閑話『永遠の監視』





 騎士天職者であるこの俺を差し置いて、分不相応にも屋敷なんぞに住んでいるコソ泥レナード。


 あんなヤツが金持ちだの商会の会長だのと、そんなのは絶対に間違っている。


 だから、ヤツには過去の清算として屋敷も金も会長の座も献上させ、あの肉感的な美女も込みで俺が直々に面倒を見てやることにした。


 そして、そのためには、レナードのヤツに制裁を加え、地面に這いつくばらせて立場を思い知らせる必要がある。


 しかし、俺は騎士学校で謹慎を言い渡されて以来、練習用の木剣すら持てずに丸腰の状態だ。


 騎士天職者の強さは装備の性能に依存するため、さすがの俺でも今のままでは分が悪い。


 そのため、本来なら正面から堂々と乗り込むべきところを、万全を期してコソ泥が一人になったところを奇襲しようと考えた。


 その機会を得るために、いつものように張り込んでいると――。


「なっ、なんだありゃあ!?」


 突如、コソ泥の屋敷の前に大型馬車の行列が現れた。


 少し前までは、昼夜関係なく散発的に人が出入りしていたが、最近になって急に屋敷から人の気配が消え、あの厳つい門番さえ居なくなって久しかった。


 しかし、それが今になって、あの馬車の大群っ……!?


「おいおいおいっ、これって絶対に何かあるだろうっ!」


 何かを運び入れるのか、それとも真っ昼間から夜逃げか、もっと別のヤバいことが始まるのか……。


 とにかく、興奮が抑えられない。


 何せ、屋敷より散発的に人が出入りしていた頃は、出入りする全員が変装をし、屋敷前から馬車を使ったりと、レナードを見極めるのは困難だった。


 というか、そもそもが張り込みなんて地味な作業は、この俺に相応しくなかったのだ。


 しかし、そんな詰まらん状況が、ここに来て一気に動き出したようだ。


「くくっ……やはり事態が動く時は一気に動くか……」


 そう余裕の笑みで呟くも、何もそれはコソ泥レナードに限ったことではないようだった――。


 次の瞬間、自分の背後から、ジャリ……という地面を踏み付ける音が聞こえた。


「いやぁ~、探しましたよぉー、エミリオさぁん」


 地響きのような野太い声が、不気味なまでの明るさを持ってこちらへと掛けられる。


 その声に、俺の心臓は凍り付いた。


 俺が顔を引き攣らせながら振り向けば、そこには壁のように立ち塞がる大男が二人。どちらもガラの悪いことこの上なく、青筋を立てながら薄く笑っている。


「あっ、アンタらはっ……!」


 それは、俺が金を借りている銀行と商工ギルドが雇った借金取りだった。


 クソっ……こんな時にっ……!


 胸中では激しく悪態をつくが、怒れる二頭の野獣を前にそれはおくびにも出せない。


「エミリオさぁん、毎月の返済日をすっぽかされちゃ困りますよぉ~」


「借りたもんは返さないとねぇ、エミリオさん?」


 二匹の野獣――もとい、二人の借金取りは、野太い腕を伸ばして俺の肩を掴んで締め上げた。


「テメェ……今日で三回返済が遅れてんの分かってんのかよっ、ァアっ!?」


「騎士学校も職場もクビになりやがって、どうやって金返すんだよ?このボンクラがぁあっ!」


 その気迫に、全身が縮み上がる。


「ぅひっ、ひぃぃ……っ」


 意思とは関係なく喉が引き攣り空気をもらし、足元ではビチビチと地面を叩く水音が鳴った――股間が、温かい……。


「うおっ!?コイツ漏らしやがったぞっ!」


「このクソがっ……靴に跳ねただろうがぁあっ!!」


 激高した借金取りに、すぐさま足蹴にされて地面を転がる。


 痛ぇっ!怖ぇっ!何が何だか分からねぇっ……!


「ぅひっ――ぅぃひぃいいいっ……!!」


 気が付くと、俺は駆け出していた。


「待てやコラァアッ!」


 背後からは猛獣のような借金取り達が殺気立って追い駆けてくる。


 「ハッ、ひはっ!ヒィぃ――!」


 自分が息を吸っているのか吐いているのかも分からず、とにかく必死に足を動かし続ける。


 しかし、やがてその足はもつれ、酸欠で視界が眩み、口からは反吐が漏れ、意識すら遠のいた。


 ヤバいっ……ヤバいっ……!


 最初に滞納した時、あの借金取りに一発頬を張られたことがある。そして、俺は気が付くと地面に這いつくばって泣きながら土下座していた。たった一発のビンタで、この騎士天職者たるエミリオが、だっ……!


 きっと、特殊なスキルを使われたんだ……そうに決まっている!


