第40話『準備』





 覚悟を決めてから一週間が経ったが、侯爵家の状況に変化はなし。


 侯爵家は王都にある資金源が二つ――カジノ・ゴールドラッシュとウルドベリー貸金所王都支店に対して無茶な送金を続けさせている。


 また、王国の遥か北の自領でも、小さな暴動や抗議行進が多発していて、しかも新当主様はそれらに対して全くの政治無策であるため、まるで収拾がついていない状況だ。


 こちらとしては、この好機を逃すことなく事を運ぶため、連日に亘って突貫作業での準備に追われていた。


「はぁ~……疲、れた……」


 そうして、僕の目の前ではルイーザが応接セットのソファーの上に力無く倒れ込む。


「大丈夫かい、さすがに休んだ方が良いんじゃないか?」


 ルイーザはここ連日、有力者との腹の探り合いと協力を取り付ける作業に追われており、今僕らの中で一番疲弊しているのは彼女だろう。


 しかし、当の本人は気のない返事をするばかりか、逆にこちらのことを気にして来る。


「アナタこそ、目元の隈がすごいわよ。外出する時はちゃんとクレアのメイクで隠しているんでしょうね?」


 微かに充血した目をじろりと向けられる。


 もはや、お互いに外出時の隠し化粧は必須の状態だ。


「ああ、もちろん。でもまぁ、僕の場合は早朝から深夜までずっと貸金所に掘っている穴の中だから、人に見られることもないけどね」


 というのも、今回の標的の一つである貸金所は、地下に金庫室を持っているタイプであり、出入り口は警備員常駐の階段が一つで通気孔の類もなし。さらには、騎士団から本職の騎士様まで派遣させているという厳重さ。


 そのため、こちらが選んだ手段としては、掃除夫として潜入させた協力者の手引きのもと、建物内の備品管理室の床から地下にある金庫室へと穴を掘り進めるという古典的なもの。


 金庫室に近付いた際の掘削音や石壁を破る音が悩みの種ではあったが、一応その対策も考えてはある。


「僕としては、目の隈よりも手のマメや腕の筋肉痛の方が辛いかな、はは……」


 自分でも爺むさい発言だと思い、乾いた笑いが漏れてしまう。


「まったく……本番で動けないなんてことにならないでよね」


 呆れたように言いながら、ルイーザが重たい動作で身体を起こす。


「カジノの方はどうするの? あそこは貸金所の地下金庫とは違って、地上八階の最上階フロアに金庫室があるんでしょう?」


 そう、貸金所に隣接するカジノの方は、何を思ったか最上階に金庫室が置かれている。そのお陰で、どちらも地下から穴を掘って侵入――という訳にも行かない。


「まぁ一応……地上から八階建てのカジノの屋上までを一気に上る方法を考えて準備してはいるんだ……でも、失敗したら確実に地面のシミになるような方法でね。できればやりたくはないけれど……」


 今の内から背筋がゾワゾワするようだ。


「なによそれ……本当に死んだりしないでよ?もしアナタに何かあったら、後でセリーナ様に詰められるのは私やクレアなんだからね」


 ルイーザが軽口とは思えない真剣な表情で睨んでくる。


「あ、ああ……もちろん死ぬつもりなんて微塵もないさ。ただ、空を飛ぶのは初めてだから少し緊張しているんだ」


 空を飛ぶ?と首を傾げるルイーザに、僕は一つだけ訂正をした。


「というか、確かにセリーナなら僕に何かあったら悲しんでくれるだろうけど、きちんと事情を話せば理解してくれるよ」


 彼女は聡明なんだ――と、最後は自慢っぽくなってしまった。


 しかし、ルイーザはこれ見よがしに溜息をつく。


「アナタねぇ……いえ、男なんてそんな物かしら……?」


 呆れたように首を振った後、人差し指を立てて言う。


「とにかく、無事に帰ってこその計画の成功なのだから、詰まらない怪我なんてしないこと。死んじゃうなんてもっての外よ」


 ピシャリと念押しされてしまった。


 確かに、疲れている所為か気が回らず、自分でも言葉選びが悪かったと思う。ネガティブな発言はダメだ。気が滅入るし、自分でも知らず知らずの内に悪い方へと向かって行ってしまうかもしれない。


