第42話『盗賊の仕事Ⅰ』
アレックスとアイザックとは屋敷の前で別れ、僕は夜の王都を跳ねるように移動する。
塀を飛び越え、壁を走り、屋根から屋根へ飛び移れば、目的地までをほぼ一直線に進むことができる。
思えば、この移動方法は、まだ貧困街に居た頃に斡旋された初の“特殊”の仕事で使用したのが始まりだった。
「あの仕事では、アレックスに殺されかけたっけ……」
それが今では頼りになる同僚だというのだから、巡り合わせとは分からないものだ。
そうこう考えている内に、今夜の目標の一つたる貸金所が見えて来た。
夜明け前の深い藍色の世界に浮かび上がる白い建物は、金品を取り扱う貸金所というにはあまりに防犯意識を欠いた外観と構造を持っている。
大きな明り取り用の窓は数多く、外壁は硬さよりも色合いを重視した白石造り、その建物を囲う飾り柵すらも跨げるような低さである。
「まぁ、貸金所だってお店なんだし、見た目も重要なのかな?」
もはや盗む側からフォローしたくなる防犯意識だけど、そのお陰で幾分かの楽ができるのだからありがたい話だ。
そうして、今回の標的たる貸金所の観察を終え、向かいの建物の二階から地上へと降り立てば――。
「あれ、人だかりが……?」
まだ薄暗い貸金所の周辺には、労働者風の連中がひっそりと酒盛りをし、ゴロツキやチンピラがたむろして、浮浪者達が座り込んでいたり佇んでいたり……既に多くの人々が集まっていた。
これは、アイザックの言っていた“抗議行進”に参加する人員の内の先走った人達なのだろうか?
「これは予想外だな……」
しかし、嬉しい誤算でもあるかもしれない。
地下金庫室の壁を破る騒音を誤魔化すのにも、買収できそうになかった警備員達を撹乱するのにも、頭数は多く騒ぎは大きくなった方が好都合だ。
僕は人だかりを横目に、目深に被った帽子と口元を覆い隠す革製のマスクの位置を整えつつ、貸金所の裏手にある通用口へと向かう。
そして、その通用口の扉を、二回、一回、三回と叩き、ドアノブをガチャガチャと二回鳴らせば、掃除夫に扮した協力者の男が扉を開けて出迎えた。
「ああっ、ボス!アンタを待ってたんだ。なんだか外の様子が妙な塩梅だぜ?」
準備段階から僕のことをボスと呼ぶ協力者が、外の人だかりを指して言う。
それに対し、僕は間髪入れずに答えた。
「ああ、あれなら大丈夫さ、全ては予定通りだよ」
ここまでの人出は予想外だったけれど、余裕たっぷりにそう言い切って置く。
たとえ協力者であろうとも、外部の人間には弱気を見せるべきじゃない――これは、ルイーザからの教育と二年半の裏仕事で培った教訓だ。
協力者の彼は、さすがだな!――と小僧のような笑みを見せ、僕と共に薄暗い貸金所の中を行く。
通用口から狭い廊下を通って備品管理室へと入れば、部屋の隅に置かれたカンテラの下、直径一メートル程の穴がぽっかりと口を開いていた。
「いよいよだぜ、へへ……」
僕の隣で穴を覗き込む彼が、どこか感慨深そうに呟いた。
確かに、いよいよだ。ここまで長かった。この穴を掘るだけでも十日間も掛かっているのだ。その部分だけを取っても、失敗は許されないという気持ちになる。
だから、僕は穴を見ながら尋ねた。
「火薬と品物の運搬準備は万全かい?」
「おうよ、そっちもバッチリだぜ」
彼は大きく頷き得意気に説明を始めた。
「火薬の方は今仲間が穴に降りて設置中だ。そんでもって、品物の運び出し準備も――ホラ、指示通りに穴の上の天井に滑車を付けたから、それでガンガンお宝を引き上げるぜ」
僕はそれを確認して頷いた。
ここまでは予定通りに進んでいる。だから、後は実行に移すだけなのだが……。
『おっ……!はっ……っ!!』
突然、くぐもった途切れ途切れの声が耳に入り、僕と協力者の彼は呼吸を止めてお互いに顔を見合わせた。
僕は彼に向って、穴の中を指さす。
今の声は、穴の中で火薬を設置中のお仲間の声か?――と身振り手振りで尋ねた。
「いや……こいつは警備の連中の声だ……」
協力者の彼は、確信を持った囁き声で答えた。
だとするのなら、今耳に入った途切れ途切れの声はかなり切羽詰まった物のようだった。もしかして、警備の方で何事かが起きたのだろうか?いや、もしかして、バレたのか……?
