五、王子と姫とサーカスと

 その国の王様の子供は双子のきょうだいで大層美しく仲の良いふたりでした。

 王子は輝く金髪をキリリとひとつに結び、屈託のない笑みを見せる明朗快活な少年。姫は絹糸のような金髪をサラサラと顎の高さで切り揃えた煌めく目をした天真爛漫な少女。誰しもに愛されるふたりです。

 殊更に彼らを愛するのは、王様とお后様に次いでもうひとり、幼馴染の青年でした。彼は青みがかった黒髪の端整な面立ちをした温厚且つ誠実な人柄です。王家の子供たちの友人に相応しい、身分の高い家柄の育ちでした。歳は少し離れており、お目付け役と躾係を兼ねています。

 双子はとても仲の良いきょうだいですが、時々喧嘩も起こります。その要因は大抵、この青年なのです。

 姫は言います。

「あたしはいつかね、彼のお嫁さんにしてもらうの。だって、お父様とお母様の他では一等大好きなのだもの」

 すると王子は不貞腐れます。

「ぼくは彼とは結婚できない。どちらも男だし、そうでなくてもぼくは遠くに行かなきゃならないのだもの」

 この国では王家に産まれた男の子は、いずれ領地運営を学ぶため、お城のある中心地からは離れた遠方の地で領主の経験を積むのが習わしです。そして王様にならなかった子供はその地で生涯を過ごすのです。加えて、国防のための軍を指揮する能力を得るため、国境線での兵役も経験しなければなりません。王家の男児が美しい庭のある城内でぬくぬくと過ごせるのは十六歳の成人を迎えるまでのほんの短い期間だけ。

 それを思うと王子は酷く落胆し、次いで意地悪な気持ちが湧いてきます。それでつい、こんなことを言ってしまうのです。

「だけどね、姫だって彼のお嫁さんになれるとは限らないさ。嫁ぎ先はお父様がお決めになるのだからね。お隣の王子の年頃がちょうどいいと話しているのを聞いたことがあるよ。きっと政略結婚させられるに決まっている」

 彼らの国は領土も広く、実りも豊かな大国です。けれども、だからといって常に安泰なわけではありません。周囲には小国がひしめき合っており、その向こうに別な大国が存在します。小国はいずれも二つの大国の恩恵に預かれるよう、国交をもってうまく立ち回っているのです。もしもその均衡が崩れたら、もしも小国が一丸となって一方の大国を圧し潰そうとしたなら、或いはもしも、一方の大国にのみ肩入れして大陸全土がひとつの国に呑み込まれる事態になったなら――彼らの国が攻め込まれる側にならないとも限りません。そうならないよう、婚姻を結び、血縁関係を持つことで盟友であることを確固たらしめんとする政略は、古来から続く人と国との知恵の一つです。

 王子の意地悪な物言いに、姫は顔を曇らせます。可能性がゼロではないことを彼女も知っているのです。

「そんなこと……、そんな……、そんなはずがないわ!」

 彼女は俯けていた顔をパッとあげ、憤りと共に毅然とした声を張ります。

「お父様はそんなことなさらない! だってあたしを愛して下さっているのだもの。あたしが悲しむようなこと、なさるはずがないのだわ。あたし、きっと彼と結婚するのだもの」

「わかりっこないね。お父様は姫を愛しているけれど、国の民だって愛している。立派な王様なんだもの。姫の我が儘に付き合うとは限らないさ」

「我が儘ですって……!」

 誰かを慕い、常に共にありたいと、未来もずっと一緒で居たいと望むことが、どうして我が儘なのでしょう。姫は今にも泣き出しそうに瞳を大きくして憤慨します。ですが泣きそうなのは王子も同じ。愛情故に、親が子の悲しみを取り除いてくれると言うのなら、少年は生まれ育った慕わしい城をどうして離れねばならぬのでしょう。そこに悲しみがないなどと、王子が淋しさと不安を抱いていないと、どうして姫は思えるのでしょう。

