閑話『数奇な直感』





 気が付くと、王都に来てから二年が経っていた。


 本来の俺であれば、もうとっくに騎士学校を卒業し正式な騎士として配属先も決まっていた頃合いだろう。


 しかし、俺は未だに騎士学校に入る前段階の“不適格者教育生”という不遇な立場に甘んじている。


「チッ、なんでこの俺がっ……!」


 屈辱に顔が熱くなり、震えるような怒りが込み上げて来る。


 当初こそ、“底辺から成り上がるのも悪くない――”などと、余裕を持って構えていた不適格者教育だったが、その内容がとにかく屈辱的なのだ。


 その内容も、早朝から校門前での声出し挨拶から始まり、授業の雑用から校内の清掃、厨房での雑用に食堂での配膳、そして、放課後には寮の共有スペースの清掃や買い出しなどが待っている。


 教育だなんてとんでもない、完全にただの小間使いである。


 こんな扱いは、騎士天職者である俺という逸材を無駄にしているとしか言いようがない。


 本来であれば、騎士学校など最速で卒業し、正式な騎士として成功を果たし、今頃は美しい貴族のご令嬢とデートの一つぐらいしていたはずなのだ。


 しかし、それがどうだ。目の前の現実は、俺はデッキブラシを手にトイレの床を清掃中――。


「クソッ!」


 俺は苛立ちを吐き出すように、近くにあった屑籠を蹴り倒す。


「おい!せっかく掃除したのに汚すなよ!」


 すると、一ヶ月前に入って来たチンピラ小僧が吠えて来た。


 コイツの家は片親で貧乏だったらしく、そのことを馬鹿にして来た連中と喧嘩三昧だったようで、そのことが入学検査時に引っ掛かりこの教育課程に来たらしい。


 だからなのか、全く口の利き方がなっていない。その片親の顔が見てみたいね。


「はっ――だったらお前が片付けろよ!俺はお前の先輩だぞ!」


 俺は騎士天職者の威厳を以って命令した。


「チッ、何が“先輩”だよ、余計な仕事増やすんじゃねーよ」


 すると、ぶつくさ言いながらも片付け始めるチンピラ小僧。


 その姿を見て、俺の中で“先輩”として指導してやらなければという使命感が燃え上がる。


「オラッ!ブラシもあるから床も磨けよっ!」


 ブラシの部分をチンピラ小僧の顔に押し付けながら命ずると、自分の中にあった苛立ちや鬱憤が清々しく浄化されて行くのを感じた。


「ぐわっ……ブッ……やめろっ……!」


 チンピラ小僧が必死にブラシを振り払う。


 それを見て、久しく感じていなかった気分の高揚を感じ、俺はブルリと身震いした。


 これは、良い……コソ泥レナードのヤツをぶちのめした時以来の充足感だ。


 しかし、そんな俺に対して、天はつくづく試練を与えたいらしい――。


「おい!そこで何をやっている!」


「君、大丈夫かい?」


 正規の騎士候補生が二人、俺達の間に割って入って来た。


 そして、コイツら何の苦労もなく騎士学校に入学した温室育ちのボンボン共は、その陳腐な正義感の下に、教官や職員共にチクりやがったのだ。


 当然、その後は教官や職員からの尋問を受ける運びとなる。


「またお前か、エミリオ……」


 そうして、呆れたように溜息を付く教官に対し、俺は力の限りに訴えた。


 先輩として仕事を教えていただけ。熱がこもり少しだけ言動が荒くなったが常識の範囲内。一部を目撃した候補生が大袈裟に言っているだけ。むしろ、トイレ掃除は俺が一人でやっていた。後から来た候補生に嫌がらせをされた――。


 とにかくデカイ声で叫び続ければそれが真実となって主張が通る――俺の両親による尊い教えだ。


 その教えによって、この二年間、同じような窮地を幾度となく切り抜けて来た。


 だが――。


「お前が教育課程に入ってから問題を起こすのはこれで五度目だ。そのため、騎士学校の規定により無期限の謹慎とする。尚、この謹慎中に問題を起こした場合、罪の大小に関わらず騎士訓練法に則り罰金及び禁固刑に処する」


 教官は淡々とそう告げた。


 罰金?禁固刑?何言ってるんだコイツ?俺は騎士天職者なんだぞ?


 理解が及ばず、頭の中には様々な疑問が渦巻いた。


「まぁ、何十年かに一人か二人、お前みたいな不良品の騎士天職者が必ず出るんだわ。お前も不運っちゃ不運だよ。お前みたいな人間の小さい奴が分不相応な立場に立つと、余計におかしくなっちまうんだろうな」


 教官は多分な憐れみをもって、この俺を不良品だと断じやがった。


 俺は激高し、我を忘れて怒声を上げた。


「クッ……クソがぁああっ!教官だから黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!教官って言う立場を利用しなきゃデカイ口叩けない癖に!お前ら最低のヤツらだ!」


「ははっ、百歩譲って俺らがそんな連中だとしても、お前こそ天職を盾に散々やらかして来たんだろ。だからこその不適格者なんだろうが」


 当然、俺はただコソ泥を退治しただけだ――と言い返したが、冷淡を浮かべた教官に頬を張られ、腹に一発、俺は騎士学校から蹴り出された。


「グゾッ……ひぎょうっ、な……っ!」


 不意打ちなど騎士のすることじゃない!


