第33話『盗賊の仕事Ⅱ』
その日、全ての準備を終えた僕は、仕事までの時間をのんびりと過ごしていた。
安宿の一室で昼近くまで眠り、地下ギルドで紹介された温浴施設で湯浴みして、最後の晩餐とばかりに少し値の張る食事にも出掛けた。
そして、その帰り道のこと――。
ふと、裏通りから覗いた表通りの光景に、僕は足を止めた。
その瞬間の表通りは、黄金色の夕焼けに照らされ輝くようで、その光の中を買い物籠を持った親子連れが歩いている。
「三人家族かな……?」
僕にはもう手の届かなくなってしまった日常風景。それは羨ましくもあり、微笑ましくもあり、物悲しくもあるけれど、だからこそ今の僕には胸が詰まるくらいに美しく感じられた。
しかし、それも今日で見納めとなるかもしれない。
だから、僕は帰り路で目に映った全ての日常風景を、しっかりと目に焼き付けるのだった。
◆
そして、深夜――。
夜闇の世界、盗賊の時間がやって来る。
僕はスキルを使って夜のお屋敷街を駆け抜ける。
一応、今夜を迎えるに当たり、悪徳騎士様に賄賂を渡して再度確認してもらったが、やはり僕への手配は、教会側が取り下げようと動き、侯爵側がそれを阻止している状況らしい。
「はぁ……一瞬でも、“新当主様と話し合いで解決を~”なんて考えてた自分が恥ずかしいよ……」
そもそも話し合いを提案できるのは、相手よりも強い力と有利な状況が合わさった時だけだ。
命を奪う覚悟で対峙している相手に対し、こちらに戦う力がないから話し合いましょうというのは馬鹿げている。
それに、例え話し合いの場が設けられたとしても、侯爵様を相手に上手く交渉する能など僕にはない。
悲しいかな、僕が他人並み以上にできるのは、精々が盗むことくらいなのだ。
今回の仕事だって、盗み以外のことは協力を約束してくれた人達に全て任せている状態だ。
途中で売られるリスクを考えるなら、交渉だの手配だの匿い先だのといった全てのことを、自分だけで行える全能があればと思うけど、ただの盗賊である僕にそんな能がある訳もなく、切り捨てられるリスクを承知で他人を頼らざるを得ない。
そんな取り留めもないことを考えながら、お屋敷街を移動していると――。
「あれか……!」
やがて、目標である侯爵様の邸宅を視認した。
よし――ここから先は、余計な思考は一切無用。善悪とか後先とかも置いておいて、ただ目標物を盗むことだけに集中する。
覚悟を決めた僕は、素早く侯爵邸へと近付いた。
「すごい塀だな……」
僕の背丈の倍以上はあろうかという高い塀は、威圧感があってまるで城壁のようだ。
そんな塀を前に、僕は意識を集中させて、スキル『気配感知』を発動。それで周囲と塀の向こう側の気配を探った。
「大丈夫そう……かな?」
人の気配は感じない。
ならば――と、今度はスキル『軽業』と『無音歩行』に切り替えて、その高い塀を登って行く。
「ふっ……減量して、おいてっ……良かったっ……!」
今回の仕事を行うに当たり、僕は対象の調査から必要な訓練、体重調整など、入念な準備をしてここに来た。
その甲斐あってか、何とか音を立てずに高い塀を登り切り、侯爵邸敷地内への侵入に成功した。
僕は敷地内へ降りると、直ぐに近くの植え込みに身を潜めた。しばらくそこから動かずに、敷地内の様子を観察する。
「やっぱり警備は多くないな……」
そこは事前情報の通りだった。
僕は闇夜に目を凝らし、そこに浮かぶカンテラの光で警備の位置を把握して、発動スキルを『無音歩行』と『気配感知』に切り替えてから動き出す。
地を這い、息を殺し、警備兵をやり過ごし――僕は目標地点である屋敷の裏手までやって来た。
そして、ここに来る途中、カンテラを持った警備兵以外の気配を要所要所の暗がりから感じたけれど、おそらくその気配こそが見てくれではない本物の警備兵なのだろう。
そして、それらに僕が泳がされているのでなければ、ここまでは予定通りで成功だ。
「ふぅ……これか……」
小さく息を吐き、僕は屋敷の裏手の床下にある通風孔を確認した。
悪徳騎士様から賄賂によって手に入れた図面では、この通風孔から先数メートルの地点、ちょうどこの屋敷の地下ど真ん中くらいに位置する場所に、宝物庫があると言う。
それにしても、ここに入るのか……思っていたよりも、ずっと狭そうだな……。
実際の通風孔を前にすると、その小ささと暗さに尻込みしてしまう。
だけど、いつまでもこうしては居られない。
「よし……行くんだっ……!」
声にならない声で気合を入れて、僕は腰に巻いていた薄い道具袋を、足首の方に巻き付けて移動させる。
