第44話『盗賊の仕事Ⅲ』





 意を決して足を踏み入れた八階フロアは、不気味な程に静かだった。


 広いフロアを見渡せば、一部だけ鉄板を後付けしたような一面があって、そこが金庫室であることを教えてくれる。


 事前にアレックスも言っていたけれど、金庫室とは名ばかりの実際にはカジノの収益を一時的に貯めておく集金室のような感じなのだろう。


 また、金庫室の扉の両脇やフロアの隅などには、警備員が立つであろう受付台も設置されており、貸金所の地下金庫とは違って人目で警備する体制が取られているようだ。


 しかし、だとするのなら――。


「これは絶対におかしい……誰もいないって、どういうことだろ?」


 思わず首を捻ってしまう。


 だって、ここは金庫室もある重要フロアのはずなのに、買収した協力者どころか、他の警備員や従業員の姿さえもなく、そこは全くの無人状態なのだ。


 そして、そんな人っ子一人いない静まり返ったフロアには、おそらく外から漏れ聞こえて来ているのであろう讃美歌だけが微かに響いている……。


 讃美歌と言えば教会だが、抗議行進の場に教会の一団も来ているのだろうか?


 できれば外の様子を確認したいところではあるけれど、この八階フロアの窓は鉄板で潰されてしまっており、窓といえば明り取りの天窓と小さな通気窓のみだ。


 さて、どうしたものだろう――と、讃美歌だけが微かに響く無人のフロアにて、一人思案する。


 この異常な状況は、普通に考えるなら罠だろう。


 でも、罠だったとして、僕のやるべきことが変わるだろうか。もうここまで来てしまった以上、今更引き返しても危険は変わらない気がするし、だったらやることをやってしまうべきじゃないだろうか。


 それに何より、僕の目的は、大切な幼馴染が関わる前に侯爵家との問題を排除することなのだから――。


「うん、やっぱり予定通りに行こう!」


 僕は踵を返し、階段のところに置いて来た火薬樽を持ってくる。


 そして、鉄板で簡易強化された金庫室の扉を前にして、工房街で手に入れた解錠ツールを広げ、この日のために習得した盗賊のスキル――“解錠”を使って扉の鍵を開けて行く。


 やがて、ガチリ、という音がして、僕は金庫室の扉を押し開いた。


 すると、目に飛び込んできたのは、絨毯張りの床に模様付きの壁紙……およそ金庫室らしくないその内装は、やはり元々は普通の部屋だったのだろう。


 そんな金庫室内を一通り見回せば、カジノ・ゴールドラッシュの厳しい懐事情が伺い知れるようだった。


 というのも、そこにある現金袋の数は、素人目に見てもカジノの運営に差し支えるのではと心配になる程に少ない。


「いや、それは僕が心配することじゃないな。えーっと、まずはアレックスに送る袋を用意して――っと」


 僕は傍にあった革製の現金袋を拝借し、金庫室内に置かれた出金記録や契約書などの書類を片っ端から詰め込んで行く。


 最悪、この書類だけでもアレックスに渡すことができれば、カジノでの成果は十分らしく、後はルイーザが適切に処理してくれるとのことだった。


 金庫まで来て金ではなく書類を指定されたところを見るに、これはカジノの弱みになるような代物なのだろうか?