 お互いに酷い罵り合いをして、ふたりは黙り込んでしまいました。

 けれども、王子と姫とはとても仲の良い双子のきょうだいなのです。喧嘩をすれば、その後には仲直りをします。気詰まりで険悪なムードがしばらくは続いたものの、やがては互いを許し合い、ふたり揃って城の美しい庭に咲く花で、冠や指輪を作って楽しみました。



 パレードがやってきた。脚の長さが大人の背丈ほどもあるセイタカノッポや火吹き男、シャボン玉を飛ばすゾウや愛嬌を振りまく道化師を引き連れたサーカスのパレードだ。七色の紙吹雪が巻き散らされ、ラッパと太鼓が通り中に響き渡った。

 ピンクと黄色と紫と、赤とグリーンと水色の、カラフルで仰々しいテントが張られ、チケットを握りしめた子供たちとその保護者、紳士淑女の行列が、思わせぶりな小さい入り口に吸い込まれていく。満月の夜だった。あんまり月が明るくて星の見えない夜だった。

 絶対に絶対に見逃せないと誰よりも意気込んで行きたがるに違いなかったふたりの幼い幼馴染は、しかしその夜、現れなかった。自身は、火の輪を潜る勇猛なトラにも、妖精のように空中を舞うブランコ乗りの美男美女も、玉乗りしながらジャグリングする賢いお猿も、さして興味をそそられない。見たくないわけでもなかったけれど、それよりもっと見たいのは、そうした見せ物に歓声をあげ、喜ぶふたりの笑顔だった。

 ふたりはとても愛らしい。素直で、純真で、衒いがない。その健やかで伸びやかな心のありよう、振る舞いは、一見素朴なようでいて、実はとても貴いものだ。それは豊かさがもたらすものだから。本当に素朴な人の背景には貧しさが付き纏い、そこには不安や疑心によるねじくれた精神が根付いてしまう。いつだって満ち足りて豊かに生まれ育った者の持つ、優美な素直さは格別に高貴だ。ふたりの心にある純粋さは、そういう気高い清らかさだった。

 そんな彼らの喜ぶさまは、心底に輝いて、素晴らしく美しい。誰しもが愛おしい思いに胸を温かくせずにいられない。それを間近に見られることは、この上もない喜びと言えた。

 だから楽しみにしていたのだ。ふたりとは違った意味で、ふたりと共にサーカスを観られるのを。だけどふたりは現れなかった。

 約束の刻限に、城のふたりの部屋まで迎えに行ったが、ふたりの姿はすでになかった。召使の男に聞いても、侍女や警備の兵に聞いても、誰も彼らの行き先を知らない。決まって、「もうとっくにあなたとご一緒にお出掛けになったものと思っておりました」と答えるのだった。「見ての通りに一緒ではない」と伝えると、「では待ちきれずにお先に向かわれたのかもしれません。まだまだ我慢のきかないお年頃のようで、まったく困ったものです」と、苦笑交じりのしかめ面が返るばかり。

 王家の子らが伴も連れずに不用心な。そうは言えども誰も大した心配はしていない。彼らを軽んじてのことではなく、心配には及ばないと、誰しもが心のどこかで油断している。実際、彼らが城を抜け出し、お忍びで市井に交わることは、そう珍しいことでもなかった。何しろ彼らは好奇心旺盛で無邪気な遊び盛りである。城下の町は平穏で、警邏の兵も数多居るから無頼の輩が堂々歩いていることもない。お忍びとは言いつつも、あまりに愛くるしい王子王女の顔は城下の者に知れており、素知らぬ風を装いながら密かな心配りをして接する者も多かった。だから、保護者代わりの幼馴染が迎えに来るのを待ちきれず、パレードに同行して先にサーカスへ彼らが向かったのだとしても、それはさほど不思議でもなければあり得ないことでもなく、気を揉むほどのことではなかった。

