第21話『逃走劇』





 背中に衝撃――悲鳴のような金属音が鳴り、舞い散る烈火が視界を掠めた。


 僕は窓から乗り出していた身体を丸め、狭い小道の上を転がりながら距離を取る。


 スキルは確認するまでもなく発動していて、これまでにない切れ味で四肢を強制駆動させている。


 とにかく突然のことで、驚愕と混乱に思考は覚束ないけれど、それでも何者かの襲撃を受け、幸運にも背負っていた鉄の書簡箱に当たり命拾いしたのだと理解する。


  そして、僕は襲撃者を確認することもなく、一目散に逃げ出した。


 戦ってはいけない。戦う意思を見せれば、盗賊のスキルは発動しない。それが感覚的に分かるのだ。


 僕は盗みに来たとき同様、貧困街に飛び込んで家屋の屋根に上り、壁を蹴って塀を飛び越え、全速力で駆け抜ける。


 しかし、襲撃者の方もこちらの動きにきっちりと対応し、少し後ろをぴったり追跡してくるようだ。


『シッ――!』


 すると突如、背後から奇妙な掛け声が響き、次の瞬間には肩口に灼熱を感じた。


「痛っ……!!?」


 痛みを認識し、走りながらも視界の端で確認すれば、自分の肩口に赤色が滲んでいた。


 攻撃された――その事実に、ゾワリと総毛立って呼吸が止まる。


 そして、再び襲撃者に頭上を取られた瞬間、黒い棒状の物が雨のように降り注いだ。


「ぅわぁああっ!!?」


 走りながらも頭を抱え、口からは情けない悲鳴が上がる。


 黒い棒状の物――どうやら、投げナイフの類であるらしいそれは、僕の周りの壁や地面に対しても、無数に突き刺さって行く。


 当然、全てを躱せるはずもなく、僕は次々に新しい傷を負うことになる。


 そうして頭上を取られれば雨のように降り注ぐ凶刃に、僕はあっという間に血だるまにされてしまった。


 それに、もしこのナイフに毒が塗られていたのなら……。


 最悪の想像に、焦りが爆発的に膨れ上がる。毒物を使われていた場合、後どれだけ動けるかだって分からない。


 こんなことなら、倉庫の天窓から脱出すればよかった――と、激しい後悔に苛まれるけど、それでも最後の最後で運に見放されなかったようだ。


「見えた……っ!!」


 襲撃者からの追跡と攻撃を受けながら、倉庫街から貧困街へと走り続け、ついに戻って来たいつもの斡旋施設。


 もう、このままあそこに突っ込むしかない。


 昨日の早朝から酷使し続けた身体は、スキルを使っていてもいよいよ軋みを上げていて、これ以上は持たないだろう。


 そして、もはや最後は足を縺れさせながら、僕は施設の扉に体当たりをして中へと飛び込んだ――。


「はっ、ひっ……つ、着い、た……っ」


 ここ数ヶ月で見慣れたいつもの受付ロビー。その日常風景に、涙が出そうだった。


「なんだお前は!」


「何をしているっ!」


 床に腹這いで倒れていると、武装警備兵が慌てた様子でこちらに駆け寄って来た。


 ああ、そうだった。今の僕はハンカチと帽子で顔を隠しているし、あんな入り方をしたら警戒されるのは当たり前だ。


 早くハンカチと帽子を取らないと……そう思ったのだが、血相を欠いて駆け寄ってくる警備員達の目線はどういうわけか僕に向いておらず、うつ伏せの僕の背後に――。


「え……?」


 振り返って、言葉を失った。


 そこには、黒い頭巾で顔を覆い隠した人物が、僕に向けて片刃の短剣を振り上げていたのだ。


 言葉が出なかった。ただ呆然と銀色の刃を見詰めていた。


 だが、まるで昨晩からの選択ミスや不幸の帳尻を合わせるかのように、というか、むしろ今までの不幸はこの幸運のための前払いだったかのように、絶妙なタイミングで救いが差し伸べられた。