「そうだね、ごめん。否定的なのは良くなかったよ。せっかく好条件が揃っているんだし……ルイーザの方も順調なんだろう?」


 現時点では一番大変であろうルイーザの進捗を尋ねる。


「ええ、侯爵家の落ち目は皆の知るところだし、お陰で順調よ。特に下位の貴族様達なんか、オルトベリーの新当主様の“批判性癖”の所為で、政策を潰されたことさえあるから恨みが深いわ」


 聞くところによると、オルトベリー家が新当主様――エレノア・ティエル・オルトベリーはかなりの曲者で、今は亡き先代侯爵様が存命の頃も、その名代として様々な議会に首を突っ込んでは片っ端から他者の批判を繰り返していたらしい。


 特に、有事における王都避難地図製作会議でのことは有名で、後から首を突っ込んで来てはダメ出しの嵐だったとのこと。


『このような物に国費を使うなど言語道断!もっと簡素なものに変えて質素倹約に努めなさい!貴族としての自覚が足りない!』


 と、扱き下ろしたと思えば――。


『このような貧相な地図は王都に相応しくない!予算をケチるあまり国威をないがしろにしている!貴族としての自覚がない!』


 と、逆のことを高圧的かつヒステリックに叫ぶ。


 そんなダメ出しの対応に追われた貴族様や高官達が何人も過労で倒れ、計画自体が頓挫したと言うのは有名な話のようだ。


「他人の足を引っ張ったり批判は張り切ってするんだけど、じゃあ自分が何かをするかと言ったら何もしない。政治の勉強すらしてないから、現状に至っても無策なんでしょうね」


 国を治める人材としては最悪の部類だが、敵対する相手とすれば悪くはない。もしこれが他の貴族様だったなら、僕は今日まで生き延びられなかったに違いない。


 いや――というか、他の貴族様だったなら、そもそも理不尽な報復なんてして来なかったか……?


「うーん……運が良いのか悪いのか……」


 自分の境遇に唸りを上げていると、他の面々も書斎へと入って来た。


「す、すみません。遅れちゃいましたか……?」


 と、クレアさん。


 それに、アレックスとアイザックが続く。


 結局、門番のアイザックも計画に加わった。危険だと説明したのだが、ここを辞めたらどちらにしろ地下ギルドのゴロツキに逆戻りだ――というので、準備を手伝ってもらっている。


「いいえ、今ちょうど僕らが報告をし終わったところなので、三人の番ですね」


 すると、早速アイザックから報告が上がる。


「そんじゃあ、俺から失礼して……馬車の手配の方は完了しましたぜ。後は抗議行進の方ですけどねぇ、地下ギルドの時の知り合いにも噂をまいたら一気に広まりまして、当日はどれくらいの人数が来るか予想が付きやしませんぜ」


 当日に集まる人数が多い分には構わない。むしろ盛大に騒いでくれないと困るのだ。


「わ、わたしの方は、レナードさんの書簡を地下ギルドに届けてきました。ギルド長の方が対応して下さって“了解”とのことです。それと、手配していた警備服の方が出来上がったので、後で確認して下さい」


 クレアさんの方も、これで頼んでいた仕事は完了だろう。


「最後は俺か……あんたも知ってるとは思うが、決行当日にカジノの屋上まで一気に上がるための仕掛けは完了だ。手配した火薬も一つは貸金所の穴の中へ。もう一つは当日に例の場所であんたに手渡す」


 アレックスにはその他にも、当日にカジノからの盗品を受け取ってもらう仕事があるけれど、ともかく準備の方は完了らしい。


 その後も、報告と確認が続いた。


「あ!それと、本番での配置なんですがねぇ――」


「それでしたらわたしが――」


「私とレナードはちょっと無理そうだから――」


「なら、そっちは俺が――」


 そうして、話し合う皆の顔には、疲労こそ色濃く出てはいるけれど、悲観的な物は一切感じられない。


 そして、そんな皆に対して、言いようのない頼もしさを感じるのだ。


 思えば、僕が誰かと共に裏の仕事をするのは今回が初めてのこと。


 もしかしたら、これが最初で最後になるかもしれないエイミー商会全員で当たる最大の裏仕事だ。


 泣いても笑っても、きっとこれが最後になる。


 僕の中では、漠然とそんな予感がしていた――。




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