 ただ、ひとしずく分の不安が、胸のどこか底の方で、小さく細波を立てたような気はした。僅かに濁りを帯びたような、不意に靄がわいたような、焦りに似た心細さ。

 一緒に出掛ける約束だったのに、反故にされて置いてけぼりを喰らった、その淋しさがもたらすものだろうかと考えた。子供じみている。拗ねているみたいなものだ。彼らに頼られるべき立場でありながら、存外、自身の方が彼らを頼みにしているのかもしれない。そう自覚して、苦笑をもらした。

 彼らが先に向かったのなら、会場で落ち合えるだろう。見物に群がった人々の中から小さいふたりを探し出すのは容易ではないかもしれないが、美しい彼らはとても目を惹く。たとえフードやマントで輝かしい金髪や仕立ての良い王族の衣を隠しても、立ち居振る舞いの麗しさや醸す空気が市井の人々とは違っている。きっとすぐに見つかるだろう。少し叱ってやらなくては。

 そんなことを考えながら、遅ればせてサーカス小屋へと向かった。



 さあさあ皆様、今宵、お楽しみ頂けているでしょうか。

 宴もたけなわ、場も温もってまいりました。

 え? 暑いくらいだ? そうですねぇ、皆様の熱狂でテントの中ははち切れんばかりです。幾らか風通しが悪いせいもございますでしょうか。あらいやだ、ブーイングですか? まあまあ、これもまた雰囲気があって宜しいでしょう?

 幾多のショーに皆様の割れんばかりの拍手喝采、ありがとう存じます。出演者たちの汗も飛び散り、皆様方は手に汗握り、楽しんで頂けたのではないでしょうか。獣も多く活躍しました。ふふ、少々臭かったですかね。これもまた滅多に嗅げない匂いですから、面白がって頂ければ。

 滅多とないと言えば、こんな出し物はいかがでしょう? 滅多に、いえいえ、けっしてお目にかかれない、類い稀なショーですよ。

 期待が高まってまいりました。

 では今夜の最後の演目。一夜限りの特別ショー。

 紳士淑女の皆様方、小さな坊やにお嬢様方、刮目して御覧じやがって下さいませ。おや、少々口が悪かったですか。え? 引っ張り過ぎ? ああもう、喧しいったら。

 ではでは、わたくしのつまらない熱弁はここまで。皆様方は最後まで夢の時間をお過ごし下さい。

 今宵のフィナーレを飾るのはこちらのお二人です!



 サーカス小屋の色鮮やかなテントは外から見ると六角形だか七角形だか、内側に入るとコロシアムのようにすり鉢状の観客席が円い舞台を囲んでいます。そこいらじゅうにオレンジ色の光を放つ電飾が連なっています。絶えず七色の紙吹雪が舞い、まるで幻想的でした。

 円形の舞台にはいかにも愉快な星型の模様が散りばめられ、赤や黄色やピンクや白や、色んな色に塗られています。その艶々と磨かれた床に小さな足が立ちました。

 舞台は一度暗転し、スポットライトを浴びた足だけが見えます。一対は深い紅色のプリマドンナのつま先立ちにも負けないくらい踵の高いヒールを履いた小さな可愛い足でした。もう一対はタップを踏むと軽快な音のする艶やかな革のブーツです。二人分の足だけが照らされ、クルクルと踊りだしました。

 やがて照明は下から上へと舐めるように、二人の姿を明るみにします。一人はベルベットのドレスを纏っていました。腰のきゅっと引き締まった、ふんわりと広がるスカートにレースがたっぷり詰まったワンピースドレスです。靴と同じ、深い紅色をしていました。もう一人が来ているのは鮮やかな真紅のツーピース。ジャケットには金の組紐を通したボタンが六つばかしも並び、肩には金婁が垂れ下がる、実に豪華で気品あふれる衣装です。腰から下は燕尾の形になっていました。

