第34話『脱出と救出』





 現在、僕の前には宝剣と宝石類で一杯になった道具袋がある。


「結構重いな……」


 持ち上げてみると、手首にズシリと来る重量。


 さすがに盗り過ぎかとも思ったけれど、帰ってから色々な人に支払いもしなければならないし、侯爵様には悪いけど、遠慮は無しの方向で行くことにした。


 そして、今度はその盗品を運び出す準備に取り掛かる。


 帰りはまたあの穴を通って脱出するのだが、宝剣や宝石袋を持って潜り抜けることはできない。


 だから、僕は用意して来た“鋼糸”を、それらの盗品にしっかりと巻き付けて行く。


 これは、まずは自分が通気孔から外に脱出して、その後に巻き付けた鋼糸を手繰り寄せて盗品を回収するからだ。


 だから、通気孔の中で鋼糸が取れないように厳重に固定する。


「いてて……」


 そうして盗品の回収準備が終わると、外れたままの肩が痛んだ。


 肩口がズキズキと痛むけど、まだもう一つ仕事をしなければならない。


 ひるがえって、今度は宝物庫の正式な出入り口であるアーチ状の鉄扉に目を向ける。


 ちょっとやそっとじゃ壊れないだろう頑丈そうなそれは、宝物庫の扉として相応しい重厚さが見て取れる。


「えーっと……あ、やっぱりこっち側に押して開ける扉なんだな」


 これは図面でも確認したことだけど、この扉の向こうは直ぐに階段となっており、この鉄扉を引いて開けるスペースがない。そのためか、鉄扉は宝物庫内側へと押して開く構造となっていた。


 ならば――と、僕は鉄扉から対面の石壁までに、宝物庫内の荷物をぎっしりと隙間無く積んで行き、つっかえ棒のようにしてしまうことにした。


「はぁ、はぁ……こ、これなら、そう簡単には開かないはず……」


 扉が開かなければ、盗みの発覚だって遅れることだろう。


 そして、僕は今一度やり残しがないかを見回してから、早々にこの場を脱出することにした。


 またあの地獄のような穴を通ることを考えると、体力的にも時間的にもこの辺りが限度だ。


 僕は通気孔の近くへと盗品を持って行き、盗品に巻いて固定した鋼糸とは逆の先端を自分の足首に括りつけた。


「さぁ、行くぞ……っ」


 気合を入れて、いざ穴の中へ――。


 すると、やはり潜入した時と同様、肩は痛いし息苦しいし何も見えない……。


 でも、虫や蜘蛛の巣は無くなっており、行きよりも格段に速く通気孔を抜けることができた。


「ふぬっ……!」


 最後の一踏ん張りで、狭苦しい地獄の穴を抜け出せば、そこには夜明け前の濃紺の世界が広がっていた。


 澄んだ空気と広い空間……その何もかもが懐かしく感じられる程だ。


「っ――はぁぁ~っ……!」


 僕は鼻孔で朝と夜の境目の香りを堪能し、まだ侯爵邸の敷地内だと言うのにホッとしてしまう。


 いや、浸っている場合じゃない。さっさと宝剣と宝石袋を回収しないと……。


 僕は足に巻いて来た鋼糸の先端を取り外し、それを持って慎重に手繰り寄せた。


 ザリザリと通気孔内を這う音が近付いて、こちらの手元までやって来る。


「もう、ちょいっ……ぃよしっ!」


 無事に盗品も回収完了し、僕は思わず拳を握った。


 ここまで華麗さの欠片もなく、泥臭さ満載だった今回の仕事も、とりあえずは成功と言って良いんじゃないだろうか。


 だから、後は帰るだけだと力強く立ち上がろうとした、その瞬間だった――。


「あ、れ……?」


 急にガクリと膝が折れ、身体中の力が抜け落ちた。


 手足がしびれて全身が重く、目蓋の痙攣と視界の明滅、さらには頭痛とめまいにまで襲われる。


 これは、幼い頃に炎天下での野良作業をしていた時にも経験したことのある苦しさだ。


 あの時は、どう対処したんだっけ……?


