閑話『諜報活動』
王国の北に位置する広大な大地――ウルドベリー地方。
誰もが知る王国神話によれば、かつて地上に舞い降りた豊穣の女神が運命の果実を授けた地だとされている。
「まぁ、実際は年中氷と雪に覆われた貧しい土地なんだけど……」
そして、そんな誉れある貧しい大地を統治するのはオルトベリー侯爵家。
私にとっては、アンジェラお嬢様に手を出されたことに対する恨み辛みがある怨敵と言っても良い存在。
そんな存在だからこそ、私が日々行っているオルトベリー侯爵家への動向調査にも、ついつい熱が入ってしまうのだ。
「ふぅん、領民を締め上げて宝剣の製作費を捻出したいのかしら?」
エイミー商会本部の書斎にて、ここ最近のオルトベリー家による強引な政策の様子が記された資料に目を落とす。
現在のウルドベリー地方では、様々な理由を付けての特別徴税や二重課税が課せられ、希少金属を採掘している鉱夫への賃金も遅れ気味になり、一部の町では食糧すら配給制になっている場所もあると言う。
「うーん……確かに爵位の継承式典は一年以上も延期のままだし、新当主様が焦るのも分かるけど……」
さすがにこれは生急過ぎじゃないだろうか?
こうなってしまうと、現状の行き着く先で新当主様が何をするか分からないのが怖くなって来る。
「まぁ、それも踏まえて、私達が侯爵家でも簡単には手出しできないくらいの存在になるしかないのよね」
現状、エイミー商会の仕事の方は順調で、手堅く利益と勢力を伸ばしている。
特に裏の仕事の方なんて、私とアレックスからスキルの手解きを受けたレナードが目覚ましい成果を上げ続けているため、今では地下ギルドや商人だけにとどまらず、王都の下級貴族からもお声も掛かるようになったのだ。
でも、それでもまだまだ足りない。
何せ、相手は正式に爵位を継承していないとはいえ侯爵家。資金力も組織力も武力も、犯罪天職者の集まりでしかないこちらとは桁が違うのだ。
それに、いざとなったらアンジェラお嬢様のご実家だって頼れない。いくらターポートを統べる大商人とは言ってもその身分は平民に過ぎず、最終的には貴族の強権の前には従わざるを得ない。
「こちらも色々と工作はしているけれど……とにかく王都からウルドベリー地方って遠いのよねぇ」
それに、当然こちらとしても尻尾を掴まれたくないから地味な工作になる。
細心の注意を払いつつ秘密裏に王都からウルドベリー行きの商隊の情報を山賊に流したり、王都でオルトベリー家の困窮や圧政の噂を立てたり……現状ではそんな手しか打つことができない。
「はぁ……ウルドベリーで暴動でも起きるか、宝剣が用意できなくて自滅してくれないかしら……」
もちろん、静観しているだけでそうなる可能性だってある。
しかし、そうなると、結局は姿を曝してまでの妨害工作は憚られ、地味で小さい工作を重ねつつ自分達が力を付けるしかない。
「ん~……」
そうして、私が唸りをもらしていると――。
「あの、ルイーザさん、そろそろ支度をしませんか?」
小綺麗な格好をし、出掛け支度を済ませたクレアが顔を覗かせた。
「あ、ごめんなさい。もうそんな時間だったのね」
私は急いで身支度を始めつつ、チラリとクレアを盗み見る。
思えば、彼女とは役所の地下で挨拶を交わしたのが最初で、それ以降は顔を合わせることもなかった。それが、今では同僚という立場にある。
斡旋施設での同期は何かと仕事でかち合いやすいとは聞いたけど、レナードやアレックスも含めて、ここまでの関わり合いになるなんて、本当に奇縁だと思う。
そして願わくば、この縁が永く続いてほしい――。
「お待たせしてごめんなさい。それじゃあ、行きましょうか」
私は、クレアと共に屋敷を出た。
◆
身支度を終えたルイーザさんは今日も綺麗で格好良い。
背が高くて引き締まった身体と、そこに実る女性らしい膨らみは、同じ女のわたしから見ても魅力的……。
セリーナさんとどっちがすごいだろう――なんて自然と考えてしまって、今や正式に司祭様ともなった医術院筆頭、そして、わたしの命の恩人でもある方に不敬だと
「それで?私達二人共おめかしして、今日はどこへ行くのかしら?」
手配して置いた馬車に乗り込むなり、ルイーザさんが聞いて来た。
聞かれたことに対して、それはそうだよね……と思う。
