籠城
どうやって戻ってきたのか、まったく記憶になかった。
おれとアキトは、とにかく無我夢中で走り、ひみつきちへと戻ってきていた。
アァァ……オォアァ……ウァ……アア…………
ウゥ……アア……アァァァァ……ィィ…………
真下から聞こえるいくつものうめき声は、耳をふさいでも防げなかった。木を登ってはこれないみたいだけど……ちくしょう、あきらめるということは知らないらしい。
もうあれから一時間以上だ。うめき声はずっと聞こえ続けていた。
むしろ、数はどんどん増えてきていると思う。
思う、というのは、おれたちが下を見ないようにしているからだ。見なければいなくなる、なんて都合のいいことあるはずないってことぐらいわかってはいるけど……。
それでもゾンビたちを視界に入れたくなくて、おれたちはずっとひみつきちの真ん中、彫った星のマークを見つめていた。
紙皿には手つかずのお菓子が乗ったままだ。
そして、その横には、スグルのスマホが置いてある。あれから何度もスグルの母や病院に電話をためしてみた。電話番号を覚えていた、おれとアキトそれぞれの自宅にもだ。
でも、どこにもつながらなかった。
「こういうとき、映画だったらなんか武器とかあんのになぁ。銃とかハンマーとか」
「バットとか? 持っててくれよ、野球部」
「元、だっつうの。ていうかわざわざ持ってきてるわけないだろ。俺が持ってきたのはお菓子と飲み物だけだよ」
「お菓子がポップコーンだったら、映画鑑賞としてハナマルだったな」
「残念だったな、カールだよ。映画には不向きだ」
下から聞こえるうめき声を少しでもかき消したくて、おれとアキトは何かネタが思いつけばとにかく話すようにしていた。
アキトが近いタイプで助かった。会話がなかったらおかしくなりそうだった。
チラと視線を向ければ、スグルはずっと体育座りでうつむいたままだった。
「タクミの方はどうなん? なんか持ってたりしないわけ?」
ざんねんながら。おれは首を振った。
「おれだって同じだよ。あとは、一応スケッチブックと鉛筆があるけど、それぐらい」
「鉛筆じゃあ無理だなぁ」
おれとアキトは二人で揃ってため息を吐いた。会話が止まってしまう。
「……家帰りてぇなぁ」
だなぁ。おれも無言でうなずく。うなずくことぐらいしかできない。けど、
「…………無理だよ」
おれとアキトはスグルの方を向いた。
ひみつきちに立てこもってから、スグルが口を開いたのは始めてだ。
「多分、いや絶対、街も同じ状況だよ」
ひざの間に顔をうずめたまま、スグルが続ける。
「どこにも連絡がつかないんだよ? 最悪のことが起きたってことだ……」
最悪ってどんな、とは聞けなかった。だって、スグルのお母さんとはあれからずっと連絡がとれないのだから。
「そんなんわかんねぇだろ!」
突然アキトは立ち上がると、一歩踏み出してスグルの胸ぐらをつかんだ!
ガタンと床が揺れる!
「おい、落ち着けって!」
あわててアキトの腕を引っ張るが、手で払われてしまった。
「黙ってろよ! そもそもお前が今日ここに来ようなんて言うから!」
はぁ?
「おれのせいかよ!?」
いまその話するか!? ムっとして、おれも立ち上がった途端だった。
メキッ……
それはアキトの真下から聞こえた。おれたち全員、その場で固まる。
メキ……メキ……メキメキメキメキ!
「か、片っぽに体重がかかりすぎたんだ!」
スグルが叫ぶ。
「や、やばッ!」
アキトが足を離そうとするより早く――
バキィ!
ガクンとスグルの頭が、いや全身の位置が急に下がった! 土台の枝が折れたんだ!
「うわぁぁぁぁ!」
かたむいた床をスグルがすべり落ちていく!
『スグル!』
間一髪! ギリギリのところで、おれとアキトの手が、スグルの両手をつかんだ。
紙皿とスグルのスマホは、床をそのまますべり落ちていく。
その先には……おれたちは見てしまった。十人以上の動く死体、すなわちゾンビたちを。
スマホは一人の頭に当たると、はねてゾンビたちの向こうへと落ちた。
アァァ……オォアァ……ウァ……アア…………
「お、おい、マズい!」
アキトがアゴで指し示した先、傾いた床の端。そこに、手が見えた。
ゾンビの手が届く場所まで傾いたんだ!