 しかし、どんな背景があろうと土下座の事実は変わらず、それは恐怖と悲しみと怒りと屈辱の記憶として、俺の中に刻み込まれた。


 だからこそ、こんな行動もできてしまったのだろう。


「ハッ、ひはっ……こ、ここだっ――!!」


 俺は路地裏にあった大きなゴミ入れを見付け、迷わずその蓋を開けた。


 コバエや蛆が湧くゴミ入れの中は怖気を覚えるおぞましさで、ゴミ特有の悪臭が鼻を突き、湿気を帯びた生暖かい空気も気持ち悪い。


 しかし、そんなゴミの中に、俺は必死に身を投じた。


 虫が湧き悪臭を放つドロドロを掻き分けて、我が身を隠そうと進んでゴミを被る。


 そして、耐え難い悪臭の中で息を潜め、目を固く閉じて“自分はゴミの一部だ”と念じつつ、必死に見付かりませんようにと神に祈った。


『クソッ!あのチビデブ野郎!何処に行きやがったっ!』


『オイ、ここじゃねぇのか?』


 ドンッ――と俺が息を潜めるゴミ入れに衝撃が走り、心臓が縮み上がる


『ぐっ……臭ぇ、いくらカスみたいな野郎でも、こんなところに入るか?』


『フツーは入らねぇが……まぁ念のためさ。オイ、ボンクラ!そこに居るんだったら覚えとけ!次の期日までに金返さねぇと、テメェの親兄弟を奴隷落ちさせてやるからなっ!覚悟しておけっ!』


 最後にゴミ入れが激しく揺れて、借金取り達はまた俺を探しに行ったようだ。


「んぐぇっ……ハッ、ひっ、ヒはっ――うっ、ぉえげえぇっ……!!」


 止めていた呼吸を再開すると、強烈な臭気に嘔吐した。


 そして、そんな悪臭の中には糞尿の臭いまで交じっていて――そこで初めて、俺は自分の尻や股間にへばり付く不快感に気が付いた。


「うぐっ……ヂグ、ジョウ……っ」


 俺は、ゴミの中で咽び泣いた――。







 一ヶ月後、通常なら絶望して精神異常を起こしてもおかしくない状況から、俺は不死鳥の如く立ち直った。


 騎士天職者としての魂が、俺をゴミの中で腐り死ぬことを許さなかったのだ。


 しかし、仕事はクビになり、騎士学校も俺への懲罰として罰金及び禁固刑を決めたという手配書を見たため寮にも戻れない。


 そんな状況にあって、俺が見出した生存方法は、王都でのサバイバル生活だった。


「よしっ……今日は飯が大量にあるぜっ……!」


 いつものように、飲食店の裏側にて食糧を確保する。


 戦場では虫や木の根をかじることだってあると聞くし、サバイバル訓練だと思えば、ゴミから食糧を得るくらい大したことではない。


 それに、多少の楽しみもある。


「おほっ!このパンっ、口紅がついてやがるっ!」


 きっと、これは美人の食べ残しに違いない。


 俺は吸い付くようにパンをしゃぶりつつ、尚もゴミ入れを漁り続ける。


 浮浪者連中からは変態だのクソ虫だのと揶揄されるが、それも俺が道具屋から木剣を盗み多少のスキルを使えるようになってからは、逆らう者も居なくなった。


 今では、王者のように堂々とゴミを漁れる。


 しかし、そんな俺でも――。


「ぅひっ!き、騎士ぃっ……!?」


 遠くに騎士の姿を認めて、俺は姿勢を低く頭を下げて、地を這うようにその場から離脱した。


 まだ金も屋敷も会長の座も手に入れていない内に、騎士や借金取りに捕まる訳にはいかないのだ。


 一応、今の俺は髭も髪も伸び放題で顔の半分は隠れており、ズボンは脱糞と失禁でダメになったため拾った麻袋に穴を開けて履いている。


 完全なる浮浪者の擬態だ。


 そんな状態だから、パッと見では俺が騎士天職者のエミリオだとは分からないだろうけど、金を手に入れるまでは一寸の油断も許されない。


 金がなければ、借金は返せないし、罰金も払えない。それに、奴隷落ちさせられただろう家族も救えないのだ。


「待っててくれ、父さん、母さん、兄貴っ……俺が、俺が必ず助け出すから――!」


 熱い決意を胸に、今日もコソ泥レナードの屋敷を監視する。


 借金取りや騎士団から追われた所為で一ヶ月くらい監視できない期間があったけど、前回に見た大型馬車は夜逃げの類ではなかったようだ。


「くくっ、あの大型馬車は増員のための物だったようだな……」


 今や屋敷の警備も使用人も倍以上で、客の出入りも激しくなった。


 コソ泥の癖に生意気だとは思うが、ヤツが儲けて成功すれば俺への献上もデカくなる。


 弊害としては、レナードを見分けることがさらに難しくなったことと、あの肉感的な美女の姿が見えなくなってしまったこと、屋敷の警備がさらに厳重になったことだろう。


「フ――まぁ、確実な機会が訪れるまで気長にやるさ」


 騎士団と借金取りから隠れてさえ居れば、時間はたっぷりとある。


 俺は盗んだ木剣の柄に手を添えて、いつかの故郷の時のようにコソ泥レナードをぶちのめす想像をしながら監視を続ける。


「そうさ、ヤツが屋敷から一人で出てくるまで、俺はいつまででも待つ覚悟だぜ」


 そうして、俺はニヤリと口角を吊り上げるのだった――。




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