一気に嫌な緊張感に包まれて、僕も彼も一切の動きを止めて耳に意識を集中させる。
すると、壁を何枚も通した遠くの方から、微かに聞こえてくる慌ただしい声と足音が……。
「おい、ボス。もう始まったのか?」
協力者の彼がこちらに尋ねてくる。
「分からない……でも、まだ合図は来ていないし……」
元より抗議行進の人員には外で騒ぎを起こしてもらう予定だ。
そして、その騒ぎによって、金庫の壁を破る騒音を誤魔化し、警備員を地下から引っ張り出す算段だった。
しかし、作戦開始の際に取り決めてあった外からの合図は、未だに確認できていない。
「少し、様子を見てくるよ……場合によっては直ぐに始めるから、君はお仲間に準備を急がせて……」
そう言い残し、僕は天職スキルである“無音歩行”と“気配感知”を発動させる。
二年半前には、スキルの並列発動などすれば処理が重くて手足の筋肉が痙攣を起こしていたけれど、今ではスムーズに発動し、何ら負荷を感じない。
僕はスキルを以って、音も無く通用口とは逆の貸金所の店頭方向へと忍び足を向けた。
すると――。
『お前ら下がれー!』『その柵からこちらは貸金所の敷地だぞ!』『誰か応援を読んで来い!』
外からは警備員のものと思しき大声が聞こえ、次の瞬間には店頭正面の出入り口が開き――。
「クソっ!なんだって休みのヤツが多い日に面倒事が起きるんだっ!」
店内に入って来た警備員が、悪態を付きながら店の奥へと駆けて行った。
たった今警備員ももらしていた通り、今日に限って彼ら警備員はその人数すらも少ない。
それは、僕らが事前に他人を介して買収し、休むなり辞めるなりをさせておいたから――。
そして、しばらく外の喧騒を聞きながら状況を見ていると、その外から馬の
「合図が来た!」
部屋に飛び込むなり、協力者にそう告げる。
「おう!ここからでも外の騒ぎが聞こえてくるぜ!しかも、地下金庫前の警備の連中だが、よりによって地下階段の扉を閉めて、全員で地上の応援に行ったみたいだぜ!」
もはや声を抑える必要さえなく、僕らは降って湧いた好条件に興奮する。
「よし!時間が惜しい!今直ぐやってくれっ!」
僕は逸る気持ちで火薬への点火を指示し、協力者達は待ってましたと導火線に火を点ける。
オレンジ色の光がジリジリと跳ねながら穴の中へと吸い込まれ、ドズズン……!という腹に響くような振動と音がして、貸金所の建屋が揺れた気さえした。
「けほっ……あ、穴は空いたかい!?」
穴から噴き出た煙を払いつつ、僕も協力者達と共に穴の中へと飛び込んだ。
「おおうっ!空いてるぜ!空いてやがるぜ!」
地下金庫室の分厚い石壁には、直径一メートル程の見事な穴が空いていた。
僕らは早速そこから金庫室内へと降り立った。
薄暗い金庫室内をカンテラの光で見回せば、狭い部屋の真ん中には大量の金の入った革袋が積まれてるのが見て取れた。
「へへっ、しかし本当にラッキーだぜ!警備員連中が階段の扉まで閉めて行きやがったから、余計に爆破音は外に聞こえないはずだ!」
協力者の男は興奮した様子で声を張る。
確かに、嬉しい誤算が続いているが、それでも油断は禁物だ。
「君達は早く運び出しに取り掛かってくれ。僕も次の準備に取り掛かる」
作業に取り掛かる協力者達を尻目に、僕は準備期間中にクレアさんが手配してくれた“警備服”に着替えた。
「運び出しが終わったぜ、ボス――」
さすがに地下ギルドから紹介された人材なだけあって、この手の仕事は慣れたものらしい。
協力者の彼は若干興奮気味ではありつつも、その動作には一切の油断も乱れもなく事を成し遂げたのだ。
「ああ、分かった。僕の方も終わったよ」
着替え終えた警備服の襟元を正しつつ、地下金庫室から備品管理室へと這い上がる。
「うーん……しかし、本当なら空けた穴を誤魔化したかったんだけど、さすがにこの大きさは無理か……」
途中で自分達の空けた穴を見て、ついついぼやいてしまう。
ここまで類稀な幸運に恵まれてはいるが、それでも全てが上手く行く訳じゃあないらしい。
そして、隠ぺい工作を諦めるのならば、一刻も早く金と協力者達をこの場から脱出させ、僕は次の現場に向かうのが賢明だ。
「それじゃあ、皆は掃除用具入れの手押し車に金を隠して運びながら付いて来てほしい。外にはもう逃走用の馬車も来ているはずだ」
あの作戦開始の合図でもあった複数の馬の鳴き声は、アイザックが手配した馬車の到着を知らせる物でもあったのだ。
僕は協力者達を先導し、狭い廊下を通って再び通用口まで戻って来た。
「何事もなければ、馬車が待っているはずだ……っ」
どこか祈るような気持ちで、僕は通用口の扉を開いた――。
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