 疑問に思いつつも書類の準備が終われば、今度は金庫室内にあるなけなしの現金袋を一部の壁に寄せて行き、その直ぐ前に火薬樽を下す。


 配置としては、現金袋が壁と樽に挟まれるような形だ。


 これから、この火薬樽を爆発させて、壁と金を一緒に吹き飛ばせれば――と考えている。


 まぁ、もう指定の書類は手に入れたし、この仕掛けは成功しても失敗してもどちらでも構わない。


 僕は樽から伸ばした導火線を階段方面へと這わせて行き、階段の扉を開けて十分に逃げる準備を整えてから、導火線に火を点けた。


「よし――!」


 貸金所でも見たオレンジ色の火花が弾ける着火を確認したら、僕はスキル“軽業”と“無音歩行”を同時発動し、一目散に階段へと飛び込んだ。


 明るい場所から暗い場所へと入ったために何も見えないけれど、それでも手探りで足を引っ掛けながらも強引に階段を駆け上がる。


 やがて階段を上り切り、屋上に出る鉄扉を体当たりするように開け放った。


「眩しっ――あぁっ……えっと、フック、フック!」


 陽光の眩しさに視界を焼かれながらも、僕は肩に掛けていた書類袋をもどかしく外して屋上の隅へと駆けて行く。


 そして、アレックスから言われた通りにフックを使って書類袋を鋼糸に引っ掛けて、そのまま滑らせるように隣の五階建ての屋上へ送り込んだ。


 するとそこで、ズズンッ……!と地鳴りのような音が響き、振り返って見てみれば、階下から濛々と煙が上がっていた。


 その光景に、しばし呆然としてしまったけれど、僕は弾かれたように動き、屋上のクレーンから地上に落ちたゴンドラまで伸びる縄に向かって飛び付いた。


 身体がふわりと揺れた時には背筋が震えたけれど、そのままスキル“軽業”を集中発動させ、訓練した通りに縄を使って懸垂下降して行く。


 下降中は、高所への恐怖よりも、逃げなければという焦りの方が大きくて、かえってまごつかずに地上まで降りることができた。


 やっと地面に足が着き、“帰って来た”という安堵が胸中に浮かぶけれど、一息つくのはまだ早い。


 僕は急いでカジノの裏手から人混みのある表通りへと向かった。


『おい!さっきの音はなんだ!?』『カジノの敷地内に金が落ちてるらしいぞ!』『クソッ!まだ門が開いてねぇから拾いに行けねぇーよ!』『警備の野郎!今拾って懐に入れやがっただろう!』


 逃走のために表通りの人混みに飛び込むと、やはり場は騒然としていた。


「こ、これはっ……予想以上のっ、人出だなっ……!」

 

 表通りは人で埋め尽くされて、場所によっては押し合いになっている程。


 しかも、皆がカジノの敷地内に散らばった金に吸い寄せられるように押し寄せている。


 僕は現状を近くの人に尋ねてみた。


「あの!何があったんですか!?怪我人が出たんですか!?」


 すると、髭モジャの肉体労働者風の男が答えてくれる。


「おう!カジノから金が降って来たらしい!俺も通りに転がって来たヤツを拾ったぜ!怪我人は知らねぇが!居るなら教会の救護天幕のところに行くだろうよ!」


 男は雄叫びを上げながら、人を掻き分けカジノの方へと突き進んで行った。


 やはり、八階フロアで聞いた讃美歌と良い、教会が出張って来ているようだ。元々僕らが先導したのは低所得労働者や浮浪者による抗議行進であるため、奉仕精神から教会が出てくるのは不自然じゃない。


 しかし、教会と聞くと、どうしても彼女が――セリーナが関わっているのではと心配になってしまう。


「いや、今は自分の心配をしないと……」


 そもそも僕などが彼女を心配すること自体おこがましいのかもしれない。


 頭を切り替え、僕はカジノに押し寄せる人波に逆らいながら進み、途中で爪先立ちなどをして逃走ルートを見定める。


 貸金所の方にはもう騎士団が展開しているからダメ……その反対には教会の炊き出しやら救護天幕やらがあって、そこを守る聖騎士様が居るからダメ……。


 そうして消去法で選んだ結果、王都の中心街を突っ切って脱出するルートを選ぶことにした。


 僕はなんとか人混みから抜け出して、建物と建物の隙間へと入り込む。


「ふぅ……後は予定の場所まで行くだけだな」


 今となっては慣れ親しんでしまった王都の路地裏に入ると、やっと一息つくことができた。


 この後は、ほとぼりが冷めるまで屋敷には戻らず、地下ギルドが用意してくれた隠れ家にて身を潜める予定となっている。


 クレアさんにアイザック、アレックスにルイーザ……紹介の仲間ともしばらくは会うことができない。


 いや、今はここを無事に脱出することだけを考えよう。幸運だっていつまで続くか分からないのだから。


「そろそろ行こう……」


 数多の幸運に恵まれた大仕事もその主要部分は完了し、残すところは撤収のみ。


 そのため、やはり幾分か気が抜けていたといえばそうなのだろう。


 僕が、足を踏み出した瞬間だった。


 ゾクリッ……とこれまでに経験したことのないような悪寒が走り、僕の持つ盗賊のスキルがまるで虫の知らせのように独りでに発動した。


 スキル――“気配感知”と“軽業”。


 そして、“気配感知”が展開された瞬間、自分に複数の視線が突き刺さっているのを感知した。


 その瞬間、ゾワゾワと全身の肌が粟立って、心臓がバクバクと早鳴り始める。


 今の今まで全く気付かなかったし、今だって複数の視線は感じているのに、どこから見られているのかは全くわからない。


 これは、逃げきれない――直感的にそう分かってしまう。役者が違い過ぎるのだ。


「でも、精々足掻こうじゃないかっ……!」


 分かっていても、何もせずに諦める訳にもいかないと、僕はスキル“軽業”をフル稼働させて跳躍した。


 左右に迫る建物の壁を蹴り上げて、自分の高度を上げつつ疾走する。


 きっとこれが最後となる、必死の悪足掻きを始めた――。




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