さらに一つ、二つと手が増えていく。
メキメキメキ……!
床のかたむきがさらに強くなってきた!
『……せ~の!』
おれとアキトは力を合わせ、スグルを引っ張り上げる。そして、どうにかかたむいた床から離れ、木の枝に足を乗せた。と、同時――
ベキィッ!
ひみつきちの床が真ん中でバッキリと折れた!
「あぁ、俺たちのマークが!」
アキトが悲鳴を上げる。星のマークが真っ二つに折れている。
でも、折れてよかった……あのまま昇ってこられたらと思うとゾッとする。
けれど、おれたちは座るスペースもなく、狭い中で立つことになってしまった。
落ちないよう、おれたちは頭上の枝をにぎった。そして、足場が悪くイヤが応にも下を見るしかないため、ハッキリとゾンビたちを見ることになってしまった。
「どっか行けよ、お前ら!」
アキトが叫ぶが、もちろん去ってくれる気配はなかった。
むしろ、興奮したかのように、さっきより大きなうめき声を上げ、おれたちに向かって手を伸ばしている。ゾンビに興奮する心なんてあるのかはわからないけど。
「つッ……!」
と、スグルが顔を歪めた。見れば、右ヒザに血がにじんでいた。
「まさか噛まれちまったのか!?」
おれとアキトの顔が青ざめる。
「いや、さっき落ちかけたときにすりむいただけ」
見ればたしかにキズは浅い。けど、擦り傷だからジクジクと血が出てきていて、見るからに痛そうだった。
「立ってられるか?」
おれの問いに、スグルは大丈夫、とだけうなずいた。
でも……これからどれだけここにいればいいんだ?
スグルだけじゃない、おれだって、アキトだって、ずっとはこの状態は無理だ。
途方に暮れかけた、そのときだった。
チャラッチャッチャッチャッチャ~♪ チャッチャッチャ~♪
……なんの音?
音は、突然ゾンビたちより離れた場所、奴らの背後から聞こえた。
まったく予想してなかったことにおれたち全員が固まる。
「あ……。五時半だ」
え?
スグルが小さくつぶやいた。
「塾に遅刻しないよう、アラームをかけてるんだ。消し忘れてた。まぁ、この状況じゃ塾になんて行けないし、なんの意味もないけど……え?」
スグルの視線の先を追う。そして、信じられないものを見た。ついさっきまでおれたちの方を一心不乱に見ていたゾンビたちが、一斉にスマホの方へと振り返っていたんだ。
一定時間流れ、やがてアラームは止まった。
だが、ゾンビたちはスマホの方へと、ユラユラ向かい始めた。けれど、
「……どういうことだ?」
アキトがそうつぶやいた途端だった。
ぐるん!
「ヒッ!?」
ゾンビたちが一斉に振り返った。
ア……ア……アァ……ゥア…………
再びゾンビたちは木の下に、おれたちに向かって集まってくる。
なんでだ? なんでアキトがしゃべったら……あ。
「もしかして、ゾンビって、目が見えないんじゃないか?」
はぁ? とアキトが自分の目を指差した。
「いやいや、目あるじゃん」
「トラックのゾンビは目つぶれてただろ」
「うぇ、思い出させんなよ……。つうか、それはたまたまだろ」
「……でも、視力に関してはそうでもないかも」
スグル? スグルがゾンビたちを指差した。
「いままで全然見てなかったけどさ、彼らみんな目がにごってるし、あきらかに視線も定まってないよ」
ゾンビたちの顔を観察する。たしかに、顔はこちらに向けているけど、よく見れば目の向きがバラバラだった。目自体もなんだか白くにごっていて……ぅ。だんだん気持ち悪くなってきて、おれは視線を外した。
でもそうか。
「思えば、トラックが衝突してからだもんな。こんなに集まってきたのは……」
「うん、耳はしっかり聞こえている。音で探しているんだ。試してみよう」
おれたちは、スグルの合図で大きく息を吸い、息を止めた。
……………………あ!
ゾンビたちがゆっくりと腕を下ろし、うつむいていく。
そして、立ったまま完全に動きを止めた。
けど、もう息が続かない。
『ぷはぁっ!』
おれたちが息を吐き出したのと同時。ゾンビたちが一斉に顔をこちらに向けてきた。
「マジだ……けどどうする? 一切音をたてずに降りるなんて無理だぞ?」
そう、ロープを伝って降りる際、まったく音をたてないなんて不可能だ。
もっと大きな音を別の場所から出せれば話は変わるが……
「もう1回アラーム鳴ったりしねぇの?」
アキトの問いに、スグルは残念ながら、と首を振った。
「明日の五時半になれば鳴るけど……」
あと二十四時間もここで立ちっぱなしなんて絶対にムリだ……!
