獣臭い

 私はノンフィクションを書かない。だからこうして書中に綴ることで、ともすれば現実とまぜこぜになりそうなあの日の夢の、彼女が決して実在しなかったことを保証しようと思う。言い換えるならば、これは彼女の存在を否定し、ほの暗い妄想の世界に突き放す試みである。

 昼の白んだ空の下を、私達は他愛のない話をしながら歩いていた。道の先にあるという古寺を取材するため、県の文化財課の職員三人に連れられて、私と彼女は林道にしては少し開けたような、舗装の甘い道を進んでいたように思う。片道一車線の並木道の、アスファルトをグラウンドと同じテスクチャに入れ替えた様な道だ。

 不意に、文化財課職員のうちの一人が、“いつもは通らせない秘密のルートなのです”といって、脇の道を歩き出した。曰く、”このルートを通ると、本堂に直接向かうことができるのです”と。他の職員たちが何気なくついていくのにつられて、私と彼女もついて言った。

 程なくして,目の前に小さな建物が現れ始めた。少し黄ばんだ障子の張られた扉のついた、寺の入り口の鈴や賽銭箱を取り払った拝殿があった。拝殿を支える石垣の下部は、人の手の入っていない巨岩がごろごろとあった。階段を廃した拝殿に入るためには、どうにかこうにかその岩を登っていかねばならないらしい。

 まず、職員一人が先導して、その後にもう一人の職員、私、彼女、そして最後にもう一人職員、という順番で進むことに自然になって、私は四苦八苦岩を上ろうとしたのだが、日頃の運動不足故か、どうにも上手く登ることが出来ず、途中で彼女に道を譲り、彼女は障子の奥へ入っていった。

 その後どうにかこうにか登りきり、拝殿の中に入ったものの、先に入った者の姿がない。障子を開けた正面に焼香台があって、そこで焼香してから進んでくれと後ろの職員が言うので言葉に従った。目を閉じて、手を合わせ、目を開くと障子は閉まっていて、私は拝殿に取り残された。

 拝殿の隅から湧き出すように、おかっぱの少女が、目鼻のあるべき部分がねじれて灰色の少女が、のっぺらぼうの顔をした赤い着物の少女が現れて、手押し車の様な、一輪車の様な、曖昧な木の玩具で遊んでいる。畳敷きの拝殿内を駆け回り、私に気づくと不自然に立ち止まった。

 どういうわけかわからないが、こいつは狸憑きだと思った。そう思った矢先、激しい動機と体の重みに襲われて、ここから逃げ出したいのに歩き方も分からなくなった。歩きたいのに歩けない。やらなきゃいけないことが分かっているのに動けない。数えてみればほんの一瞬であっただろうに、十数時間も苦しんだような脂汗をびっしょりかいて、どうにかこうにか入ってきた障子戸を開けた。石垣を飛び降り、私は秘密じゃない道を通って、観光客向けの案内板を頼りに本堂へ向かうことにした。

 到着してみると果たして、先導の職員彼女もみなそろっていた。

 彼女の腹は知らぬ間に大きくなっていた。太ったのではない、臨月のそれであった。”久しぶり”と彼女は言った。彼女は私の身代わりになったのだと悟った。拝殿に入る前、彼女に道を譲ってしまったから、先に入った彼女が祟りを被ることになったのだ。

 あの少女は何者だったのだろうか。これから生まれる彼女の子だろうか。

 何も知らぬ顔をして久しぶりと言葉を返した。恨んでいやしないかと恐れれば恐るほど、己の顔が平静に近づいて行くのが何より恐ろしかった。

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