火星

 眼前に広がるパノラマのずっと奥では、橙と青が平行線で交わっている。街から一心に車を走らせて早二日、慣れているとはいえ、長い長い直線をなぞるのにはとうに辟易していた。

 この荒野を南北に貫く旧国道は、古くはタトリ族の葬送路として用いられていた。荒野には植物が生えぬ。生と切り離されたこの環境に、万物を朽ちさせる機能を見出し、荒野を通る過程を以って、現世から来世への出発、即ち、魂と肉体の分離を行ったのだそうだ。

 タトリ族が都市部に住処を変え、荒野に国道が整備された以後も、ごく一部の人々はつつましやかに葬送を行っていた。かつてこの道が国家の大動脈で会った頃、ここを走る車に乗っていたのは、輸入品か、家畜か、遺灰であったのだ。都市計画が見直され、新たにバイパスが開通した今では、遺灰だけが残ってしまった。

 かつては人の足で遺灰を担ぎ、およそ三ヶ月かけて荒野を縦断したというが、今では儀式も随分形骸化してしまって__いくら先祖が尊いとはいえ現代人にはそれほどの気力も時間も足りないのだから__葬送の多くは葬儀社に代行されるようになった。遺族たちは葬送の出発を北の街で見送り、その間の御者は私たち葬儀社社員が勤め、予定日に南の街で受け取るのである。

 そういうわけで、私は喪服を着用しているし、車の後部座席には依頼者家族の遺灰が鎮座しているのであった。到着予定日は明日の十六時で、道程もおおよそ予定通りである。車のメーターがそれを証明していた。

 沿線には死んだ建物が時折現れては消えていく。過去の賑わいを失ったガソリンスタンドや食品店、古びた整備場にダイナー、それらすべてが赤銅色の粉塵に塗れて眠っている。

 腕時計のアラームが甲高い電子音を鳴らして退勤の合図を打った。午後八時、道程の計算はしっかり就業時間分で計算されているから、仮にまだ走る気力があったとしても、到着予定時刻がズレるから進むことはできない。この仕事では、そんな気力がある方が稀であるが。

 ゆっくりと停車させると、赤銅色の噴煙が広がって、車の周りだけ靄がかかったように見えた。薄赤いもやの中に、箱型のシルエットがぼんやりにじんでいる。モーテルだ。社の規定では原則車中泊であるが、こんな辺鄙な所、それこそお天道様と故人しか見ていないようなところでルールを破っても誰も咎めまい。何より、多少埃っぽいだろうが、柔らかなベッドで休めるということが嬉しくて、私は少しだけ車を進めてモーテルの入り口に近寄った。

 鉄格子でがっちりと閉鎖された車両出入口の横に、示し合わせたように人一人通れる隙間があった。黒と黄色の警告看板を掲げるポールとポールの間、金網が故意に千切られて門のようになっている。これを開通させたどこかの誰かは皮肉屋だったに違いない。通行禁止の看板にしては、あまりに致命的な弱点だ。

 ずんずん進んでいって、朽ちたネオンの飾られたロビーのベルを叩く。当然、返事は聞こえない。一番素敵な部屋を選ぼう。少し埃っぽい廊下のがれきをよけて歩きながら、ドアを開けて覗き、覗いて閉め、どうやら通りに面した角部屋が、一番空気が澄んでいる。なぜなら天井が朽ちているから!

 部屋の窓から外へ出て、車内から毛布と枕を持ち込んだ。毛布の上にジャケットを重ねれば、幸い季節は冬ではない、寒さ凌ぎは容易いだろう。街灯すら息も絶え絶え、時折弱弱しい光を放って消え失せるような地域だ。上空には圧巻の星空があった。本当はこちら側が宇宙で、はるか上空から都市の明かりを見ているようだ。無重力の様な静謐さが孤独感を逆なでしてくるので、例えば、予定時刻に到着しても、知らぬところで人間が滅んでしまって、私は一人取り残されてしまうのではないかと、突拍子もない空想に苛まれた。

 寂しくなっても仕様がない、柔らかなベッドと毛布に包まれて眠れば、明日の朝には孤独感など消え失せているはずだ。ベッドに重さを預けると、心地の良い鋭さで、冷たい空気が少しの埃とともに舞い上がった。無塵の空間とは言えないが、長年捨て置かれているのにしては綺麗な気がする。

 その理由はベッドボードを見れば分かった。

 木製のベッドボードに何かの模様が這っているのが気になってライトで照らしてみると、それは無数のメッセージが集まったものであった。マーズウェー・モーテル利用細目。利用者は掃除して帰れよ。余力があったら、何かいいもの置いていくこと。自分でたどり着くこと。新人に教えんなよ!よぅ、スイートルームはどうだい?最高だよ。ロビーのカウンター内にラジオ発見。もしパンクした時はルーム3に。コーラを置いていったカルロ氏へ、ご馳走様でした。代わりに缶詰を置いていきます。よい夜をありがとう。ここはどうやら、ドライバー達の聖域らしい。

 葬儀社の先輩の名前もあった。ひときわ薄れた古い文字は社長の名前であった。一人前の葬送ドライバーを育て上げてきた歴史が、ここに静かに沈殿している。明日は少し早く起きて、掃除していかなければならないな。車内に何かおいていけるようなものはあっただろうか。

 火星の孤独が緩やかに失せていくのを感じながら、私はそっと目を閉じた。

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