第10話『不条理』





 目を覚ますと、頭が痛んだ。


「痛っ……なん、だ……っ」


 咄嗟に頭を抱えると、どうやら頭に包帯を巻かれているらしいことが分かった。


「ここ、何処だ?」


 目に映る風景は、エイミー亭ではない見知らぬ部屋。


 怪我の手当と知らない場所……僕はまず、昨晩の記憶を辿ってみることにした。


 昨日は確か、チンピラ集団に借金を返して……その後にエイミー亭でお祝いをして……夜になって眠ってしまったエイミーと酔っ払ったエイミーの父親を家まで送ったんだ……。


「それで……そうだっ――!」


 僕はその帰りに倒れたのだ。酔っていたのか、転んだのか、冷たく硬い地面の感触を覚えている。


 ならば、頭の怪我もそのときの物だろうか?と僕が首を捻っていると、その疑問に答えてくれそうな人物が現れた。


「よぉ、起きたか」


 しわがれた低い声。出会ってそれ程でもないというのに、懐かしささえ感じる。


「ライアン?」


「おう、飯を持って来てやったぞ」


 彼が片手に乗せたトレイには、パンとチーズと水……エイミー亭の料理が恋しくなる内容だ。


 しかし、空腹だった僕はそれを食べながらライアンに尋ねる。


「ここは何処なんだい?というか、僕はどうしてここに?」


「んあ?――ああ、ここは俺が別口で取ってた宿で、お前がここに居るのは俺が運んで来たからだ」


 ライアンは聞かれたことだけに答え、椅子に座って酒を飲み始めた。


 怪我の手当も彼がしてくれたんだろうか? なぜエイミー亭の他にも宿を?どうして僕をここに運んだのだろう?


 いろいろ疑問は尽きないが、今は重要なことを二つ。


「そうなのか、それはありがとう、ライアン」


 まずはお礼を、そして、ちょうど食事も終えたところで立ち上がる。


「それじゃあ、僕はエイミー亭に戻るよ。向こうに荷物もあるしね。今度何かお礼をさせてくれ」


 それに、今日からエイミー亭を手伝えればって考えていたことも思い出したし、早速そのことをエイミー親子に相談してみよう。


 すると、ライアンがクツクツと不気味な笑い声を上げた。


「あの店に戻る、か――もうねぇのに、どうやって戻るんだ?」


 それは凄惨な笑みだった。形は笑みなのに、憎悪と寂寥、諦念や絶望を煮詰めたような泥沼が見えた。


 僕は息を飲んで聞き返す。


「エイミー亭が、もうない?」


 何を言っているんだろう?


「まぁ、店まで行って自分の目で見てくりゃ良いさ」


 その言葉に、僕は弾かれたように部屋を飛び出した。


 外に出ると、まだ人も疎らな早朝だということが分かった。


 僕は昨晩から気を失っていたみたいだけれど、時間的には普段の睡眠時間と変わらなかったらしい。


「良かったっ、この辺りなら知ってるっ!」


 そこは見覚えのある風景で、これならエイミー亭までの行き方も分かる。


 僕は早朝の街を、エイミー亭に向けて駆け出した。




 ◆




 息を切らせて駆け付けると、エイミー亭の前には早朝だと言うのに結構な数の野次馬が集まっていた。


 僕はそれらの人壁を掻き分けて、店の前まで辿り着く。


「なっ――なんだよっ……これ……っ!?」


 あの可愛らしい佇まいだったエイミー亭が、小さな少女が健気に頑張っていたエイミー亭が、昨日の夜には祝杯を上げたエイミー亭が――黒焦げになって焼け落ちていたのだ。


 目の前の惨状に、理解が追い付かない。


 だって、この店はやっと自由になれたのに、ずっと酷い目に遭いながらも頑張って来て、本当に今日からだったんだ……っ。


 そこに、野次馬の囁き声が耳に入った。


「この店に脅し掛けてたチンピラ連中がやったって話だろう?」


「ああ、夜中にコソコソしている連中を見たって奴がいるんだ」


 チンピラ連中……?


 そこで、ズキリと頭の怪我が痛み出す。


 そうだ……僕は昨日の夜に、連中の声を聞いている。奴らはあの場所にも居たんだ。僕の頭の怪我も、気を失ったのも、全て奴らがやったことじゃないか――!


 昨晩の記憶が蘇ると共に、次の瞬間には悪寒を覚えるような想像が脳裏を掠め、僕は再び駆け出した。


 焼け落ちた店の裏手から路地裏に入り、エイミー親子の借家を目指す。


「エイミーっ……エイミーっ!」


 焦燥に駆られ、意味もなく彼女の名前を叫びながら路地裏を駆け抜けると――。


「っあぁ、うあぁ……っ」


 悪い予感は、現実の物となっていた。


 その惨状はエイミー亭の焼き増しで、エイミー親子の部屋のあった集合住宅の二階部分は完全に焼け落ちて、黒焦げの残骸が重なるのみ。


 僕は胸を押さえて呻きながら近付いて、ついには喉元からせり上がって来た今日の朝食を地面の上に吐き出した。


 すると、そんな僕の様子に気付いたのか、騎士団の人間が声を掛けて来た。


「そこの君、ここの住人を知っているのか?」


「辛いだろうが、こっちに来て確認して欲しい」


 そう言って連れて来られたのは、地面に置かれたシーツの塊の前だった。


 僕はシーツの下にあるモノを想像して、恐怖と絶望にガタガタと震えながらも神に祈る。


 どうか、どうか二人ではありませんように――っ。


 そして、シーツが外され、その下のモノが露になった。


「っ――あぁ!そんなっ……嫌だっ……嘘だっ……!!」


 そこには、昨日の晩には幸せそうな笑顔を見せてくれた親子の変わり果てた姿があった。


 二人は余程の高温に曝されたのか、その一部は黒く炭化して欠損個所も多く……ダメだ、とてもじゃないけどこれ以上は見ていられない。


 こんな不条理があって良いのか、なぜエイミー親子がこんな目に合わなければならないのか――どれだけ考えても、答えは出ない。


 僕は崩れるように膝をつき、声を殺して泣いた。泣き続けた。


 やがて、エイミー親子の亡骸は騎士団によって運ばれ、僕も騎士団員によって立たされる。


「さぁ、君ももう立ちなさい」


 そうして久しぶりに顔を上げると、周囲にはすごい数の野次馬。


 どこもかしこも、人、人、人……。


 その光景をただ呆然と目に映していた僕は、ある一点を見てギチリと全身の動きを止める。


 奴らが、嗤っている――。


 僕の視線の先、人垣の向こうに、こちらを見ながらニヤ付く四人のチンピラ連中の姿があったのだ。


 目が合うと、連中は嘲るように手をヒラヒラさせて去って行った。


 それを見て、思う。


 ああ、腹に渦巻くこの怨念は、きっと生涯忘れることはないだろう――。




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