「まず、ぃ……っ」


 まだ侯爵邸を脱出できていないというのに、こんなところで倒れる訳には行かないのだが、如何せん身体に力が入らない。


 しかも悪いことに、発動中だったスキル『気配感知』で、真っ直ぐにこちらへと向かって来る気配を二つ程感じた。


 僕は朦朧とする意識で、傍にある植え込みの中へと這って行く。


 そして――。


「あれ、さっき見えたのってこの辺りだったわよね? いないんだけど……」


「俺らの気配に気付いて隠れたんじゃないのか……」


 微かに聞こえるのは男女の声。


 その声に、僕はつい息をもらしてしまう。


「ぇ……?」


 だって、それはどちらも聞き覚えのある声だったから。


「うん?――ああ、そこに居たのね、迎えに来たわよ……」


 僕の隠れる植え込みの前にしゃがみ込み、覗き込んでくる艶やかな女性。


「る、いーざ……?」


 すると、彼女は頷きながらも僕を植え込みから引っ張り出した。


「よいっしょっ……と、身体に力が入ってないみたいだけど、大丈夫かしら?」


 黒ずくめのルイーザが再度覗き込んで来る。


「おそらく脱水状態だな。こいつは俺が運ぶから、あんたは荷物を頼む」


 そんなルイーザの疑問に答えたのは黒頭巾の男。


 彼は僕から宝剣と宝石袋を取り上げて、ルイーザに投げ渡した。


 ああ、その姿と声には覚えがある。


「あれっ、くす……?」


 そう尋ねると、彼は「無理にしゃべるな」とだけ言って、僕を肩に担ぎ上げた。


 そこからは、いったいどんなスキルなのか、ルイーザもアレックスも常人では考えられない身体能力で荷物や僕を担いだまま高い塀を乗り越えて、難なく侯爵邸から脱出してしまった。


 僕はあれだけ苦労したと言うのに、この二人はこんなにあっさりと……。


 そして、アレックスに担がれて移動することしばらく、侯爵邸から見えない位置まで来たところに、一台の馬車が停まっていた。


「じゃあ、俺の仕事はここまでだな」


 アレックスはその馬車の中に僕を荷物の如く放り込む。


「ええ、本当に助かったわ」


 それだけ言うと、ルイーザも馬車に乗り込んで来て扉を閉めてしまった。


 僕も、彼に一言くらいお礼を言いたかったのだが……。


 霞掛かる頭でそんなことを思っていると、僕らを乗せた馬車がゆっくりと動き出した。


「さぁ、まずはこれを飲んで?」


 ルイーザが傍に寄って来て、ガラス瓶の口を近付けて来た。


 中身は水か何かだろうか?


 僕はその瓶を受取ろうとするけれど、手が震えて力が入らず上手く掴めない。


「無理に持たなくて良いわ、私が飲ませてあげる。だから、まずは私の膝の上に頭を乗せて――」


 こちらは身体の自由が利かないためされるがままになってしまうけど、そのガラス瓶の中身は本当に飲んで大丈夫なんだろうか?


 一瞬、過去の扱いが脳裏を過って躊躇うと、ルイーザが頭上で苦笑いを浮かべて見せた。


「安心して、罠とかじゃないから。アナタは私とアンジェラお嬢様の恩人なのだし、変な真似はしないわ。それに、裏の業界では恩や借りは返して置かないと信用問題になるでしょう」


 色々と聞きたいことはあるけれど、とにかく飲んで大丈夫だと言う。


 まぁ、何にせよ、目の前に飲み物を差し出されてはもう僕の喉の渇きも限界だ。


 僕は瓶の口に吸い付くようにして、その中身を飲み干した。


「ぷはっ――あ、りがとう……たすかった、よ……」


 まだ身体に力は入らないけれど、喉の渇きは癒され声は出せるようになった。


「そう、なら良かった。色々聞きたいことはあるでしょうけど、それは後で説明するわ。とにかく今は休んで――」


 そうは言うけど、さすがにこのまま膝を借りている訳にも行かない。


 僕は何とか動こうと頭を浮かせる。


「あ、ダメよ、まだ動かないで。このまま休みなさい」


 ルイーザは僕に目隠しをするように手を添えて、もう片方の手では頭を撫で始めた。


 すると、それに応じて頬に押し付けられる艶めかしい腿の感触と女性特有の甘い香り……。


 本来なら、含羞であったり緊張であったり、頬を熱くしてドキドキとする場面なのだろうけど、今の僕は精も根も尽き果てて文字通りに枯れている。


 それに、なぜ彼女が直接助けに来てくれたのか、誘拐の手配はどうなっているのか、この馬車がどこに向かっているのか――様々な疑問もある。


 でも、今は――。


「大丈夫だから、安心して……」


 目元を覆う彼女の手の温かさと、頭を撫でる手付きの優しさにまどろんで行く。


 ああ、さすがに限界らしい。


 身体中が、休め、と言っている。


 やがて、僕はその意識を手放したのだった――。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る