閑話『司祭教育』
私は昔馴染みのローザとの事実上の決別を経て、いよいよレナードの家へと足を踏み入れた。
久方ぶりの彼の家。私にとっても懐かしさを覚える場所。少し前までは、ここでレナードと遊んだりご飯を食べたりしたものだ。
「レナード――」
だから、つい彼を呼んでしまう。もしかしたら、「いらっしゃいセリーナ」とか言いながら、出て来てくれるんじゃないかって……。
けれど、やっぱり返事はなくって、家の中は悲しいくらいに静かだ。
「ううん、落ち込んでいても仕方がないわ」
自分自身に言い聞かせるように呟いて、とにかく今はレナードが突然出て行ってしまった理由の手掛かりを探す。
それに、さっきローザが言っていた「レナードがお金を盗んで逃げた」というのも気になるし……。
そうして、しばらく家の中を見て回っていると、異変とも言うべき光景を見付けてしまった。
「こ、これって……レナードの、お父さんとお母さんの……?」
部屋の隅に置かれた棚の上に、見覚えのある綺麗な模様の破片と艶やかな棒の切れ端が、まるでパズルのように等間隔に並べられていた。
私は震える手でそれを拾い上げる。
あぁ、やっぱり――。
忘れもしないそれは、レナードのお母さんが生前大切にしていたという花瓶。
私も小さい頃に、初めてこれを目にしたときからこの花瓶が大好きで、それを知ったレナードのお父さんが、「セリーナが結婚するときには嫁入り道具として持たせるか」なんて言ってくれて、私にとっても思い出深い物だった。
それが、粉々に割れている。
しかも、胸を抉るような惨状は、お母さんの花瓶だけじゃない。
「こっちは、お父さんの……?」
バラバラに折られた艶やかな棒切れは、間違いなくレナードのお父さんが大切にしていた釣り竿だ。
まだ子供の頃、レナードのお父さんにはよく釣りに連れて行ってもらい、そのときには「どうだ、綺麗な釣り竿だろ?」って、いつも同じ自慢をするのを、レナードと笑いながら聞いていた。
それが、バラバラに折れている。
いったい何があったのか、どうしてこんなことになっているのか、分からない。何も分からない。
そして、さらに悪いことに――。
「これって、血……?」
丁寧に並べられた花瓶の破片と釣り竿の残骸には、その所々に黒く固まった血の跡のようなものが見て取れた。
もしかしてこれは、レナードの血なんじゃないだろうか?そんな不安が、私の中で一気に膨れ上がる。
慌てて辺りを見回すけれど他に血の跡はなく、破片と残骸が綺麗に並べられていたことを併せて考えれば、さっきまでここに居たローザが掃除をして並べたのだろう。
もし、レナードの血であるならば、どれ程の怪我をしたのだろうか?きちんと治療はしたのだろうか?
私は目を閉じて、祈るような気持でレナードのことを案じる。
「どうか無事でいて、レナード……っ」
今の私には、ただ祈ることしかできないから。
◆
約束のお昼が近くなっていたため、私は渋々孤児院へと戻た。
レナードの家を出る際に、私は散々悩んだ末、壊れてしまったレナードのご両親の持ち物を引き取って、孤児院まで持って帰って来た。
「これ、直せるかしら?」
両手に抱えた包みの中で、カチャリと小さな音を立てる花瓶の破片と釣り竿の残骸。
一応、道具屋に持ち込んでみようと思うけど、ここまで壊れてしまっていると素人目にも修理は難しそうに見える。
ならば、天職とスキルによる手段ならどうだろう?
それこそ、高位の『司祭』の中には、聖遺物を復元するスキルを持った人も居ると聞くし、それならば直せるんじゃないだろうか。
「でも、問題はそれが噂や伝承レベルの話って言うことよね……」
一気に望みが薄れて行く。
「はぁ、私って本当にダメね……」
今回のことで、自分の蚊帳の外振りや無力さを痛感した。
だって、レナードを救うだなんて決意しておいて、いきなりこの有様なんだもの。
幼馴染一人救えず、何が『司祭』の天職持ちなのだろう。
お昼過ぎからは、そのことで王都から偉い人が会いに来るらしいけど、私にはとてもじゃないけど自分が司祭に相応しいとは思えない。
「セリーナ!」
そこに、血相を欠いたアンナさんが駆け寄って来た。
「もうお客様がお見えなのよ!直ぐに教会の方まで来て頂戴!」
まだお昼前なのに、もう王都からの偉い人が来ているらしい。せっかちな人なんだろうか?
