第3話『裏切り』





 すっかりと暗くなってしまった道を、月明かりを頼りに我が家へと急ぐ。


 少しセリーナの部屋に長くお邪魔し過ぎたかもしれない。


 もうローザは、僕の家から出て行ってしまっただろうか?


 というのも、僕とローザは恋人になって以来、僕の家で共に暮らしているのだ。


「でも、それももう終わりだな……」


 既に恋人関係は解消されてしまったわけだし、ローザも僕なんかといっしょにいるのは嫌だろう。


 周囲に広がる夜闇のように暗澹たる気持ちになりつつも、僕は我が家へと帰って来た。


 すると、家の中に明かりがついている。


「あれ?もしかして、まだローザが居るのか?」


 彼女のことだから、もうとっくに出て行ったものと思っていたけれど……どういうことだろう?


 僕は疑問に思いながらも、家のドアを開けた。


「ぁん――もぉ~、やぁだ~エミリオったらぁ~」


「ウヒッ、ローザの肌は本当にキレイだよなぁ~」


 家の中では、昼間に教会の前で別れたローザとエミリオが、それこそ恋人同士の距離感でじゃれ合っていた。


 服をはだけさせた半裸のローザの身体を、エミリオが顔をニヤケさせながら撫でている。


「なに、やっているんだ……?」


 現実感のない光景に、僕はうわ言のように呟いた。


「あん♪――え?なによ、レナードじゃない……っていうかなに見てるのよ……」


「おいおい、コソ泥の次は覗きかよ。やっぱり罪人はどこまで行っても罪人だな!」


 エミリオは僕に見せ付けるように、ローザの頬に口付けてからこう続けた。


「いいか罪人!今日からこの家は俺とローザのヤリ部屋として使ってやることにした!お前はさっさと出て行け!これは騎士からの命令だ!」


 さらにエミリオは挑発的な笑みを浮かべ、荷物はまとめておいてやったぞ、と部屋の隅に向けて顎をしゃくる。


 そちらを見ると、僕の持ち物から父さんや母さんの遺品までが、まるで打ち捨てられるかのように転がっていた。


「そんな………なんでっ、なんでこんなことをっ!?」


 一瞬で、頭の中が真っ赤に染まる。


 それらは乱雑に扱われた所為だろう。父さんの形見である釣り竿は折れ、母さんが生前大切にしていた花瓶も大きく欠けてヒビが入ってしまっている。


 僕は怒りと悲しみを込めた目で二人を睨み付けた。


「ヒっ――な、ななっなんだよぉおっ!?やりっ、やりぅのかぁああっ!???」


 エミリオがコウモリのような叫びを上げながら、バネ仕掛けの人形みたいに立ち上がる。


「あ、あたしは関係ないからっ!男同士で話を付けてよねっ!」


 ローザはヒステリックな声を上げ、そっぽを向いた。


「……いったい、どういうことなんだ? 僕とローザが別れるのはいい、当然のことだと思う。でも、ここは僕の家だ。二人とも出て行ってくれ」


 僕の荷物や両親の遺品のこともあるけど、今はなにを置いても二人には視界から消えてほしかった。


 しかし、僕の言葉にエミリオが激高する。


「ふ、ふざけるな!罪人の分際で騎士である俺に逆らうのかよっ!俺が出て行けって命令してるんだぞ!?さっさと消えろよ!」


 顔を真っ赤にして吠えるエミリオ。


 理不尽な物言いだが、相手が先に怒り出してくれたから、逆に僕の方は冷静さを取り戻すことができる。


「なにを言ってるんだ、エミリオ。君は天職が『騎士』なだけであっただけで、まだ騎士になったわけじゃないだろう?」


 天職が『騎士』であったとしても、騎士学校を卒業し、元帥の名の下に任命されなければ騎士を名乗ることは許されない。


 それに今の時代、騎士だからと言って横暴は許されない。むしろ前時代が酷かった分、そう言った部分は厳しくなっているくらいだ。


「エミリオ、騎士になる前から騎士を名乗るべきじゃないし、今の君がやっていることは不法占拠だよ。これじゃあ、騎士学校に入るときの検査にも引っ掛かる」


 騎士学校に入る際には、医術や薬物を用いた犯罪歴や素行、心理思考の検査があるというのは周知の事実。そしてそこで引っ掛かれば、騎士にはなれない。


 しかし、エミリオは嘲笑を浮かべた。


「ハッ――罪人は本当に無知だな。そんな検査なんてのは、金次第でどうにでもなるんだよ!」


 もしかして、入学寄付金制度のことを言っているのだろうか?