 それに、もし俺が愛刀を持った上での剣の勝負だったならば、間違いなくこちらが勝っていた。


 “騎士天職者の強さは装備の強さに依存する”――それは、紛れもなくこの騎士学校で覚えたことの一つだ。


 つまり、コソ泥レナードに盗まれたあの装飾剣さえ戻れば、この騎士エミリオに敵は居ないということ。


 俺は、卑劣な教官を睨み付けた。


 すると、その視線を受け教官がこう言った。


「ああ、それとな、俺も騎士天職持ちなんだわ。分かったな?じゃあ、さっさと消えろ――」


 俺は仕方なく、戦略的後進を決めた。


 だが、このまま引き下がるつもりはない。今日のことは、役所や騎士本部にチクって絶対に問題にしてやる――!







 そして、騎士訓練校の非道を各所に訴えること数日。未だに訴えは受理されず、謹慎も解除されていない状況が続いている。


 そうした不遇な状況下にあって、俺は返済金と色街代の捻出のため、ついには手頃なギルドに登録しての夜警の仕事すら始めていた。


「チッ、騎士天職者の俺がなんでこんな仕事を……」


 騎士天職持ちということもあり、日当は他の労働者よりも遥かに高く、担当地区も貴族様のお屋敷街とギルド内では一番良い場所にはなったが、それでも俺は不満だった。


 また、最近になって届く故郷の連中からの配当金の催促や、両親からの仕送りの無心などが、さらに俺を苛立たせている。


 だから、そんな折にまさか全ての元凶たるヤツの名前を見付けるなんて、夢にも思っていなかった――。


「エイミー商会、会長……“レナード”……?」


 それは、俺の担当する地区の物ではなかったが、夜警のために用意された地図と名簿の中に、忘れもしない忌々しい名前が載っているのを発見し、俺は動きを止めた。


 いや、待て。レナードなんて名前は良くあるし、アイツは単なる矮小で惨めなコソ泥なのだ。会長だの、屋敷だの、そんな成功はあり得ない。


 すると、たまたま通り掛かった同僚のオッサンが言った。


「ああ、その人な、ここ二年でデカくなった新興商会の会長さんだ。この職場でもかなり噂になったんだが、なんでも罪人職らしいぜ?スゲェ出世だよなぁ」


 罪人職――それを聞いた瞬間に、俺はオッサンに詳しい話や屋敷の場所を尋ねていた。







 後日、俺は前時代的で物々しい洋館が建ち並ぶお屋敷街の外れまで来ていた。


 オッサンから話を聞いた直後は少なからずショックを受けたが、これは現状を打破するチャンスでもある。


 もし、その屋敷を買った会長とやらが俺の知るコソ泥レナードの野郎だったのなら、俺は盗まれた物とそれに対する利子や迷惑料を支払わせることができる。


 正直に言って、俺の財政状況は少々マズい状況にある。


 必要経費たる色街代がかさみ、銀行と商工ギルドへの返済が遅れ気味で、故郷からの配当金の請求と実家からの仕送りの無心は、もはや三日置きに手紙が届くようになっている。


 切に金が必要だった。


 そして、やがては目当ての屋敷が見えて来る。


「え――これがっ……!?」


 それは、俺の想像を遥かに超える立派な邸宅だった。


「これを……俺の、物に……」


 無意識の呟きがもれる。


 そうだ。もしコソ泥レナードのヤツなら、俺がヤリ部屋として召し上げたヤツの実家のように、この屋敷と商会も献上するよう命令すれば良い。


 そもそも、コソ泥風情が会長だの屋敷だのと分不相応なのだ。そういった役どころは、騎士天職者である俺の方が相応しい。


 そう結論付けて、物陰から屋敷に視線を送れば――。


『それじゃあ、レナードも私も夕食までには戻るわね』


 絶世の美女が屋敷から出て来て、門の中に向かって声を掛けていた。


 今、その美女が“レナード”と言ったが、もはやそんなことは気にならない。


「す、すっげぇ美人……それに、あの身体っ……!」


 一見すると、ローザのような気位の高そうな印象を受ける美しさで、しかし、声や仕草には上品なやわらかさが見て取れる。


「もしコソ泥レナードのヤツだったら……あ、あの美女も付けさせる……!」


 それが可能か否かは置いておいて、今はただ彼女とのめくるめく妄想に没する。


 是非とも彼女に、色街で鍛えた“成果”を披露したいところ。


 そして、この日より、俺は仕事も返済もそっちのけで、この屋敷を見張ることにしたのだ。


 それこそが、現状を打破する近道だという自分の直感を信じて――。




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