閑話『奇跡的不運』





 その日の夜は、確かに少し浮かれていた。


 あたしは珍しくお酒なんか飲んじゃって、ふわふわと陽気な気分で酔っ払い、歌の自主練場所であるお店の裏手までやって来た。


「ふ、ふ、ふふ……これは、うたひめも、ちかいわねぇ~」


 微妙に呂律が回っていないけど、今だけはそれも良し。


 だって、やっと念願叶ってメインボーカルの一人に抜擢されたんだから――。


 上機嫌で足取り軽くやって来たいつもの路地裏は、表通りの街灯と持って来たカンテラの光がぼんやりと照らすのみで、相変わらず薄暗い。


 どう見たって陰気臭い場所なんだけど、あたしにとっては王都で初めて“お客さん”を前にコンサートを開いた思い出深い場所でもある。


「あの子、どうしてるのかなぁ~」


 歯に衣着せぬ物言いでこのあたしを煽ってくれたガキんちょ――アンジェラ。


 あたしはムキになって歌を披露して、それであの子に“歌姫”って呼んでもらえたことが自信になって、その後は何もかもが上手く行くようになった気さえしてる。


 ステージでのメインメンバーへの抜擢に、お給与だって上がったし、馴染みのお客さんもできてチップだってもらえて、歌唱学校の入学金や聖歌隊への入隊金だって順調に貯まってる。


「んふっ、ふふ~」


 なんだか気分が良いし、歌っちゃおうかな。


 幸い、この辺りはお店ばかりだからか、夜に歌の練習をしていても怒られたことがない。


 「~~♪」


 あたしは酔った勢いと、静まり返った夜の路地裏に自分の歌声が響くのが面白くって、ついつい大きな声で歌ってしまう。


 また、普段なら絶対に近付かない路地裏の奥の方へと、ステップを踏みながら少しだけ足を踏み入れる。


 普段から浮浪者や不審者が寄り付かないように近所のお店同士で管理しているだけあって、そこには誰もいないしゴミも落ちてない。


 だから、油断していたし、酔っていたし、浮かれてた。


 そして、結果的にこの行動が、あたしを大いに苦悩させる、最悪で奇跡的な再会を果たす引き金となったのだ。


『~~♪』


 そうとも知らず、あたしが気分良く歌いながら路地裏を舞っていると、何か遠くの方から人の呻き声らしき音が聞こえた気がした。


「っ――」


 さすがのあたしも歌うのを止めて息を飲み、酔いも一気に覚めてしまった。


 恐る恐る、店々の裏側に通る暗い路地裏の小道の先を、よくよくと目を凝らして見てみれば――。


「ぇ…………ふ、浮浪者?……酔っ払い……?」


 口の中だけで、モゴモゴと呟く。


 あたしは暗い路地裏の小道の先に、今まさに地面に突っ伏す瞬間の人影を見た。

 

 これが普段なら、絶対に近付かないし、黙って立ち去るのみだったと思う。


 しかし、それを見た瞬間に、なぜか故郷の孤児院での奉仕活動が思い出されて、その時にセリーナのヤツが浮浪者のおじいさんの世話を甲斐甲斐しくしていた光景が脳裏を掠め、むかっ腹が立った。


 サイアク!なんでこんな時に――っ!


 最近はあの女のことなんて全然思い出さなかったのに、だから余計に煽られてるみたいに感じた。


 だから、あたしは決めた。


「ふんっ、見てなさいよっ……!」


 もう怖さは無くて、あたしはその浮浪者だか酔っ払いだかに向かってズンズンと近付いて行く。


 危険な行動だって思うし、浅はかだって思うけど、もはや止められない。


 それに、あの倒れてる人だって、お金を握らせればそれが何よりの助けになるはずだ。それこそ、セリーナがする世話なんかよりもずっと――。


 自分でも勝手に張り合って馬鹿みたいだって思うけど、あたしにはセリーナに関してはどうしても引けない一線がある。


 だから、あたしは暗闇の中で倒れている人影まで多少の距離を保った状態で声を掛けた。


「ね、ねぇ、ちょっと……」


 さすがに声を掛ける瞬間は緊張したけれど、その浮浪者だか酔っ払いだかはまったくの無反応。


「ねぇ……ねぇってばっ」


 カンテラを持った手を伸ばして徐々に近付いて行くと、倒れた人物は男で、結構若そうっていうことが分かった。


 そして、カンテラの明かりと目の慣れが、じわりじわりとその男の姿をさらして行く。


 やっぱり、酔っ払いかな?


