわぁっ!?」


 中心街から出ようと進路を取ったその瞬間、僕の目の前の地面や壁には、おそらくは暗器の類であろう黒くて長い釘のような物が次々に突き刺さって行く。


 “また”か……!


 僕は咄嗟に身体を捻って回避して、なんとか勢いを殺さないままに別の道へと飛び込んだ。


 しかし、これでもう何度目だろうか?こちらが中心街を出ようとすると、今のように威嚇攻撃をして露骨に阻んで来る。


 そのお陰で、僕は未だに中心街を出ることすら叶わない。


 それに、相手の技量ならいつでも僕を仕留められるだろうに、なぜかそうしない。いや、もちろんされては困るんだけど……。


「はっ、はぁ、はぁっ――どこ、にっ……?」


 息を切らしながらも凶器が飛んで来たであろう方向を確認するけれど、そこには当然のように人影はない。


 やはり最初に直感した通り、この追跡者達は格が違うようだ。


 こちらのスキル“軽業”を用いた動きに対応してくるのはもちろん、その姿さえもハッキリとは視認させないというのだから恐れ入ってしまう。


 でも、実際問題として感心している場合じゃない。


 既に逃走開始から結構な時間が経っていて、このままではじり貧だ。


 ただでさえ負担の大きいスキル“軽業”の連続使用の反動で、もはや僕の手足は何かがまとわり付くように重く、無茶な呼吸を繰り返したために肺腑は鈍い痛みすら覚えている。


 限界が近い。今の騙し騙しの状態だって、いつまで続くか分からない。


 ならば、いっそ投降するべきだろうか?というか、そもそも投降は認められるんだろうか?


 そうして、頭痛さえし始めた頭で悶々と思考を巡らせていると――。


「ぅぐっ……!?」


 狭い路地裏の直角の曲がり角を曲がるため、片足で壁を蹴ったところで、その蹴り足の膝が意志とは無関係に沈み込んだ。


 そんな足の状態を受け、もはや一刻の猶予もないと判断し、僕はある種の賭けに出た。


 人目を忍ぶ中心街の路地裏から往来の激しい昼の表通りへと飛び出したのだ。


「くっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」 


 人目に付く表通りで、建物の外壁に寄り掛かりながら荒い呼吸を繰り返す。


 辛うじて身体を支えている膝はピクピクと小刻みに痙攣し、両腕は鉛のように重く肩からぶら下がっている。


 満身創痍――そんな僕に対し、周りの通行人達は何事かと距離を取りつつ咎めるような視線を向けて通り過ぎて行く。


 確かに、ただの通行人からしたら、突然路地裏から飛び出して来た警備服にマスク姿の男がゼーゼー言っているのだから怪訝に思うだろう。


 また、逃走中の身である僕の方にしても、こうして不特定多数の人目に触れている現状は全く以って好ましくない。


 それでも、今一番に気にするべきは追跡者達のこと。


「はぁ、はぁ……襲って、来ない……?」


 危険を冒してでも人目に晒された甲斐あってか、今のところは暗器の類が飛んで来ることもない。


 僕は息も絶え絶えに周囲を探るが、スキルなしでは追跡者の気配さえ感じることができず――さて、どうしたものか……。


 何かないかと条件反射に警備服のポケットを探れば、何か硬い物が入っていることに気が付いた。


「あっ、そうだ!これがあったんだ!」


 取り出したのは小さな小瓶。


 これは、クレアさんが持たせてくれた物だ。


 貸金所でこの警部服に着替えた際に、無意識の内にこちらのポケットに移し替えていたらしい。


 確か、飲めば体力が続くようになると言っていた。気付け薬みたいなものだろうか?


 失礼ながら、どこか一抹の不安を感じてはしまうけれど、今の僕にはもうこれに賭けるしかない。


「飲むぞ……っ」


 自分に言い聞かせるように呟いて、僕はその小瓶の中身を呷った。


 口内に入った少し甘みのある無色透明の液体がさらさらと喉を通り過ぎて行く。


 謎の薬とはいえ、長いこと水分を取っていなかった喉には心地良く、身体の方もまるで染み渡るように潤してくれる気がした。


 そして、そんな乾いた状態だったからこそ、薬の効果の方も危険な程てき面に表れてしまったのかもしれない。


「ふっ……うっ……!?」


 突如、毒を疑ってしまう程に心臓が早鳴り出して、じんわりと視界が滲み、頭の中がふわふわと揺れ始めた。


 さらには、なぜか気分の高揚すら感じて、あれだけ重かった手足も急激に軽くなっているし、全身に痺れるような活力が湧いて来るようだ。


 すごいっ、これなら故郷の町まで走って帰れるっ!