私はアンナさんに言われた通り教会へと向かった。
広い聖堂に入ると、高い丸天井にステンドグラス、煌びやかな祭壇に巨大な女神像が迎えた。
この村が町になったときに建て直されただけあって、立派な物だと思う。
でも、個人的には、村の時代にあった木造の教会の方が好きだった。あそこにはレナードやローザや友達と遊んだ思い出があって、建物自体も小さくて可愛かった。
懐かしい思い出に一瞬だけ惚けてしまったけれど、私は視線の先に、白いローブを纏った偉そうなお爺さんと、その両脇に控えた若い騎士様の姿を見て、静かに彼らへと近付いた。
「お待たせ致しました、セリーナと申します」
スカートの端を摘まみ一礼する。
「うむ、其方がセリーナか」
その声が掛かってから、自然と顔を上げる。
相手は王族でもなければ、この場は式典というわけでもないから、顔を上げる許可までもらう必要はない。
これは、アンナさんによって子供の頃から叩き込まれた作法。まさか役に立つときが来るなんて思いもしなかった。
「はい――」
私は背筋を伸ばして姿勢を保ち、声の抑揚を押さえながらもハッキリと答える。
さすがに緊張する。だってここで粗相があっては、きっと今もどこかで見ているアンナさんに後で叱られてしまう。
成人してお尻を叩かれるのは、嫌だもの……。
だから私は、細心の注意を払って自分の立ち振る舞いに気を配った。
「ふむ、これは――」
「なんと――」
「っ――――」
それが、彼らの目にはどう映ったのか、お爺さんと騎士様達は、まじまじとこちらを見詰めてくる。特に騎士様の一人なんて、口を半開きにしながら目を剥いて、さらに半歩ほどこちらに踏み出して来る。
なんだろう?すごく不安になる反応だけど……。
「ち、父上!彼女だっ、彼女が良い!」
若い騎士様の一人が、私を指さしながら騒ぎ始める。
いったいどんな教育を受けて来たのだろう……と思うけれど、私は努めて無表情。
「落ち着けミカエル。まずは父上の話が先だ」
偉そうなお爺さんを挟んだ反対側に立つ騎士様が、無作法に叫んだ騎士様を窘める。というか、この三人って親子なのだろうか?
「セリーナ、と言ったな。わしは大司教モルディアスである」
偉そうなお爺さんはやっぱり偉そうで、実際に偉い人だったみたい。
「お会いできて光栄でございます」
私が再び礼を取ると、大司教様は鷹揚に頷いた。
「まず、其方は『司祭』の天職を得たと聞いているが、相違ないか?」
自分では未だに何かの間違いじゃないかと思うけど、「はい」と答える。
「では、其方には王都の教会本部にて司祭教育を受けてもらう。これは、この国における『司祭』の天職を得た者の義務である。神に仕え、生涯を信仰に捧げ、人々に救いを与えることを誓うのだ」
王都――レナードの行先といっしょ……!
「父上っ!」
大司教様の読み上げるような説明に、再び騒がしい方の騎士様が声を上げた。
「待て待て、分かっている。ところでセリーナ」
「はい」
「神に仕え、生涯を信仰に捧げ――とはいうが、うら若き乙女に対しそれだけというのはあまりに酷というもの」
「はい……?」
「うむ、そこでだ。わしが直々に救済の道を与えようではないか。我が息子、ミカエルの妾になることを許そう」
「…………??」
話の内容も流れも脈絡も、何一つ理解できない。
そうして私が固まっていると、騒がしい騎士様の方がまた騒ぎ始めた。
「待ってくれ父上!妾だなんて彼女に対して失礼だ!僕たちは本気なんだ!頼むから側室としてでもセリーナを認めてくれ!」
「うーむ……しかし、そうは言ってもミカエル。セリーナは単なる村娘であろう」
騒がしい騎士様と大司教様が言い合いをしている。
これはどういった流れだろうと思い、そこでピンと来た。
「大変に光栄なお話ではございますが、私は『司祭』の天職を得た者として、お国の義務を果たしたく思います」
そう言って、深く首を垂れた。
きっと大司教様と騎士様が行っている茶番は、こちらの受け答えや反応を見るための、言ってみれば試験のようなものだろう。
それに、行き先が王都とあっては、私は是が非でも行かなければならない。
「ふむ、そうか――」
大司教様が頷く。
「そんなっ……ち、父上っ!」
騎士様が、大司教様の袖口を縋るように両手で握り締める。
「まぁ待て、ミカエル。そしてセリーナよ、答えを急く必要はない。王都までの道中にもしっかりと考えれば良い」
どうやら、まだ試験は続くということらしい。
その後も、騎士様と大司教様の掛け合いは続いたけれど、もう私の頭には王都と幼馴染のことで一杯だった。
待っていて、レナード――。
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