「そこまでだ、罪人職」


 それは、昨晩に僕とセリーナを施設長のところまで案内した黒服の男だった。


 彼はサーベルの切っ先を黒頭巾の喉元に突き付けて言う。


「とりあえず、双方の成果を聞こうじゃないか。ついて来たまえ」


 “罪人職”、“成果”、ということは、この襲撃者たる黒頭巾の人物も僕と同じ犯罪天職者ということらしい。もう何が何だか分からなくなって来る。


 黒服は僕らのことなどお構いなしにスタスタと歩いて行き、その背中は着いて来ることを疑っていない。


 僕と黒頭巾の人物は、仕方なくそれに続いた。


「では、双方顔を出してくれたまえ」


 施設内の個室にて、黒服が言った。


 僕と黒頭巾は思わず顔を見合わせるが、僕の方からハンカチと帽子を取ることにする。


「やはり君だったか、セリーナ様から君が仕事を受けたと聞いてね。朝からここで待機していたんだ」


 どうやら、結果的にまたセリーナに助けられてしまったようだ。もう彼女に対する恩が大き過ぎて、どうしようもないところまで来ている気がする。


 そんなことを考えていると、僕を襲った黒頭巾が低い声で呟いた。


「まさか、あんただったなんてな……」


 聞き覚えのある声の持ち主は、黒頭巾を取りながら深い溜息をつく。


 そして、そこに現れたのは、王都の初日に役所の地下で言葉を交わした男――。


「君は……アレックス……?」


 あのとき以来、顔を合わせたことはなかったが、まさかこんな形で再会することになるなんて思わなかった。


「ふむ、君達は知り合いだったのか、まぁここでは良くあることだよ。さて、成果報告をしてくれたまえ」


 何気なく言い放つ黒服に戸惑いつつも、僕は背負って来た鉄製の書簡箱をおろす。


「えっと、僕は依頼書にあった荷物を奪還しました」


 自然と読み上げるような口調で報告をして箱を差し出せば、黒服は頷きながら受け取った。


「確かに受け取ったよ。それと、もし機会があればセリーナ様に私がきちんと朝から施設に詰めていたことを、それとなく報告しておいてくれないか?」


「あ、はい。おかげで助かりました。ありがとうございました」


 どんな事情や思惑があるにせよ、本当に命拾いしたため深く頭を下げておく。


「ふむ……」


 すると、黒服は顎に指を添え値踏みするようにこちらを見て来た。


「あの、何か?」


「いやいや、君とは上手くやって行けそうだ」


 黒服はそれだけ言うと、今度はアレックスに目を向けた。


「俺は見ての通り失敗だ。昨日の一発目に加えてな」


 そう言って肩をすくめるアレックス。


 そんな彼に対し黒服は、追って指示を出す、とだけ言い、渡した箱を持って個室を出て行った。


 僕とアレックスは微妙に気まずい空気を感じながらも連れ立って受付へと戻る。


「クレアさんを襲撃したのも君なのか?」


 途中で、気になったことを聞いてみた。


「ん?ああ……昨日の夜に荷物を運んでた女は彼女だったのか……」


 アレックスもまた、仕事の詳細などは一切知らされていないらしく、たった今自分が襲撃した相手を知ったらしい。


 当然、そのことに対する恨み辛みはあるけれど、彼だって仕事で動いていたわけだし、その彼の仕事を失敗させた僕が言うことじゃないだろう。


「その通りだ。俺が襲撃した。結局は失敗したがな」


 失敗?と僕が首を捻ると、アレックスは力無く笑った。


「本当は、荷物の運び屋も奪還者も“始末しろ”って仕事だったのさ。でも俺は女は殺せない。『凶手』の天職者なのにな……」


 『凶手』の天職……いや、深くは聞くまい。


「でも、それならどうしてさっきの投げナイフに毒を使わなかったんだい?」


 あれに即効性の毒が塗られていれば、僕は死んでいただろう。それなのに、アレックスはそうしなかった。


「おいおい、勘違いするなよ? 俺は確かにあんたを殺す気だったんだ。毒の件は、俺は暗殺者じゃあないから、毒を使っちまうと身体強化のスキルが使えなくなるんだよ」


 それは、僕が戦うことに盗賊のスキルを使えないのと同じなのかもしれない。


 会話が終わり、施設一階の出入り口まで来た。


「それじゃあ、またどこかで……」


 こんなときに何て言って良いのか分からず、口からはなんとも曖昧な言葉が出た。


「……あんたは、しくじるなよ」


 しばしの沈黙の後に、彼はそれだけ呟き背中を向けた。


 去り行く長身の彼の背中。僕を殺そうとし実際に寸でのところまで追い詰めた男の背中は、なぜだかとても頼りなく見えた。


 しかし、何はともあれ仕事は終わったのだ。


「帰ろう……」


 疲労困憊の身体を引きずるように、僕は小屋へと帰るのだった。




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