 そう思って、さらに近付いた瞬間、あたしの身体はギクリと凍り付いたように固まった。


「ぇ――」


 ヒュウっと息を飲む音が自分の喉から聞こえ、その後から徐々に心臓が強く強く打ち始める。


 この背筋を這い、喉を締め上げる感情は、紛れもない恐怖の念。


「ひ、ぁ……そ、ん――っ」


 喉が詰まって悲鳴すら出ない。あたし立っていられず、震えながらその場にへたり込んだ。


 だってその彼は、拷問でも受けたかと思う程の凄まじい大怪我を負っていて、顔は赤黒くパンパンに膨れ上がり、腕も通常の倍の大きさに膨らんで、着ている服はボロボロでそこら中に血が滲んでいる。


「な、んっ、てっ……んでっ……よ……っ」


 耐え難い激情の濁流が押し寄せて、自然と涙が溢れ出て来る。


 変わり果てた姿……そう、これは姿なんだ。


「ど、しっ……あたっ、が……っ!?」


 叫ぼうとするけれど、声が掠れて出て来ない。


 とても見ていられないのに、目を反らすことができない。


 そして、もはや顔は変形し、血みどろになっていても、見間違えることもない。


 だってそれは――。


「れな、ど……っ」


 レナード。


 あたしが裏切り、あたしのお金を盗んで、故郷で別れたあたしの元恋人。


 どうしてこんな場所に居るのか、どうやって王都まで来たのか、今まで何をやっていたのか、その怪我はどうしたのか……。


 色んな疑問が渦巻く中で、より一層に強く思うことがある。


 レナードは、こんな酷い目に遭うような生活をしているのか――ということ。


 それはもう胸が締め付けられるなんて物じゃなくって、冷たい氷の槍に貫かれ、グリグリと抉られ続けるような胸の痛み。


 今まで突っ張って、歌姫になるまでの決意だの覚悟だのと持ち出して来たけれど、さすがにこの場面ではそれも木っ端微塵だった。


「れ、なっ……れなっ、ど……っ」


 抜けてしまった腰と情けなく震える手足で、小鹿のようにへたりながら地面を這って彼に近付く。


 あ、あたしの、所為?あたしが、レナードを、故郷に居られなくした、から?だから、こんな……こんなっ――っ!!


 これは、エミリオのヤツが痛めつけた時とは比べものにならない程の大怪我。


 ううん、でもまだ分からない。この怪我はあたしとは関係ないことかもしれないし、王都にだってあたしとのことが無くても、レナードは自分から来ていたかもしれない……。


 そうして必死に言い訳をしても、結局は最初に戻って来る。


「ぜ、ぶ……あたっ、の、せ、ぃ……っ?」


 全部、あたしの所為――?


 飛躍し過ぎだって思うけど、どうしたってそう考えてしまう。


 でも……だってっ、しょうがないじゃない!犯罪天職者になった瞬間に、その人が豹変するなんてよくある話だし、再犯率だって八割を超えるっていうし、犯罪転職者は突き放すっていうのが常識なんだから――っ。


 いくらそう考えても、自責の念は余計に深く刻み込まれて行くようだった。


「どぅ……ぃ、よっ……ぅ、し、よ……っ」


 助けるべきか、見なかったことにするべきか、レナードを前に考える。


 常識的に考えれば、関わるべきじゃない。見なかったことにして立ち去るべきだ。


 でも、見捨てたとして、あたしは明日から普段通りに振舞えるだろうか?


 あたしは迷いに迷い、ボロボロの彼に涙を落としながらも、きつく下唇を噛んで首を振る。


「無理だよ……っ」


 そう呟いた、瞬間だった。


 あたしの脳裏には、輝くような白金の髪がなびいて――。


 あたしは途端に覚悟が決まり、レナードをどうするか、決めたのだった。




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