  これも公表されている情報だが、能力の足りない分や軽い前科などを持つ者が、寄付金によってその分を補ったり、帳消しにしたりする制度だ。


 賄賂と言えば身も蓋もないが、その金は学校の運営資金や成績優秀者への奨学金となり、前科持ちを更生させるのにも一役買っているというのは公然の事実。


「でも、あれは基本的に貴族や大商人の金がある身分向けの制度であって、平民には現実的じゃないよ……」


 僕が首を振りながら言うと、エミリオは胸を張って答えた。


「フン――俺は人生終わってるお前と違って将来有望な騎士だからな。うちの両親だけじゃない。この町の連中も挙って俺に投資してくれたぜ?」


 エミリオが得意満面でジャラリと鳴る大きな革袋を見せて来た。


 さすがに目と耳を疑う。


 つまりエミリオは、自分の身内だけじゃなく、町の人達からも金を集めたということらしい。


 確かに、騎士天職者の年棒は高い傾向にあり、正式に騎士となれば、剣術や格闘などの各種道場を開くことや副業で冒険者をやることも許されており、稼ぐ手段は無数にある。


 故に、投資としては成り立つのかもしれないし、実際に昔から『騎士』持ちの平民はそういった方法で初期費用を集める者も多い。


 しかし、それだけに、同じくらいに失敗談にも事欠かない話だ……。


「なぁ、エミリオ。なら余計にこんなことはするべきじゃないよ。壊した両親の形見のことは一言謝ってくれれば良いから、もうやめよう」


 悔しい思いや悲しい思いはもちろんあるが、ここは飲み込もう。


「ふざけるなっ!!!」


 しかし、エミリオは払い除けるように言った。


「なんで罪人のお前に指図されて謝らなきゃならないんだ!こっちは騎士だぞ!俺は勝ち組だ!人生負け組のお前と違って輝かしい将来が約束された勝ち組なんだ!俺とお前のどっちが正しいなんて、この時点で示されてるんだよ!」


