閑話『温かい雫』





 その日、王都はちょっとした騒ぎになった。


 数十年振りに、爵位剥奪により没落する貴族様が出たのだ。


 そして、それを聞いてか、お店に来る庶民から下級貴族のお客様までもがお祭り騒ぎ……。


 いや、没落した貴族様どれだけ嫌われてたのよ……なんて思いながら、あたしはいつも通りステージの準備へと入る。


「あ、ローザさんおはよーございまぁーす」


「ローザさんチィ~ス」


 控室に入ると、後輩達が軽い調子で挨拶をしてくる。あたしが先輩にこんな挨拶したらお尻を指揮棒で叩かれること請け合いだけど、あたしとしてはこれくらい雑な方が気楽で良い。


「はよー、今日お客すごいじゃん」


 あたしも軽く挨拶を返して話題を振ると、後輩達も乗って来てくれた。


「ですよねー、やっぱし侯爵様の没落ですしぃ、しつれーのないように盛大にお祭りしないとですよー」


 口元に手を当てて、ニシシと悪い笑みを浮かべる後輩の一人。あたし、この子と気が合うかも。


「それに~、たった一人の“盗賊”がカジノと貸金所を破って侯爵家没落の止めを刺したっていうところも~、劇的で人気の語り草なんですよねぇ~」


 もう一人の後輩が言ったその単語に、思わず反応してしまった。


「盗賊、ね……まぁ確かに新聞にもそう書かれてたけどさ、あんなに大きなカジノや貸金所を一人で破れるの?」


 常識的に考えてありえない。どうせまた、新聞記者達が好き勝手に作文したんじゃないのって思ってしまう。


 すると、その子がにやりと笑った。


「あれれ~、ローザさんらしくな~い。いいですかぁ?この筋書きは審問会や騎士団や教会や貴族院までもが認めた正式な発表なんです。つまりぃ、例え作文された筋書きだったとしても、その盗賊さんはお国が気を回すくらいの存在ではあるっていうことですよ!」


 人差し指を立てて、こちらに向かって前のめり。この子は、ゴシップとか陰謀論とか好きそうだなって思う。


「あー、それだったら、これが理由じゃないの?」


 そう言って、もう一人の子が新聞記事を見せて来た。


『尚、犯人たる盗賊は奴隷落ちの上に王都より所払い。その身柄は、今や教会筆頭とも名高い癒しの司祭様の所有となり、今後は管理更生の治療を受けるとの事――』


 紙面には、そんな一文が……。


「――って!これってばあの女じゃないっ!」


 毎年毎年、王都に来てまでも格の違いを見せつけるように活躍する女――その名も、セリーナ!


 すると、後輩達が食い付いて来た。


「えっ、ローザさんって癒しの司祭様知ってるんですか?」


「すっごくきれーな人らしいじゃないですか~、一度で良いからお目に掛かりたいなぁ~」


 ぐいぐい迫ってくる二人を適当にあしらいつつ、あたしはつい親指の爪を噛んでしまう。


 王都に来て、最初にあの女のことを新聞や噂で見聞きした時は心底驚いた。


 あの女――セリーナは、新聞の紙面で見るだけでも鬼気迫るような勢いで偉業を連発し、それはもう空恐ろしくなる程だった。


 その当時から思ってたことだけど、あの女がそこまでする理由なんてレナード絡みしかありえない。


 そうなると、やはり今回奴隷落ちした“盗賊”っていうのは、もう絶対に間違いなくレナードのことだろう。


「あの女……ついに意中の男を完膚なきまでに自分の物にしたわね……」


 背筋には冷たいものを感じつつ、あたしの脳裏に浮かぶのは、過去にこの店の路地裏にて果たしたレナードとの望まぬ再会のこと――。


 あの時は、ひどい怪我をしてボロボロだったアイツを拾い、部屋を貸して治療して、ご飯を食べさせて、数ヶ月間は匿っていた。


 あれは、あたしが身勝手にもレナードに施しを与えることで、自分の過去の行いに対して燻っていた罪悪感を清算しようと目論んでのことだった。


 しかし、そう上手くは行かなくて、施したつもりで掛けたレナードに対する治療費や生活費は、その後になって利子まで付けて返されてしまった。


 結局、あたしは心の折り合いもつけられないまま、逆に施されたようなお金では、歌唱学校や聖歌隊へ入る気にもなれず……だから、せめてもの意地として、お金は故郷の孤児院の建て直し費用にと“”で送金した。


 アンナさんや孤児院のガキんちょ達からは、それに対するお礼の手紙が山程来たけれど、あたしからすれば素直に喜び難くって、とても微妙な気持ちになったものだ。


 まぁ、今となっては、建て直しの“条件”が守られていることを祈るばかりだし、その“条件”によって、少しでもレナードのヤツに意趣返しができればって思ってる。


「一応これで、孤児院の建て直しの目標は達成ってことで良いわよね……?」


 当初は“歌で費用を稼ぐ”なんて息巻いていたのに……いや、でもまぁ、結果的に幼い頃に見たアンナさんの寂しそうな姿を帳消しにできたんだと思えば、あたしの達成感なんてどうでも良いことだ。


 それに、あたしには追うべき目標がもう一つ残ってる。


「そうよ、頑張ってすごい歌姫にならないと!」

 

