閑話『歌姫と別れ』
あたしにとっては夢の第一歩となる天職も、多くの人が集まる王都では、潰しのきかないハズレ天職というイメージが強いらしい。
特に、あたしみたいな田舎から出て来た孤児の『歌姫』持ちなんて、信用や保証がない分マイナスからのスタートだ。
でも、だからこそ、積極的に実力を示して行かなければならないし、何としてでも歌唱学校と聖歌隊には入らなければならない。
「そのためにも、まずはバリバリお金を稼がなくっちゃ!」
本当なら、既に貯まっていたはずの入学金に入隊費用。
正直、それらの盗られたお金は今でも惜しいし、レナードに対して思うところも当然ある。
でも一方で、彼は受けた被害に対する正当な報復をしただけということもまた分かってる。
「ううん、今は悩んだって仕方ないわ」
無い物は無いんだし、また自分で用意するしかない。それに、あたしはまだ余程恵まれている方なんだから――。
あたしにとっては新たなパトロンであるミカエル様は、あたしに当座の生活費と住むところと働き口まで与えて下さった。
もちろん、金額はそれなりだし住むところも安い集合住宅の一室だけど、働き口は上流階級も利用するステージ付きのレストランで、あたしはそこで下働きをさせてもらってる。
しかも、最初の数ヶ月は掃除や皿洗いやゴミ捨てばかりだったけど、数日前からステージでのバックコーラスをやらせてもらえるようになったのだ。
だからここ最近は、レストランの営業終了後にはステージ練習をさせてもらっている。
「ちょっとローザ!アンタ主張し過ぎ!バックなのにメインの邪魔してどうすんのよ!もっと声量を押さえなさい!」
お店の先輩があたしのお尻を指揮棒で叩きながら怒鳴る。お尻は痛いし、皆の前でとにかく屈辱的……。
でも、指摘された通り、今日のあたしはどうも余計な力が入っているみたい。
バックコーラスという自分の役目は重々承知しているけれど、どうしても気合が空回りしてしまう。
きっと、盗まれたお金やレナードのことを考えて、怒りとか恨みとか罪悪感とか……色んな感情に心が浮ついている所為だと思う。
結局、その後も本調子を取り戻せずに、今日の練習は終始叱られっぱなしで終わってしまった。
「すごく怒られた……お尻痛い……」
罰の後片付けを一人で終えて、あたしは自主練習場所でもあるお店の裏口を出て直ぐの階段に座り込む。
本当なら早く帰って寝ないとだけど、今だけは少し心身を落ち着けたい。
そして、こんな時に思い出すのは、あたしが弱った時や失敗した時は、決まってレナードが頭を撫でて慰めてくれたこと。
「はぁ……今さら何甘えてんのよ……っ」
自分がそういう女だっていう自覚はあるけれど、さすがに都合が良過ぎるって嫌気が差してくる。
でも、あたしの頭を撫でてくれる人なんて、孤児院のアンナさんかレナードくらいしか居なかったから、自分を慰めたり励ましたりできる記憶はそれしかない。
歌姫になってお金を稼げるようになるまでは、何だって利用してやるし、決して弱音は吐くまいと決めていたのに、どうしてもその決意がグラついてしまう時がある。
特に、故郷を離れ、知り合いも居らず、慣れない環境で失敗が重なった今なんて、不安で寂しくて苦しくて、本当に折れてしまいそう……。
「アンナさん……レナード……っ」
自分のした裏切りを棚に上げ、ルール無用で記憶の中の二人に縋る。
さらには、むなしい行為と知りつつも、自分で自分の頭を撫でて慰めてみる。
薄暗い路地裏で自分の頭をなでなで……なんだか、より一層に孤独を感じて涙目になって来た。
そうして、自分でもいよいよ泣き出すんじゃないかと思った頃――。
「大丈夫?頭が痛いの?」
少し鼻に掛かったような子供の声がした。
あたしは驚いて、顔を跳ね上げる。もう孤独だのむなしさだのは、完全にこの驚愕によって吹き飛んでいた。
「なっ――んなんっ!!?」
咄嗟のことで言葉が出ない。というか、なんでこんな路地裏に子供が?
