短尺こわい

 まだ梅雨の湿り気がどんと居座る七月の初旬、私は祖父の三回忌の為、二年ぶりに故郷へ戻った。バス、電車と乗り継ぎ、くたくたの私に、遠慮の”え”の字もない母が任せたのは、いろいろの法事を待つ間、親戚一同に振舞う菓子の調達であった。

 和菓子屋は駅前通りにあった。この町のメインストリートとはいえ、平日の昼間となっては、近所の老人がちらほら歩いているのみだ。老朽化の為とアーケードは新しくなったが、それに面する店々は半世紀を超えたようなものばかりで、真新しい屋根の白さが変に悪目立ちしている。

 そんな不調和をさらに引き立たせるように、アーケードの柱に笹が結びつけられていた。そうだ、ここは昔から七夕近くになると、店先に笹を並べる習慣があったのだ。

 アーケードがまだ古く、日に焼けた薄汚い黄色の柱が並んでいた折でさえ、夏の気配に幼葉を青青と茂らせた笹はどこか不釣り合いであった。折り紙で作られた七夕飾りも、近所の小学生に書かせた短冊も、何もかもが色鮮やかで、町の景色とちぐはぐに感じたのを覚えている。



 人気のない駅前通りを歩き、ようやく和菓子屋へたどり着いた。熱のこもる体で、自動ドアをくぐった途端、肌に氷を押し当てられた様な冷たさを感じた。心なしか店員さんも肌寒そうだ。

 結露して、靄がかかった様なガラスケースの中には、豆大福や羊羹など、見知った和菓子の色々から、ピンク、黄色と鮮やかな寒天菓子まで様々に並んでいる。

「こちらはおすすめですよ。なんてったって今日までですから」

と、店員の女性が手で示した先には、つやつやと紺碧の肌を輝かせている羊羹があった。白い斑点や帯の様な模様が入り混じって、小宇宙の様な断面を晒している。和菓子屋という文脈の上に無くては、食べ物以外の可能性が考えられる様な風体であった。

「何味になるんですか?これは」

「羊羹ですから、餡子の味ですね。夏菓子ですから、少しあっさりと仕上げています。冷やすと美味しいですよ」

法事の途中の、夏の縁側で、よく冷えた羊羹を食む姿が目に浮かんだ。冷えた塊を舌でほぐすのは、火照った体にさぞ気持ちよかろう。

「じゃあ、これを一本。お願いします」

「ありがとうございます」

直感と食い意地でお遣いのお菓子を決め、さぁ、あとは帰るだけである。羊羹を包むのを待つ間、お茶でもどうぞ。と、大旦那の奥さんであろうか。しゃんと背筋の伸びたお婆さんが暖かいお茶をくれた。

「エアコンの風は冷えますからね。お茶くらいあったかい方がいいでしょ」

「そうですね」

「もしよかったら、あなたも書いていきませんか?」

「何をです?」

「短冊です。もう今日でおしまいだけれど」

そういって、お婆さんは私が返事をする前に、折り紙を切った短冊と筆ペンを寄越した。いいですよ、大丈夫です。という前に、彼女は店の奥へ帰って行ってしまった。

「あら、短冊、書かれるんですか?」

「いえ、そのつもりは」

「願い事が思いつきませんか?」

「……そうですね、まさにそんな感じです」

「羊羹、こちらに置いておきますね」

そう言って、店員さんもさっさと仕事に戻ってしまった。

真っ白い短冊と筆ペンと共に取り残され、しかし、彼女らの好意を無下にするのもどことなく憚れらるまま、私は固まっていた。特に叶えたいような願いはない。いや、願いがないわけでもないが、こうしたところに、戯れに掛けるような願い事がないのだ。億万長者になりたい、だとか、そういうのはなんだか、通り際に鼻で笑われそうで気が引ける。誰が見るわけでもないが、私の子供じみた自意識は、ああでもない、こうでもないと嫌がるばかりである。

 昔、私が近所の小学生だったころ、何と書いただろうか、と必死に記憶を手繰り寄せることにした。誰も急かしちゃいないのに、なんだか汗が噴き出てくるように、どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃとカッカする。

 小学生とはいえどうせ私だ。誰に見られるでもないのに恥ずかしいからと、周りが足が速くなりたい、お金が欲しい、等と書いている中、なにかを書いて、大人びてるね、と先生に言われた気がする。

 実際に過ぎた時間は数分だった。手のひらで握った湯呑はまだ暖かい。

「すみません、短冊、どうすれば」

「そこに紐がありますから、好きなところに結んじゃってください」

「わかりました。どうも、ありがとうございました」

 店の自動ドアをくぐると、体全体に湿気がまとわりついてきた。白い紙紐で短冊を括りつける。他の短冊を視界の隅で読むと、同じことが書いてあった。歩きながら、ほかの笹に目をやっても、必ず同じ短冊があった。なんだ、想像以上に多いもんだ、と嬉しいような悲しいような感じだ。

 私はきっと、次の夏も世界平和を願うのだろう。願われる織姫と彦星には荷が重かろうが、七夕に限って、これ以上の素敵な建前はないはずだ。

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