4・背おい

 ファンファンとあちこちで喧しい音が鳴らされる。高いところに備え付けられたスピーカーからは、一旦録音したものを再生して流しているのか、それともどこかの放送局もしくは放送室から直接なのか、素人くさい女性の声がセリフを繰り返している。声は拡大されるうちにぼやけて、何を言っているのかはっきりしない。警告か催促であるのは間違いない。テレビ画面ではひっきりなしに避難を促す文字が流れていたことだし。それももう消してしまったが。それらの情報は、スマホでいつでも確認できる。

 おもては凄いことになっていた。もともとこの地方はその昔、水害との戦いだったと大昔にも思える小学生の頃に教わったような記憶もないではないが、人間は逞しく、水害が起きれば起きるほど、対策を講じることを繰り返して、むしろ水害に強い地域を作り上げた。比喩ではない意味での「大昔」の人に、感謝せねばなるまい。そんなことだから遠く他県で洪水が起きたり、もしくは同市内で警報が出たりしても、他人事ひとごとでばかり過ごしてきた。良いことだとは思わない。もっと親身になるのが世の中的に正しいだろうとは考える。が、私はそういう同調が苦手な性分だ。親切とか優しさとか責任とか、とかく不得手で要するに冷淡な気質なんだと思う。

 そんなふうに永らく他人事でばかり過ごしていたが、とうとう当事者になってしまった。雨は諾々と降り続いている。変な表現だ。でも、そんな感じだ。とにかく、もう雨という存在が一々気に掛からないくらい、しかし気掛かり以外の何物でもないくらい、ずっとずうっとズルズル延々降りしきっている。お陰で川が氾濫した。歩いて行ける距離だから、近所と言えば近所だけれど、わざわざ歩いて行かなければ見えない程度には近所ではない一級じゃない河川が溢れ、正しく近所と言える距離にある下水だか農業用水路だかの名残りのドブ川が見事なまでの濁流に生まれ変わった。なんだか生き生きして見える。どことなく緊張感のない私はそんな不謹慎なことを感じる。

 窓を閉めた。

 風は全然強くない。籠った雨音に包まれた屋内で、私はせっせと荷物を移動させる。実家の三階は私の部屋だ。正確には一間が両親の寝室で、一間が私に与えられたいわゆる子供部屋――もうすっかり子供ではないが、続柄を表す意味では子供で違っていない――なのだが、日中、私は散らかった自室を逃れて常にすっきりと片付いた両親の寝室に折りたたみ式の机を出して過ごすことが多い。そのせいで本だの日用品だのが自室を溢れて両親の部屋まで侵食している。蔵書は多い。雑食の読書家である私は、年に数回だけ気紛れに新書を買うほかは古本屋で賄ってしまう。そのとき目についた古びた歴史本や古典の現代語訳ものや活版印刷の風情を匂わす昔の辞典や図鑑をツウぶって買ったり、チェーン店のオンラインショップで捨て売りされている小説を片っ端から大量購入したりして。毎度返却期限を過ぎてしまうため、図書館で本を借りることは社会人になって以降、しなくなった。今ここにある本がどれも借り物でないことは、わずかなり救いである。吹き込んだ雨にすでに濡れ始めている段ボールの頼りない感触にややたじろぎながら、私はそれら数百冊の本たちを少しでも高い場所に避難させた。押入とか、タンスの上とか。

 一通りが片付いた頃、弟が階下から顔を出した。「急げよ」と、態度で告げてくる。歳が離れていて、ひょろひょろとした中坊のくせに――いや、もう高校生だったかな――大人びた落ち着きを見せるこの弟が、私は気に入っていた。可愛いとは思わないまでも、好ましいと思う。一人の人間として、その年頃の少年として、とてもいい。恋愛感情ではない意味での好意を、彼には素直に抱いていた。