 抱いた感動が、頭の中で鐘の音のように反響した。


「ぃよしっ!」


 僕は酩酊と爽快が混合するような妙な心持となって、再び地面を蹴った。


 昼の中心街の表通りという抗議行進に負けず劣らずの人出の中を、これまで以上の速度で駆け抜ける。


 もはやスキルが発動しているのかさえ分からない。


 すると、そこで連中の動き出す気配を感じ取った。


「今なら引き離せるっ!」


 根拠のない全能感が、不気味な気配の追跡者すら軽く見せ、僕を再び勝負の場である路地裏へと進ませた。


 薄暗い路地裏に入ると、左右に迫る建物の外壁を蹴って蹴って、地上三階の高さを跳ねるように疾走する。


 すると、これまで碌に姿さえも視認できなかった追跡者達が、こちらに対して露骨な牽制を始めたのだ。


 飛んで来る釘のような暗器に、進行方向に回り込んで行く先を潰して来る。


「くそっ……!」


 後もう少しなのに、ギリギリのところで行く手を阻まれ続け、ついつい悪態が口をつく。


 でも、逃走を開始した時のような焦りや恐怖よりも、悔しさや怒りの方が強く感じられ、なんとも頼もしい気持ちにさせられる。


 そして、僕は自分でも不自然と思う程に熱くなり、この不気味な追跡者達を撒くことに躍起になっていて、もう路地裏も表通りも関係なく、人目も憚らずに跳ね回った。


「はぁっ、はぁっ、離れて来た!?」


 気が付くと、追跡者達との距離がジリジリと開き始めていた。


 連中の牽制を躱し続けた影響で、中心街でもあまり知らない方面にまで来てしまったけれど、この分なら撒くことだってできるかもしれない。


「よしっ、あの場所で振り切るっ!」


 路地裏から表通りへと転がり出れば、自分の進行方向に、それは真っ白な――“白亜の屋敷”とでも呼ぶべき邸宅を見据える。


 あの純白の豪邸を使用してさらに連中を引き離す――と、地面を蹴った瞬間だった。

 

 ザグッ――!


 両膝の内側に、怖気を覚えるような冷たい感触が走った。


「ぃぎっ……っ!?」


 膝の内部に感じた不気味な冷たさは、次の瞬間には激痛へと変わり、赤い鮮血が飛んで、ついには膝が折れた。


 どしゃりと地面を転がって、白亜の屋敷の前で止まる。


「ぎっ、いっ……なに、がっ……っ?」


 必死に立ち上がろうとするが、できなかった。


 ゴリッ……と、何かが引っ掛かっているように膝が動かないのだ。


 僕が恐る恐る自分の膝を見てみれば、なんと黒い釘のような凶器が両膝に突き刺さって血を滴らせていた。


「づ、ぁ……ぅあぁっ……!」


 その凄惨な光景と痛みに、口からは苦悶の声がもれ出る。


 さらに、ここに来て薬の効果まで切れたようで、辛うじて上体を立てていた腕も糸が切れたように動かなくなった。


 表通りど真ん中で、しかも貴族様が住んでいるような邸宅の前で、まるでゴミのように地面に突っ伏すことしかできない。


 急激に身体の芯が冷たくなって、意識が遠のいて行く。


 するとそこに、いまわの際というやつだろうか? とても懐かしく、この数年間ずっと聞きたくて止まなかった声が聞こえた気がした。


『レナード!レナードぉ!ひどい怪我っ……あなた達っ、どうしてここまで――』


 変わっていないその懐かしの美声は、今にも泣きそうで、そして、その後には誰かを厳しく咎め立てていた。


 遠のく意識の中で最後に感じ取ったのは、暖かくて柔らかい感触に抱き起される感覚と、幼い頃から知る甘くて優しい香り。


 惨状とは相反する安心を覚え、僕の意識は立ち消えた――。




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