 叫びながら、エミリオが剣を掴んだ。


「見ろよ……これは武器屋からの投資ってことで新調した剣だぜ……?」


「ちょ、ちょっと、エミリオ? なにする気なのよ?」


 ローザもさすがにまずいと思ったのか、エミリオの服を摘まみ引っ張っている。


「ん?ああ、安心しろよローザ。別に抜きはしねぇから……でも、ちょっと罪人に自分の立場ってものを分からせてやる」


 興奮にしわがれた声で、エミリオが言う。


 剣呑な空気に恐怖心が鎌首をもたげ、僕は自分の顔から血の気が引いて行くのを感じた。


「ま、待ってくれエミリオ、何を……」


 僕は狼狽えながら尋ねようとしたが、最後まで言葉にならなかった。


「オッ……ッラァアっ!!」


 騎士のスキルなのか、今までのエミリオからは考えられない速度で間合いを詰めて来て、鞘に納められたままの剣が振るわれた。


 頭上から迫り来る鉄塊に、僕は咄嗟に両腕を上げて防いだが、その腕からは、ミシリッ……と骨が軋む音がした。


 激痛に気が遠くなり、堪らずその場に膝をつく。


「へ、へへっ……お前なんか大したことないんだよ、この罪人がっ!」


 エミリオが剣を打ち下ろしてくる。


 頭だけはなんとか腕で守っていたけれど、腕や肩、背中など、僕が気絶するまで強かに打ち付けられ続けた。


「ぅ、ぁ――っ」


 そして、どれくらいの時が経ったのか、僕は硬い床の上に転がっていた。


 身体が重く、全身が痛い。どうやら、気を失ってからも念入りに痛めつけられたらしい。打たれた記憶のない足や脇腹にも鋭い痛みが走る。


 ぼんやりする意識と視界で辺りを見回すと、家の中は明かりが落ちてすっかりと暗くなっていた。


 さらに、奥の寝室から、耳を澄まさずとも聞こえて来るおぞましい声と音。


『うぅほぉお!ろ、ローザぁ!すぅ、すっげぇ……き、気持ちいいっ、ぜぇ……っ!』


『あぁん♪エミリオも素敵よ?うふふ、これで集めたお金、あたしにも投資してくれるわよね? あたしも歌の学校や聖歌隊に入る分のお金は溜めたんだけどぉ、王都に行ったらいろいろと物入りじゃない?だからぁ、おねがぁ~い♪』 


 両親が遺してくれた我が家に、元恋人と元友人による嬌声と水音が響き渡る。


 そして、家主であるはずの僕は、血だまりの中で無様に伏している。


「痛っ……ぐっ……」


 軋みを上げる身体を無理矢理に起こす。


「そ、っな……っ」


 周りの床を見れば、細かく散らばった花瓶の破片とバラバラに折られた釣り竿の残骸が転がっていた。


 そうか、僕は親の形見でも殴られたのか……。


 もはや、自分の頬を濡らすのが、血なのか涙なのかも分からない。


 それでも確かなことは、腹の底ではマグマのような激情が渦巻いて、憎悪の黒煙を吹き上げているということ。


 今直ぐに報復を――!


 胸の内では、そんな怨嗟の叫びが響いている。


 ああ、だがしかし、今の僕に何ができようか……。


 疲労困憊の身体は散々に痛め付けられ、そこら中が軋みを上げている。


 それに、騎士のスキルは厄介だ。悔しくて情けないことだが、今の状態じゃあ勝ち目はない。


「それ、にっ……とぅ、ぞく、じゃっ……な……っ」


 喉でも打たれたのか、それとも悲鳴の上げ過ぎか……口から這い出たガラガラの声に、思わず自嘲的な笑みがもれる。


 そう、僕は単なるコソ泥だ。だからこうして惨めに這いつくばっている。騎士の戦いで、騎士に勝てるわけがないのだ。


 しかし、だからといって、このまま引き下がっては、あまりにも自身の尊厳と両親に対し申し訳が立たない。


「コソ、泥、はっ……コソ泥、らし、く……っ」


 僕は痛む身体を押して、盗賊のスキルである『無音歩行』を使った。


 そうだ、これは仕事だ。ここからはコソ泥の本領だ――。


 そう思うと、何かが切り替わったように気持ちが落ち着いて、身体の痛みも気にならなくなった。


 音を殺して奥の寝室へと近付けば、さっきよりも生々しい音と声が聞こえてきたが、やはり気持ちは落ち着いており、目的を達成することのみに精神が研ぎ澄まされている。


 今の僕は、元恋人と元友人の情交の気配ですら、目的を達成するための情報として関知していた。


 これも天職の成せる業だというのなら、空恐ろしささえ感じてしまう。


 寝室の扉を音も無く開ければ、暗闇の中からむせ返るような湿気とにおいが新たな情報として僕の頭に伝わって来た。


 良かった――二人とも行為に夢中で、僕には全く気が付いていない。


 僕は気配を殺したまま、暗闇に溶けて移動する。部屋に響き渡るローザとエミリオによる情交の嬌声と音さえも利用して、二人に気付かれることなく目的の物を奪取した。


 特別な感情や状況の補足はない。ただ盗って逃げた、それだけだ。


「いて、て……っ」


 僕が“仕事”を終えて家の外に出ると、今まで忘れていた痛みが襲ってきた。


 正直休みたいところだけど、いつまでもここには居られない。


 僕は二度と戻れないだろう両親が遺してくれた家に黙礼し、その場を後にする。


 手にはズシリと重い革袋が二つと、立派な装飾が施された剣と防具。僕はそれらを抱えならが、町の馬小屋へと向かう。


 次は逃走用の馬を盗まなければならない。


「も、ぅ、立派な……とう、ぞくっ……だ……っ」


 掠れた声で笑いながら、もう以前までの自分に戻れないことが、悲しかった。





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