第22話『大恩』





「はい、レナード、口を開けて?」


 ミルク粥が乗った木製のスプーンが口元に差し出される。


 現在、僕は自分の小屋の寝台にて、慈悲深き幼馴染による甲斐甲斐しい看護を受けていた。


 僕の全身に刻まれた無数の傷はどれも急所を外していて深くもないが、それでも数が多くて血を流し過ぎていたし、極度の疲労とスキル使用の反動も加わって、ついには身体が言うことを聞かなくなってしまった。


 もうかれこれ、二日間も寝込んでいる。


 そして、その間の僕の世話は全てセリーナと回復したクレアさんが甲斐甲斐しくやってくれ、僕はもう申し訳なさと情けなさの二乗……二人には、本当に頭が上がらなくなってしまった。


 だからこそ、これ以上二人の手を煩わせないようにしたいし、さすがにもうスプーンぐらいは自分で持てる。


「あの、セリーナ。僕もう一人で食べられ――」


「だめよ?はい、口を開けて?」


 にこりと微笑むセリーナは、僕の言葉を即時却下した。せめて最後まで言わせてほしかった。それに、この微笑みで言われるとこちらに成す術はなく、僕は口を開けるしかない。


「はい、あーん……おいしい?」


 セリーナは孤児院の子にやるように妙に甘い声で尋ねてくる。


 気恥ずかしい。とにかく気恥ずかしい。こればかりは毎食やられても慣れることがない。


「んぐ……うん、美味しいよ」


 熱くなる顔で頷いた。


「あら、口元が少し汚れちゃったわね」


 セリーナがすぐさま僕の口元を拭いてくれる。


 まるで子供のような扱いだが、セリーナがこうして必要以上に献身的かつ過保護になっていることの責任の一端は、おそらく僕にある。


 それは、仕事を終えて小屋に辿り着き力尽きて倒れたその日こと。僕は何を思ったか、怪我と疲労からくる高熱にうなされながら、セリーナにこれまでの自分の行いを懺悔しはじめたのだ。


 ローザやエミリオに働いた盗み、エイミー親子のこと、チンピラ連中への報復、ライアンとの出会いと毒を盛ったこと……。


 それらを弱々しく涙ながらに語ったことを、僕もおぼろげにだが覚えている。


 きっと、そのあまりの情けなさと頼りなさに、慈悲深いセリーナは必要以上に僕に対して優しくしてくれているのだと思う。


「はい、最後の一口よ。まだおかわりする?」


 結局また最後まで食べさせてもらい、おかわりは遠慮した。


 セリーナに、たくさん食べられて偉いわね――なんて微笑み掛けられ、どこか嬉しくなってしまう自分がいる。含羞……含羞である。


 というか、治療に看護に懺悔までさせてもらい、もはやセリーナへの大恩が積み重なり過ぎてどうしようもないことになっている。


 セリーナのいない間は、クレアさんにまで手間を掛けさせてしまって、彼女に対する恩もある。


 なんとか、セリーナとクレアさんに恩を返したいものだ。


 食器を下げる彼女の背中を目で追いつつ、僕は心の底からそう思った。




 ◆




「それじゃあ、クレアさん。レナードのことをよろしくお願いします」


 わたしの命の恩人でもあるセリーナさんが振り返りながらそう言った。


「あ、はいっ、お任せ下さいっ」


 咄嗟に胸の前でこぶしを握り、気合のほどを見てもらう。


 その誰がどう見ても力み過ぎなわたしに、セリーナさんは困ったように微笑むけど、それについては特に何も言わないでくれた。


 セリーナさんは優しくて働き者で、その温かさはなんだか自分のお母さんを思い出す。


 そして、そんなセリーナさんを見送って、わたしはもう一人の恩人のところへ。


「レナードさ~ん……お加減はどうですかぁ~……?」


 一応、静かに声を掛けながら入室すると、やっぱりレナードさんは眠っていた。いつもご飯の後は、決まって眠ってしまうから。


 わたしは抜き足差し足で近付いて、寝台脇の丸椅子に腰掛けて、彼の寝顔を覗き込む。


 規則正しく静かな寝息と子供のようなあどけない寝顔は、なんだか故郷の弟を思い出させる。


 本当にレナードさんにはすごく迷惑を掛けてしまって、わたしは助けてもらった身なのに、この寝顔を見てしまうと“自分が守らなきゃ!”なんて、分不相応な気持ちになってしまう。


 どんくさいわたしなんかが、わたしよりも色々できて助けてくれた恩人に対して失礼だとは思うけど、姉心が……わたしの満たされない姉心が、疼いて仕方がない。


 わたしはレナードさんの頭に乗ったタオルをそっと取り返る。


 今回のことで、レナードさんにもセリーナさんにも、返しきれない恩ができてしまった。


「何かお返しできると良いなぁ」


 わたしにできることは少ないけれど、恩人の寝顔を眺めながらそう思った。



 ◆



 二日前、お仕事から帰って来たレナードはボロボロだった。


 そう深くはないけれど、全身の切り傷から滲んだ血で服は赤黒く染まり、目元の隈と青白い顔色は濃い疲労をありありと写し出していた。


 そんな彼の姿はもう見ていられないくらいで、私は泣きながらレナードの治療に当たった。


 そのときに、自分の怪我を押してまで手伝ってくれたのがクレアさん。


 彼女はその後も、司祭教育で抜けなければならない私に代わってレナードの面倒を見てくれている。


 本当なら私がやるべきことなのに、クレアさんには大きな恩ができてしまった。


 なにか、彼女に恩返しがしたいと思う。


 クレアさんが王都に来た目的も聞いているから、そちらの方面で力になれれば良いかもしれない。


 それに、クレアさんのこともあるけれど、それ以上にレナードのこともある。


 今回のことでも良く分かったけれど、私に必要なのはきっと医術に関する心得なのだと思う。


 天啓――司祭天職の導きかは分からないけれど、私自身の気持ち以外にも、その道を指し示す何かがある気がしてならないのだ。


 また、治療と称すれば、私にされるがままになるレナードがすごく良いというのもある。


 それは修道女としても司祭としてもあるまじき思考だとは思うけど、レナードを癒し全てから守るという観点からは、案外悪くない方向性かもしれない。


 私の管理の下で、生きて行くレナード……。


「ええ、そうね。そのためにも、司祭教育を頑張らないと――」


 道筋が見えたことに、少しだけ晴れやかな気持ちとなって、私は確かな足取りで歩を進めるのだった。





あとがき

閲覧頂いている皆々様へ。

今年は大変お世話になりました。

来年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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