第35話『事後』





 次に目が覚めた時、僕はベッドの上だった。


 視界の眩しさから判断して、今は朝か昼なのだろう。


「ここは……?」


 首だけ動かし辺りを見渡せば、天幕付きのベッドや猫足のソファーが目に入り、周囲の壁には絵画や彫刻などの美術品が飾られて、またその一角には立派な暖炉まで備えられていた。


「あの、紋章は……」


 その豪華な部屋の中でも一際目に付いたのが、暖炉の上に掲げられた特徴的な形をした紋章。


 それはどこか見覚えのある形で……果たして、どこで見たのだろうか?


 僕はその紋章をもっと近くで確認するべく、ベッドから身体を起こそうとする。


「あ、れ……っ」


 しかし、身体は言うことを聞かず、僕はここに来て初めて、自分の身体の異変に気が付いた。


 だって、喉は痛いし鼻は詰まるし、全身の熱さとか怠さとか、身体の節々の痛みなんてもう――。


「あら、起きたのね」


 そこに、声が掛けられた。


 僕が頭を動かしそちらを振り向けば、ゆったりとしたネグリジェ姿の艶やかな女性――ルイーザがそこに居た。


「まだ動いちゃダメよ、アナタ熱があるんだから」


 ルイーザは僕の変調に対する答えをくれながら、ガラスの水差しを手にベッドの脇に腰掛ける。


 すると、ネグリジェのフリル越しからでも分かる臀部の丸みに、こちらに向かって捻られる引き締まった腹部、さらには、服の胸元を押し上げる大きな胸が目に入り……。


 つい、セリーナとどちらが大きいだろう――なんて邪な考えが浮かんでしまう。


 そんな魅惑的な身体が傍に来て、甘い香りがふわりと舞うのだ。


 それはもう別の意味でくらくらしてしまいそうで、僕は僅かに視線を外した。


「ふふっ――色々と聞きたいことはあるとは思うけど、まずは水を飲んで?」


 水差しの先が、僕の口元に差し出される。


 それに対して僕が一瞬だけ戸惑ったのは、毒を疑ったのではなく、単に気恥ずかしかったから。


「なぁに、照れてるの?何だか意外ね」


 さっきからこちらの心情などお見通しらしく、彼女は軽やかに笑う。


 というか、意外とはどういう意味なのか……とは思ったけれど、何か藪蛇にならないとも限らないし、僕は黙って水差しを受け取り中身を飲み干した。


 冷たい水はヒリヒリと痛む喉と熱を帯びた身体に心地良く染み渡るようで、幾分か気持ちも身体も楽になった気がする。


「ふぅ……美味しかったよ、ありがとう」


 先程より声も出るようになった。


 だから、まずはルイーザにきちんと言って置かなければならない。


「今回のこと、助けてくれて本当にありがとう。ルイーザのお陰で命拾いしたよ」


 ベッドの上で恐縮だが、僕は半身を起こしてできうる限りに頭を下げる。


「はぁ……元はと言えば、こっちが自分勝手にアナタを巻き込んで、囮にして、全部を擦り付けた所為なのよ? だから、お礼なんてやめて――」


 そう言って、ルイーザは腕組みしながら顔を背けた。


 自分の行いを辛辣に語るところや、横顔から覗く長い睫毛が小刻みに震えているところを見るに、彼女なりに罪悪感を覚えているのかもしれない。


 だとしたら、あまりしつこくお礼を言うのは酷というもの。


 だから、僕はもう一度部屋の中を見渡しながら話題を変えることにした。


「えっと、ここはどこなのかな?それと、僕はどれくらい寝ていたんだい?」


 すると、ルイーザがこちらに向き直って教えてくれる。


「ここは王都にあるガリウス教国大使館の関連施設で、アナタが仕事を終えてから二日が経っているわ」


 ガリウス――ああ、それで思い出した。確かに暖炉の上の紋章は、まだ王都に来る道中のエイミーの町でガリウス人の冒険者が持っていた首飾りと同形だ。


 そして、僕は二日間も寝込んでいたらしく、しかもその間の僕の世話は全てルイーザがやってくれたと言う。


 その事実に対し、僕が謝罪とお礼を述べれば――。


「うふ、それは良いわ。お陰でアナタのことを本当に隅々まで知れたもの」


 科を作って妖しく微笑むルイーザ。


 以前に貧困街の屋上にてアンジェラを攫いに来た時とは雰囲気が偉い違いだし、もしこちらの方が平常なのだとしたら色々と大変だ……。


 僕は自分の顔の火照りは熱の所為だということにして、話を進めることにした。


「え、えーっと……じゃあ、アンジェラは無事に両親の元に帰れたってことで良いんだよね?それと、君の誘拐の手配の方は大丈夫なのかい?」


 その問いに、ルイーザが優し気な笑みを浮かべた。


「次に聞くのがお嬢様と私のことなの? アナタってやっぱり変わってるわね」


 ルイーザは清らかに笑いながら教えてくれる。


「ええ、お陰様でアンジェラお嬢様は無事に帰れたわ。それと手配の方だけど、現在アナタのも含めて、ターポートの大商人でもあるお嬢様のご両親が、ガリウス国を経由して取り下げに動いて下さっているところね」