 まるでどこかの国の王女様と王子様のよう。

 二人の顔が照らし出されたとき、会場がどよめきました。まったくその通りだったのです。

 深い紅色のドレスを纏った少女はこの国のお姫さまでした。見間違うはずがありません。絹糸のような美しい金髪が包む華奢な輪郭、真っ青に透き通る大きく円らな明るい瞳、無垢の肌、花が咲き綻ぶような愛らしいお顔。こんなに可愛い少女は二人と居ません。それとそっくりよく似た面立ちの、澄んだ青の優しい瞳にきめ細やかな白い肌、輝くばかりの金髪を凛とひとつに結んだ美しい少年。真紅の衣装に身を包んだ彼は、王子に違いありませんでした。紅色の衣はいずれも王家の服装なのです。

 スポットライトに照らされた王家の双子のきょうだいは、互いに近づいたり離れたりを繰り返しながらくるりくるり、ひらひらクルクル、時にタカタンと足を踏み鳴らし、髪をそよがせ、上質な衣を翻しながら舞い踊ります。時折横切る紙吹雪が、チラリ、チラリ、と光を撥ねて、彼らを一層美しく、幻想的に彩ります。

 そうです。これは幻想なのです。本物の姫と王子がサーカス小屋の見せ物に出演するはずがありません。

 しばし固唾を呑んだ人々は、じきにそのことに気づいて安堵に似た息を吐き、二人のダンスを楽しみ始めました。どこか歪で調子はずれの、けれどもなんとも言えず美しい独創的な音楽に合わせて、手拍子が起こります。じゃばらのついたアコーディオンや鍵盤付きのハーモニカ、銀色の鉄琴が舞台の隅の暗がりで演奏されているのです。鈴もシャンシャン鳴っています。トライアングルの音もします。大聖堂の大きなオルガンが奏でるような荘厳な響きも聞こえます。

 音楽に酔いしれながら、観衆の目は舞台の二人に釘付けです。いつしかすっかり明るくなった色鮮やかな円形の上を、小さく幼い少年と少女が、王子と姫にそっくりな物真似の上手いきっと双子のきょうだいが、絶え間なく踊り続けています。まるで機械仕掛けのように休みなく、息次ぐ暇もない程に、ずっとずっと踊っています。人々は拍手喝采、立ち上がって声援を飛ばす者、見惚れて声も失くしてしまう者、感激の余りに涙ぐむ者、色々です。

 ただ一人、彼だけは、茫然と立ち尽くしていました。

 今夜、王子と姫と一緒にサーカスを観る約束をしていた青年です。幼馴染でお目付け役と躾係を兼ねた、王家の子らの友人に相応しい家柄の、綺麗な黒髪をしたあの青年です。

 彼の日頃穏やかな光を宿した両の瞳は、今は凍り付いたように見開かれ、肌はすっかり蒼褪めていました。彼はまだ、この会場でふたりと再会できていません。数時間に及ぶショーのあいだ中、会場のあちこちに目を凝らしたけれども、すぐに見つかるはずだった姿はどうしても探し出せませんでした。事実上の行方不明。王子と姫がそんな事態になっていることを知っているのは彼だけです。

 そのふたりが、舞台の上で踊っている。あれは本当にただの偽物なのでしょうか。遠目だからそう見えるだけ? 実はそばかすやニキビでいっぱいの似ても似つかない顔を化粧で誤魔化し、よくできたカツラと衣装で物真似している、ちっぽけなサーカス団員なのでしょうか。本当に?

 彼の胸はドキドキと不安の鼓動を脈打ちます。今すぐに確かめなくては、ショーを中断して批難を浴びても今すぐに確認しなくては、そう思うのに、足が少しも動きません。

 いつしかフィナーレは最後を迎え、深い闇が降ってきました。

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