 意気込みが、つい口からもれてしまった。


 すると、雑談もそこそこにメイクや着替えなどのステージの準備をしていた後輩達が、再び絡んで来た。


「え~、ローザさんってばもうお店のトップ歌姫じゃないですかぁ~」


「繁華街のコンテストでも優勝、貴族様や商人の太いファンも居て、後援会までできてるし、この辺りでローザさんのこと知らない人はいないですよ?」


 それでも、社交界や晩餐会、国立コンサートホールなんかで歌うには、あたしなんてまだまだ無名も良いところだ。


 だからこそ、学校と聖歌隊に――と考えていた。


 お金の面は、お給料もあればコンテストの賞金もあるし全く問題ない。


 でも、コネクションの方が問題だった。


 特に聖歌隊の方なんて、推薦人どころか保証人すら居ない孤児のあたしでは、十分な入隊資金を持って行っても入隊の希望すら出せずに門前払いだった。


 一応、あたしにも有力者のファンはいるけれど、その人達はお店で歌うあたしを応援してくれているのであって、推薦人や保証人になってはくれないだろう。


「うんっ、だからこそ、もっと太いファンを増やさないと!」


 突然気合を入れたあたしに、二人の後輩は「何の話?」と首を傾げている。


 しかし、あたしはそんな二人を置き去りに、ステージが始まる前に有力者が座る特別要人席へと挨拶に行くことにした。善は急げというヤツだ。


 ステージに向かってせり出した二階席に着くと、常連の貴族様が既にお酒に酔ってらっしゃった。


「失礼いたします。ようこそいらっしゃいました、男爵様」


 スカートの端を摘み、淀みなく首を垂れる。


 すると、赤ら顔の男爵様が満面の笑みで言った。


「おおっ、ローザ姫か、待っておったぞ。今日はめでたい日だ。最高の余興を期待しておるぞっ」


 めでたいって貴族様の没落の件よね、言っちゃって大丈夫なのかしら?


「――はい、皆様ため、男爵様のため、全力で歌わせていただきます」


 一応、無難なことを言って一礼すると、別の貴族様が声を掛けて来た。


「やぁ、ローザ姫」


 金色の長髪を後ろで結った優男――確かこの方は、子爵様だったはずだ。


「これは子爵様、ご機嫌麗しゅう」


 一礼すると、彼が顔を寄せて来た。


「知っているかい?今日の盛り上がりの原因でもあるオルトベリー家を没落させた盗賊の名を――」


 どこか芝居掛かった動作で聞いてくる。


 その話題に対して、あたしには確信的なものがあるけれど、礼儀として知らない振りをしておく。


「まぁ、貴族の間では公然の秘密だがね、彼の者の名は“レナード”。大手商会の会長にして、いくつかの地下ギルドを所有し、莫大な資金を持つ富豪でもある奴隷さ」


 子爵様はその落差が気に入っているのか、何度も“商会トップの奴隷”、“大金持ちの奴隷”と評した。


 あたしは、やっぱりレナードだったと思いつつ、初めて知った他の肩書に驚く。


「か、会長? ギルドを所有? 富豪?」


 そんなの、聞いてない。


 すると、あたしの反応に気を良くしたようで、子爵様は饒舌に語る。


「ああ、彼の者は罪人職でありながらそんな肩書を持つユニークな経歴の持ち主なんだ。王国の西を統べる大商人や教会組織が背後に付き、貴族にもファンが多い。今や誰も手が出せない奴隷さ。かく言う僕も――」


 子爵様はお話を続けているけれど、あたしは衝撃が大きくて頭に入ってこない。


 だって、あたしはてっきりレナードのヤツは真面な仕事にありつけずに切羽詰まった上で大それた盗みを働き、どうしようもなくなったところでセリーナのヤツに救われたんだと思ってた。


 それが、大手商会の会長で、ギルドを持ってて、富豪だと言う……。


 そ、それじゃあ、もしあたしがレナードのヤツと別れなかったら――とほんの一瞬だけ思ったけれど、直ぐに頭が冷えた。


 それは、ありえない。


 あのままあたしとレナードが付き合っていたとしても、最後はあたしの王都行きを彼は見送っていただろう。


 それに、きっとあたしと一緒では、レナードは大成しなかった。


 結局のところ、どんな要因においても、レナードにとっての一番はセリーナしかありえないのだ。


 そして、それを認めた瞬間に、ふっと肩の力が抜けた。


「あぁ、悔しいなぁ……」


 子爵様の前なのに、思わず呟いてしまう。


「ん、ローザ姫どうし――泣いているのかい……?」


 気が付くと、あたしの頬には涙が伝っていた。


 自分でも、何の涙なのか分からない。


 でも、その温かい雫は、まるで慰めるように頬を撫でて心地良い。


「ローザ姫……?」


 子爵様が覗き込んでくる。


 だから、あたしは今の自分ができる最高の泣き笑いで言う。


「へへっ……あたし、なんだか失恋しちゃったみたいでっ……」


 涙の真意は分からない。でも、その言葉はしっくりと来た。


 頬を伝う涙は、まだ止まらない。


 でも、その涙で、嫉妬も憧れも罪悪感も、ぜんぶぜんぶが流れ落ちて、きっと泣き止むころには、自分の心にも今度こそ折り合いがついている。


 だから、あたしは瞼を閉じて、これまでの全てを思い浮かべる。


「ごめんなさい……ありがとう……それじゃあね……」


 謝罪と、感謝と、さよならを、誰にともなく呟いた。




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