 王都の教会組織である斡旋施設と医術院もそれに同調していることから、おそらく近日中には手配も取り下げられるだろうとのこと。


 そういえば、僕が地下牢に捕まった際に黒服が、“他国を通じてアンジェラ嬢の両親からの訴え――”と言っていたけれど、その他国というのはガリウス国のことであったらしい。


「宗教国のガリウス国と取引できるだけでもすごいのに、そんなコネまであるのかぁ……」


 それなら確かに、僕がガリウス国の関連施設に居る現状や、これまでの様々な手配や根回しについても納得だ。


「でもさ、今回の侯爵家への盗みの仕事や後始末のこと、実際に裏で動いて手を回してくれたのは君なんだろう?」


 今回、僕が侯爵家への盗みを決意して、地下ギルドを使い情報収集を始めた頃、その地下ギルドを通じて、僕に“侯爵家の宝剣と引き換えに事後処理を引き受ける”という取引が持ち掛けられた。


 当然、最初は怪しんだけれど、地下ギルドの元締めからの勧めもあって、最終的には取引に乗ることにしたのだ。


「取引が持ち掛けられたタイミングとか、地下ギルドの元締めがターポートまで行って協力の話を詰めて来たのも早過ぎたし、事前に全部準備していてくれたんじゃないか?」


 すると、ルイーザは小さく溜息を付いて言った。


「ええ、概ねそうね。特にタイミングについては、怒らないでほしいのだけど……実は、アナタが捕まったその後も、教会や騎士団や侯爵家の同行を探るために、ある程度の動きは把握していたの……」


 直ぐに助けなくて本当にごめんなさい――とルイーザは深々と頭を下げた。


 確かに、こちらは痛い思いも怖い思いもしたけれど、誘拐犯にはならずに済んだし、ルイーザは自分の仕事を全うしただけで、そもそも僕を助ける義務はない。


 にもかかわらず、最終的にはこうして助けてもらったのだ。


 そのことを伝えると、ルイーザが僕の手を取り言った。


「私はアナタがアンジェラお嬢様に良くしてくれたことも、私が囮にした所為でどんな目に遭ったかも、後から聞いて知っているわ」


 真剣な表情でこちらに身を寄せて来るルイーザ。


「だから、私にして欲しいことがあったら言って欲しいの……もちろん、私にしたいことでも良いけど……?」


 耳元で妙に艶めかしく囁かれ、思わず喉が鳴ってしまいそうになる。


 いやいや、駄目だ駄目だ。負い目に付け込んで不埒なことをしたら、セリーナに顔向けできなくなってしまう。


 僕はさっきからこればかりだけど、話題を変えた。


「あ、そういえばっ、侯爵家の方はどうなっているのかな?」


 すると、ルイーザは軽い調子で「残念」と呟きながら身を離し、サイドテーブルの上から新聞を取ってベッドの上に広げた。


 そこに書かれた見出しはこうだ。


『オルトベリー家が新当主様の爵位継承式典延期。いったい何が――?』


 延期?と僕が首を捻ると、ルイーザが説明してくれた。


「間違いなく宝剣が無くなったことが原因ね。辺境伯以上は国王様から認められた宝剣や聖剣を家宝として持っていて、それは今回の継承式典に関わらず、貴族様には必要不可欠な物なの」


 なるほど……というか、もうこんな記事が出ると言うことは、僕があんなに苦労した盗みの発覚を遅らせる工作は、どうやら二日と持たなかったらしい。


 まぁ、全てが上手く行く訳がないのだけど……。


「うーん……でも、だとしたら、どうして無くなったことを公表しないんだろう?」


 盗まれたと分かったのであれば、騎士団なり役所なりに届けを出したりして、犯人を捕まえ宝剣を取り戻そうと動くのが普通なんじゃないだろうか?


「そうね、それについては、恥とか外聞とか色々理由はあるでしょうけど、一番は爵位の継承前に国王様から認められた家宝を盗られただなんて、そのまま爵位を取り上げられかねない失態だから、むしろ隠蔽したいんじゃないかしら」


「そっか……だとしたら、今回の筋書きは、色んな条件が重なった上での妙手だったんだね」


 本来なら、王都より遥か遠くのオルトベリー領の本宅にあるはずの宝剣が、継承式典のために王都の侯爵邸にあり、その邸宅も長年の平和によって警備はザルで、いざ盗難被害が発覚しても公爵家は口を噤み手を打ちかねている。


「ええ、そしてその筋書きを描いたのが、アンジェラお嬢様のご両親とガリウス国の外交官よ。今後の私達のスポンサーになって下さる方達ね」


 なるほど……ん? 今後? 私達?


 僕はまじまじとルイーザを見た。


「うふふ、同僚という訳でもないけれど、末永くよろしくね?」


 その言葉に、また熱が上がって来た気がした――。




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