 私を呼びに来た、というよりも催促しに来た弟は、なんとなくこじゃれた感じのするつばの長めのキャップを被り、ぺらぺらの体に気慣れたロンTを着て、こなれたジーンズの足元にはしっかりとスニーカーを履いていた。家の中で靴を履いた姿を見るのは変な感じだ。こういう時、裸足なんかでいちゃいけないことをきちんと知っていて、偉いなあと感心した。学生の方が大人より、学校行事で色々教わる分、防災意識が高いのかもしれない。背中に、体に見合わない大きさのバックパックをしょっている。修学旅行に行くときに買って貰ったものだったかもしれない。それとも友達とキャンプに行くとか、往年の名作映画に出てきそうなシチュエーションの計画を話していた時だったかも。

 私はまだ緊迫感のない仕草で、とろとろと手提げかばんを選んでいた。水に濡れても平気なビニール製にしよう。どうせなら小分け用の小さい手提げを中に幾つか仕込んで……。とうの昔に避難勧告は避難命令に変わっていて、我が家の階下はどっぷり水に浸かっている。両親は待ちきれずに先に避難所へ出発したかもしれない。もう年寄りに近い年齢だから、その方がいいだろう。別に冷たいとかそういうふうには感じない。

 「早くしろよ」と、ちっともイライラはしていない態度でしかし私を急かしつつ、弟は階段の手前で待っている。「もう終わる」私はそう告げて、最後に黒いリュックに手を伸ばした。通勤に使用しているものだ。実際のところ、それさえ持てば私の批難準備は完了するのだった。日頃から保険証もクレジットカードの類も財布に入れていて、仕事で使う複数の鍵もがっちりチェーンで繋いで絶対忘れないようにしている。その日に使うかどうかわからない資料の類も常時リュックの中だし、常備薬も生理用品も毎日持ち歩いている。銀行や役所に届けている印鑑も入っているし、年金手帳もマイナンバーカードもファイルに挟まって入っている。それは、私の防災意識の高さゆえでは勿論なく、単にずぼらで整理整頓ができないため、どんどん鞄の中に蓄積しているだけのことだ。が、こんな時には迷う必要がなくて助かる。

 「あ、忘れるところだった」ふと思い出して、私は壁にタコ足状態で刺さっている充電器たちをごそっと回収した。ついでに他のコンセントも抜いて回る。どうせブレーカーは落として出るから、漏電やら火災やらの心配はないのだろうけど、念の為。弟もそれを見て、私を手伝ってくれた。そういうところがいい子だなあと思う。文句を言わず、格別賛同もせず、スッと手を貸してくれる。一頻りコンセントを抜き終わってから、しかし私は内心で、むしろ抜いちゃったら穴が剥き出しになるわけだから泥まじりの水とかが侵入して後々大変なんじゃないか? と考えたが、口には出さずに終えた。

 改めてリュックを手にする。要るもの要らないものゴタゴタと入ってやたらと重いそれを毎朝と同じ動作でぐいと背負った時、なんだか妙に新しい気持ちがした。


  ぎゅっと結び目を掴んだ時、なんとなく、改まった気持ちがした。

  使い込んだ風呂敷は、くったりとして、首の前に回した結び目も硬くはない。それでも中身が重いので、喉に食い込まれては堪らない。両手で結び目の近くをぎゅっと握って前に寄せる。絵に描いたような在り来たりの緑色の唐草紋様だ。背中側で膨らんでいる。でも、そんなに大きくはない。自身の全財産など、ちっぽけなものだ。

  前方で、克太郎かつたろうがこちらを振り向き、快活な笑顔を見せた。「重いなら手伝ってやろうか」そんなことを云う。首を左右して応えた。だいたい、一つしかない荷物を手伝うも何もない。分けようがないのだから。「お前はなよなよしいからな、一寸ちょっとの荷でも大儀そうに見える」そう云ってカラカラと笑う彼の背には、こちらのものとは比べ物にならないほど大きな荷物が負ぶわれていた。四角い縦長の箱状の背負子しょいこだ。中身もぎっしり詰まっていることだろう。大事なものがたくさんあるのは大変なことだなと思った。けれども彼はちっとも大変そうではないから、その姿は眩しく映る。颯爽と前を行く力強い足腰が羨ましく思えた。惹かれてやまない。