一応、この通風孔に関しては、事前に何度も図面で確認し、同じサイズの木枠を作って予行練習を重ね、少しでも通りやすいようにと減量までして来たのだが、それでもこのままでは通れない。
だから、色々と考えたのだが、結局この短期間かつ僕一人で解決する方法は、これしか思い付かなかった。
僕は片方の肩に手を当てつつ、そのまま屋敷の石壁に向かって肩から体当たりをした。
すると――。
ゴグンッ……!という怪音が、僕の体内に響き渡った。
「ぃぎっ……ぃっ……!」
僕は、肩の関節を外した。
地下ギルドに紹介された闇医術師の指導の下で、一度は経験しているけれど、この痛みと気分の悪さには気が遠くなりそうだ。
でも、その痛みのお陰で目的意識ははっきりとした。ここまでやったんだから、もう後には引けないという気持ちだ。
そして、僕は練習通りにその狭い通風孔に頭を突っ込んで、そのまま芋虫のように這って身体を押し込んで行く。
通風孔内は想定していたよりもずっと狭く、身体の四方を強く圧迫してくる石壁は、さながら石の棺に入れられて生き埋めにされているみたいだ。
「痛っ……つっ、つ……っ」
さらには、関節を外した方の肩が狭い通風孔内の側面に擦れる度、脳天がバチバチとするような激痛が駆け巡る。
しかも、通風孔内は一寸先も見えない闇の中。一切の視界がない恐怖と不安から自然と呼吸も荒くなるけれど、僕自身が穴を塞いでいるため、余計に空気が通らず息苦しい。
また、先程から蜘蛛の巣が幾重にも顔にへばり付き、その上で顔の皮膚を這うような素早いこそばゆさを感じ、悲鳴を上げたくなるような怖気を覚える。
それは、貧困街にて何か月も害虫駆除の仕事をやっていた僕でもキツイ物があった。
「ぐっ……くっ……っ!」
それでも、肩の激痛に堪えながら、顎先とつま先と残った片腕でジワリジワリと這い進む。
肩が痛い。顎先が痛い。酷使している首筋が攣りそうだ。何も見えないし、息も苦しい。
もし、このままこんなところで動けなくなってしまったら……そう考えただけで、発狂してしまいそうな恐怖が襲ってくる。
そして、そんな状況の中で、心臓が凍り付くような絶望を味わうことになった。
「え――え、えっ?」
額に、コツリと何かが当たったのだ。
それは、壁だ――。
「え、あ、あれ?あれっ!?」
嘘だ、信じたくない、ここまで来て行き止まり?じゃあ、僕はこのまま……。
焦りが爆発的に膨れ上がって、僕は目の前にある壁をゴツゴツと額で叩く。
「ぁ、あれ……この壁って、木じゃないか……?それに、動く……?」
そこで、幾分か冷静さが戻る。
僕は『軽業』のスキルを発動させると、力の限りに額で木の壁を押した。
すると、ゴトン――という音と共に、木の壁が消失。
僕は、汗と埃と虫に塗れた地獄の穴から、生きて抜け出すことに成功したのだ。
そして、図面通りであれば、ここが宝物庫で間違いないだろう。
「は、あぁ……着いたっ……ひょかっだっ……たすがっだっ……っ!」
目からは自然と涙が零れ、みっともなく嗚咽してしまう。
冷静になって考えれば、アレックスに襲われた時の方が余程命の危機だったし、ただ穴を潜って来たくらいで何だとは思うけど、あれは今までに感じたことのない類の恐怖だった。
「ふぐっ……でも、休んでいる暇は無いぞ……」
鼻声なのが情けないけれど、僕は足首に巻いていた道具袋から、小さなロウソクを取り出し火を着けて、早速宝物庫内を物色し始めた。
「なんか、宝物庫っていうか……展示室みたいだ……」
そこには宝石や美術品が整然と飾られ、説明文が書かれた札や床には赤い絨毯が敷かれている箇所もある。
実際、お客さんなどに見せるための展示室も兼ねているのかもしれない。
そのお陰もあって、目的の物は直ぐに見つかった。
「あ、これだ――」
ガラスの箱の中に、その剣は展示されていた。
「うーん、今時の貴族様が、防犯よりも見栄えっていうのは本当なんだなぁ」
ガラスの箱には、鍵さえ付いていないのだ。
まぁ、何十年も貴族様に対する犯罪行為が無ければ、危機感も自然と無くなってしまうのかもしれない。
「えーっと、どれどれ……」
ご丁寧に掲げられた説明文の札を読んでみる。
『刀身には希少金属のラズベリー鋼が使われ、柄の部分は黄金にしてオルトベリーの紋章と装飾、埋め込まれた四つの宝石は最高純度の物を使用しており――』
どうやら、これで間違いないようだ。
赤紫の刀身が美しい宝剣――ソード・オブ・オルトベリー。
僕はその剣に、手を伸ばした。
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