「ちくしょう、俺の目覚まし時計とは違うのか」
「どういうこと?」
「スヌーズ機能とかってやつで、止めても止めても、めんどくさい手順を踏まないと五分ごとにまた鳴るようにしてんだよ。俺二度寝しちゃうからさ」
……ん? 時計?
「あ。てかアキト、それ」
おれはアキトの方に手を伸ばして、腕時計をつついた。
「これ、アラーム機能とかないの?」
アキトがハッとした。
「そういえば……多分あるわ! 使ったことないけど」
それだ!
「時計のアラームでおびき寄せればいいんだ!」
だが、スグルがう~んとうなった。
「でも、降りたあとどうするかだよね?」
「奴ら動きはそんな速くないし、自転車に乗れば余裕で逃げられるんじゃないか?」
だがおれの意見にスグルはうなずかなかった。
「いや、それじゃダメだと思う。こんな森のところにこれだけ来たんだよ? 人がよく通る道路の方まで逃げたところで、もしももっとたくさんいたら自転車じゃ無理だよ」
「あ、そっか……」
道路に辿り着いたところで、たくさんのゾンビたち。後ろからも迫ってくるゾンビたち。自転車に乗ったまま奴らに取り囲まれるのを想像し、おれは身震いしてしまった。
だが、そんなおれの肩をアキトがチョンと叩いた。
「俺、めっちゃいい案思いついたぜ」
そして、おれたちの後ろの方を親指で指差した。振り返って見てみれば、
「あのトラックで行くってのどうだ?」
木にぶつかったままのあの青いトラックがあった。
「さっきの運転手が、まさか鍵抜いて持ってるってことはないだろ。あれなら、自転車よりずっと安全に逃げられるぜ」
たしかにそうだけど……。
「でも、おれらそもそも運転とか無理だし」
「マリモカートなら、オンライン対戦で俺上位ランカーだぜ」
それゲームだし全然ちがうだろ!
「……ぼくが運転する」
『え?』
まったく予想外の挙手に、おれとアキトは目をパチクリさせた。
「もちろん、本物の車の運転はしたことはないよ?」
スグルが言いづらそうに続ける。
「でも実はさ、塾のすぐそばにゲーセンがあって……よく帰りに寄って遊んでるんだ。実際にハンドル握るタイプのレースゲーム。飲み物代にってお母さんがくれるお金使って」
ほぅ……。思わずおれとアキトは声を揃えた。
「スグル、お前けっこうワルじゃん!」
「これ、いけるぞ!」
決行は六時ぴったりと決めた。
音を頼りにゾンビたちが追ってくるのなら、暗くなった方がこちらに不利だと思ったし、それにずっとここに立っているのはキツい。
おれたちは、木の枝にかけていたアキトのリュック(おれとスグルのはさっき落ちてしまっていた)から、出し忘れていたチョコバーを取り出し食べた。
正直食欲があるかと言われるとなかったけど、これからに備えて食べなきゃって思ったんだ。
「あ~あ、二年ぶりにひみつきちに来たと思ったら、ひみつきちとのお別れパーティになっちゃったな」
ざんねんそうに、でもどこか明るい声でアキトが言った。
「またいつか作ろうよ」
「え~、もうすぐ中学生なわけだぜ? あ、でも作んなら今度海岸とかがいいな。洞窟とかさ」
「ここ内陸県だけど!? どこまで行って作るんだよ!」
おれたちが笑うと、一斉に下のゾンビたちのうめき声も大きくなった。みんなこっちを見ている。正確には見ているわけじゃなくて聞いているわけだけど。
「……よし」
アキトは腕時計を外し、手に持った。
「いくぞ」
おれとスグルは無言でうなずく。
アキトは手首のスナップをきかせて、腕時計をゾンビたちの奥へと放り投げた。
けっこう遠く。でも音はそれなりの大きさで届くだろう、絶妙な距離だ。
この足場の悪い中で。さすがは元野球部だ。
おれたちは吐息の音すらも出ないよう、ゆっくりと深呼吸した。
そして……
ピピピピピピピピピピッ!
大きな音が、時計から鳴りひびいた!
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