第2話『過去の罪』





 あれから、教会の裏手にあるセリーナの部屋まで連れて来られた僕は、セリーナの入れてくれた美味しいお茶を前にしても項垂れていた。


「元気出して、レナード」


 セリーナが背中をさすりながら慰めてくれるけど、どうしたって今は気力が湧いて来ない。


「きっと、レナードにも事情があったのよね……私で良かったら、話してくれると嬉しいわ……」


 セリーナが僕の手を取って包み込み、透き通った青瞳でジッと見詰めてくる。


 その手を包む温かさと真っ直ぐに向けられる真摯な瞳に当てられて、僕の冷たく固まっていた精神はゆっくりと解れていくようだった。


「昔、この辺りで飢饉があっただろう?」


 気が付くと僕は、口を開いていた。


「ええ、私たちがまだずっと子供の頃の話よね……」


 セリーナの瞳に、暗い影が落ちる。


「あのとき、口減らしと少しでも金銭を得るために、この町――いや、あの当時はまだ村だったな。この村の子供を奴隷商に売ろうって話を、大人たちがしているのを聞いたんだ」


 当時はそれほどに酷かった。村中の皆が骨と皮だけになって、何人もの餓死者が出た。


 子供は優先して食料を回されていたからマシだったけど、逆にその所為で、口減らしも兼ねて売れる内に子供を売ろうという提案がなされてしまったのだろう。


「ええ……知っているわ。教会でも、そんな話をしていたし……孤児だった私とローザも、その候補に挙がっていたみたいだから……」


 そこで、セリーナがハッとしたように顔をあげた。


「まさか、レナード……っ」


 もう気が付くなんて、さすがはセリーナだ。


「うん、きっと考えてる通りだ。あの当時、奴隷商が持参して来た“隷属の首輪”と“奴隷契約書”がなくなったのは、僕の仕業なんだ……」


 あの日、奴隷商がセリーナやローザを含む村の子供たちを二束三文で買い叩き、いざ奴隷契約をしようと馬車に戻ると、必要な首輪と契約書がなくなっていたのだ。


 当然、奴隷商は村を糾弾したが、村人側に心当たりなどある筈もなく、結局取り引きは中止となり、奴隷商は去って行った。


 当時は深く考える余裕もなく友達の奴隷落ちを阻止せんと必死だったが、それでも騎士団に逮捕されることは覚悟していた。


 しかし、結局騎士団は来なかったのだ。


 最終的に、盗んだ首輪と契約書は、当時まだ存命だった父親と闇市で芋と交換して村に配り、結果的にその芋が、王都や教会本部からの食糧支援が届くまでの間、皆の命を繋ぐことになった。


「もちろん、盗みは盗みだし、後から父さんと騎士の詰め所に出頭したんだ」


 だが、対応した騎士は困り顔で、そんな被害の届けは出ていないし、各ギルドに照合を依頼したが、そもそもそんな奴隷商は存在しないと言われ、僕と父は帰されてしまった。


 確かに今思えば、あの奴隷商はあやしかった。簡素な馬車で荷物番もなしに一人でやって来て、労働力になる少年でなく少女ばかりを買い求めていた。


「あのときに罪として裁かれていれば、なにか変わったんだろうか……?」


 漠然と、そう思ってしまう。


 すると、話を聞いていたセリーナが、両の手で口元を覆いながら嘆き悲しんだ。


「そんなっ……なんて、ことっ……っ」


 きっと真面目な彼女のこと、どんな事情があろうとも、盗みは看過できないのだろう。それに、結果的にその窃盗で奴隷にならずに済んだという状況にも、心を痛めているのかもしれない。


 そんなセリーナの様子を見て思い至る。


 今こうして『盗賊』である僕が、『司祭』であるセリーナの部屋に居ることは、彼女の醜聞になってしまうのではないだろうか?


 そう考えると、一気に血の気が引いた。


「ご、ごめん、僕はもう行くよ」


 僕は慌てて立ち上がりドアの方へ。


 すると、セリーナが飛び付いて来た。


「ま、待って!違うのっ!レナードにだけそんな苦労を背負わせてしまったことがっ……悲しくてっ……悔しくてっ……ごめんなさい……!」


 潤んだ瞳でこちらを見上げるセリーナ。


「あのときのお芋っ……とっても美味しかったわっ……私も含めて、あれで命を救われた村の人だって、たくさんいるんですもの……ありがとう、レナード……っ」


 セリーナは僕の胸に顔を埋めて泣きはじめ、僕も思わぬ感謝の言葉に視界が揺らぐ。


 そうしてしばしの間、セリーナの嗚咽と僕の鼻をすする音だけがその場に響いたが、やがてどちらともなくそっと身体を離して再び向き合った。


「レナード、今後のことを考えましょう?私も協力するわ。それに、ローザにも話しましょう。いいえ、元の村の人たちにも話して協力してもらうべきよ」


 セリーナが力強く言った。


 申し出はありがたいが、皆の迷惑になるかもしれない選択肢を取る根性は僕にはない。


 それに、飢饉で滅亡寸前だった村は、今や町と呼べるくらいには大きくなって、新しい住人だって増えて行っている。


 友人のエミリオなんかも、飢饉が終わってからここに移って来た新しい住人だ。


 そうやって、人が集まって来て、村が町へと発展して、皆が辛い過去を乗り越えながら頑張っている。


 だからこそ、その足を引っ張るような真似はしたくないと思ってしまう。


「ありがとう、セリーナ。でも、もう昔のことだし、僕も覚悟していたことだからいいんだ」


 今は妙なヒロイズムに酔っているだけで、現実を見て思い知れば容易く折れるかもしれない。


 しかし、天職が『盗賊』だからと言って、他の職業に就けないわけじゃない。


 王都近くの貧民街では、国が罪人天職者に仕事を斡旋していると聞くし、とりあえず生きていくことはできるだろう。


「そんなのダメよ!」


 しかし、セリーナが異を唱える。


「どんな方法であれ、私もみんなもレナードに救われたのは事実だわ!だから、今度は私たちがレナードの力になる番よ!」


「いや、でも盗みは僕が勝手にやったことだし――」


 と、皆に話すべきと主張するセリーナと、それを宥めようとする僕の押し問答はしばらく続いたが、結局はまずローザにのみ事実関係を話すことで落ち着いた。


「いい、レナード? あなたは私たちから恩を返される義務があるわ。それに、あなたの罪は、私や村のみんなの罪でもあるの。だから、ここから居なくなってはダメよ?」


 僕の考えを見透かすように、セリーナが釘を刺して来た。


「わかった……ありがとう、セリーナ。少し考えてみるよ」


 そう言って、僕はセリーナの部屋を後にする。


 みんなの重石になりたくない気持ちは変わらないけれど、セリーナの言葉と気遣いは素直に嬉しかった。


 今後のことを、もう一度よく考えてみよう。


 そう思いながら、僕は両親が遺してくれた我が家へと帰ることにする。


 セリーナは、そんな僕が見えなくなるまで、小さく手を振りながら見送ってくれた。


 あぁ……だがしかし、これが故郷での僕とセリーナとの別れになるだなんて、思いも寄らなかったんだ――。




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