今日はわたしの用事に付き合ってもらう約束だったんだけど、ルイーザさんは今の今まで何も聞かずに了承してくれたのだ。
それを思うと、心苦しくなって来る。
「え、えへへ……それは着いてからのお楽しみということで……」
無理矢理に笑みを浮かべると、口の端がピクピクした。
でも、目的地に着くまでは言わない約束になっているから――ごめんなさい、ルイーザさん。
「そうなの?なら楽しみにしているわ」
ルイーザさんはわたしの怪し過ぎる態度にも、特に気にした風もなく流してくれた。
だからこそ、余計に自分の行いに心苦しくなってくる。
だって、今から向かうのは、わたしの“本当の雇い主”のところ――そう、結論から言ってしまえば、わたしはエイミー商会に対して諜報活動を行っている。
エイミー商会に入ってからずっと、そこで得た内部情報を流し続けていたのだ。
そして、その見返りは、わたしの免罪状の保証人と推薦人になってくれること。
もう弟の結婚式まで一年を切っていて、斡旋施設商会の“特殊”の仕事を自力でこなせないわたしにとって、その話はまさに千載一遇の機会だった。
もちろん、どんな理由であれ、わたしのやっていることは、商会の皆に対する裏切り行為になるのだと思う。
それに、今もこうして騙し討ちみたいにルイーザさんを連れて行くわけで……。
「あら、中心街で止まるのね」
やがて、馬車が停まった。
「あ、はい、着きましたね……」
そして、馬車を降りれば、目の前には白亜の豪邸が――。
槍を模した巨大な鉄格子のアーチ門と、広大な敷地を囲う背の高い飾り格子の柵は左右にどこまでも続いていて、その柵の外側と内側には、制服を着た騎士様達が等間隔に並んで立番している。
「群青の制服……?」
騎士様の制服を見て、ルイーザさんが呟いた。
きっと、もうこの豪邸がどういう関係の施設なのか、見当が付いたんだと思う。
「ふぅん、なるほどね……どうしてここに来たのか、誰かと合わせてもらえるのか、楽しみだわ」
ルイーザさんがニヤリと笑い掛けて来る。
「う……こ、こちらです……」
当て擦りの意味はないんだろうけど、わたし自身に後ろめたさがあるから余計に弱ってしまう。
わたしはルイーザさんに先立って、門番の騎士様のところに行き用件を伝えれば、そこからは四人の騎士様に囲まれて白亜の邸宅まで案内される。
騎士様が巡回する整備された広大な庭園を通り、彫刻が施された美術品のような円柱が立ち並ぶ玄関口をくぐり抜ければ、天井の高い玄関ホールへと着いた。
「ようこそいらっしゃいました。ここより先は私共がご案内させて頂きます」
案内は騎士様から女性の使用人達へと引き継がれ、今度は邸宅内を移動し目的の部屋へ。
邸宅内はやはり純白の神殿のようで、靴底で叩く床は鏡面のような大理石。そして、左右の壁には神話を描いた絵画や彫刻などが飾られている。
「すごいわね……」
さすがのルイーザさんもチラリと視線を走らせ呟いた。
単なる村娘のわたしからすれば、エイミー商会のお屋敷だってすごいけど、ここはもうお城の域だと思う。
やがて、そんなわたしとルイーザさんの前に、両脇に二人の使用人が控えた大きな扉が現れた。
「お客様をお連れしました。入室の許可を頂いて下さい」
わたし達を案内してくれた使用人が、扉の両脇に控えていた使用人に声を掛ける。
すると、扉脇に控えていた使用人の内の一人が「少々お待ち下さい」と残し扉の中へと消え――直ぐに戻って来た。
「お待たせ致しました、どうぞ中へ――」
扉を両脇の二人掛かりで開いてくれ、頭を垂れながら入室を促してくる。
こうされるのは何度目かだけど、この雰囲気や他人に頭を下げられるのには全然慣れる気がしない。毎度毎度おトイレに行きたくなってしまうような心持ち……。
「行きましょうか」
隣のルイーザさんは自然体でこちらに気を使ってくれて――これじゃあ、どちらが連れて来たのか分からない。
しかし、それでも頑張って、頭を下げる皆さんの中を通り部屋へと入れば――。
「あら、いらっしゃいませ」
白金の長髪が揺れる。
そこには、白亜の豪邸よりも純白な、わたしの雇い主様が待って居た。
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