目の前に現れた子供は、まだまだ親の庇護が必要な小さな女の子で、薄暗い中でも分かる腰まで伸びた長い金髪を揺らしてこちらを覗き込んでいた。
「どこかにぶつけたの?」
女の子は小さな手をこちらに伸ばし、あたしの頭を撫でて来る。
「はっ――あ、違うから、ちょっと歌の練習で失敗しちゃっただけだから」
つい馬鹿正直に自分の失態を話してしまう。こんな子供に……。
「お歌ぁ!?聞かせて聞かせてぇ~!」
しかし、聞いた本人はこっちの事情とか知ったことじゃないみたいで、歌を歌えとせがみながらあたしの隣に座って来る。
「あのねぇ……っていうか、アンタ誰よ?もしかして迷子?もう夜なのに一人って親は何やってるのよ?」
小さな子供は孤児院にいる時から苦手だった。うるさいし、何するか分かんないし、見てて本当にハラハラする。
まぁ、あたしもそうだったんだろうけど……。
「あたしはねぇ、アンジェラよ!さぁ、お歌を聞かせてぇ?」
何が、さぁ――よ、とも思ったけれど、こうなったお子様は言う通りにしないと面倒なことになるのは経験上知っている。
あたしは仕方なく、降って湧いたたった一人の観客のために、歌を歌うことにする。
しかし――。
「うーん、なんだかあんまり上手じゃないね……」
しょんぼりするガキんちょ。
ピキッと来た。今のあたしは、他愛のない子供の感想すらも軽くあしらえる精神状態にはない。
「ふ、ふーん、上等じゃない……じゃあ、ちょっと本気出すから、よぉく聞いてなさいよね!」
あたしは立ち上がり、全力で自分の得意な歌を二曲、三曲と歌い始めた。
「あははは!今度のは上手~」
ペチペチと小さな拍手が鳴る。
こんな路地裏で、子供相手に全力で歌って、しかも拍手がもらえて喜んでるとか……本当に、今日のあたしはどうしようもない。
でも、さっきまで胸の中にあったモヤモヤは綺麗さっぱり消え去って、あたしはすっかり調子を取り戻していた。
「ねぇ、もしアンタ……アンジェラがさ、もっと歌を聞きたいなら――」
あたしの働いているお店に招待するわよ――そう言い掛けた瞬間だった。
「ああ、もう!こんなところに居ましたね!お嬢様!」
息を切らした艶やかな女が、いつの間にか路地裏の入り口に立っていた。
「あ、ルイーザ!もうっ、どこに行っていたの?迷子になったらダメじゃない!」
いや、迷子はアンタでしょう……とあたしもルイーザと呼ばれた女も思ったはず。
「はぁ……ステージが見れなくて残念なのは分かりますが、今は一刻も早くここを発たなければなりません」
どうやら、何か訳ありのようだ。
「へへ~、ステージならもう大丈夫よ!」
跳ねるように階段を降りるアンジェラ。彼女はあたしの手を取ってこちらを見上げながら笑った。
「たった今、歌姫のステージを見たんだもの!とっても満足だわ!」
キャンキャンと興奮したように言う。
はぁ……そんな安い台詞とか、ありきたりな展開とか、普段なら何とも思わないどころか鼻で笑ってやるんだけど、今だけは胸の奥にグッと来てしまった。それこそ、この出来事を生涯忘れないくらいには――。
「最後に歌姫のお歌が聞けて嬉しかったわ!ありがとう!」
ブンブンと掴んだ手を振って、アンジェラはルイーザと呼ばれた女と去って行く。
あたしはその背中に慌てて声を掛けた。
「あたしはローザよ!今日はステージに来てくれてありがとう!」
普段なら、こんなクサい台詞は絶対に言わないのに、アンジェラの背中を見ていたら、言わずにはいられなかった。
すると、アンジェラが手を引かれながらもこちらを振り返り微笑んだ。
「さようなら、歌姫のローザ」
夜風に乗って、そんな別れの言葉が聞こえた気がした――。
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