  克太郎の言い草に、ふっと昔を思い出して笑みがこぼれた。

  かつて、彼は丸髷を結った私を女と見紛ったことがある。おさんどん姿で着物の帯の位置が見えなかったせいもあるだろう。弟妹が多く、母は一番下の弟を産んだ折に他界して、父は仕事場に籠り切り、姉はとっくに嫁いでしまっていたから、炊事場の仕事をするのはもっぱら自身の役割だった。たまたま何かの用向きで我が家を訪れた克太郎は、初対面だった私のその姿を見て、下のきょうだいの面倒を見る健気な娘と勘違いしたらしかった。追々誤解は解けたが、その時を振り返って彼はこう発言している。

  「歳も近そうだし別嬪だし、こりゃ口説けるなと胸を躍らせたのに、まさか男とはなあ。なんだってあんな小娘みたいな丸髷を結ってたんだか、紛らわしい奴め。化粧っけがないのがまた純な感じでいいなとか、手首が細いから柳腰だろうとか、想像したのが馬鹿みたいだ」

  あけっぴろげな語り口調に、腹が立つより一緒になって笑えてしまった。克太郎は朗らかで、ガサツそうだが押しつけがましくなく、そのくせやはり周囲を明るくする力強さを持っていて、まだ少年っぽさの抜けきらぬ若さだったがいかにもいい男ぶりだった。それもそのはずで、彼は役者の卵だった。役者の卵と云っても、すでに舞台に立っていたからもう立派に役者そのものなのだが、当人曰くまだまだ半人前のヒヨッコ以下、孵る前の卵に過ぎぬらしい。役者は彼の家業であった。彼のいなせな男ぶりは、幼い頃から人に見られること、人に見せることを、意識して育ったゆえである。そこに演技的な裏表が備わっていないところが、しなやかな心のありようを表していて清々しかった。

  克太郎は嘘を吐かない。誤魔化したり、表向きだけのいい顔をしたりしない。だから瓜実顔でいかにも頼りなく、ひょろひょろとした私のことを、なよなよしいとか女っぽいとか、面と向かって歯に衣着せず口にした。普段ならそう云われることを陰口や悪口と感じるのだけれど、彼に云われると嫌な気分にはならなかった。無論、嬉しくもなかったが。そう云う克太郎こそ、舞台では女形おやまとして、あでな姿を披露していた。

  彼が女とも男とも関係できると知ったのは、そんな女よりも女らしく、この世の物とは思えないほど美しい、けれども単に虚構や幻想というのとは違う、情感に満ちた女形姿を演じているのを、友のよしみで入れて貰った芝居小屋で観劇してから、少しく経った頃だった。関係とは、つまり肉体関係という意味だ。彼は流しの芸人一家の一員として堅気でない生き方をしてきたから、年頃を迎えるよりずっと前から姐さん哥さん方に色事のいろはを教わったのだった。

  抱いて欲しい。と、私は云った。

  何故、そんなことを云ってしまったのか。私は克太郎に惹かれていた。とてもまばゆく、惹かれずにはいられなかった。けれどもそれは、多分に憧憬と羨望を孕んだもので、自身にはない快活さや正直さや力強さや、そういうものへの慕わしさで、そんな彼が自身と親しく接してくれることの歓びはあれども、恋心などでは恐らくなかった。だのに私は云ったのだ。友であるはずの相手に、色情を催せと強いた。

  彼の顔が、瞬間、明るさを失った。それが真顔の為であることに私は気づいた。いつも明るく見えるのは、克太郎の口元が絶えず笑み、目元が楽しそうな光を宿している為で、押しつけがましく感じさせないのは、頬がやわらかく無理のない自然さで持ち上がっているからなのだと、その時に気づいた。それらの一切が削げ落ちた真顔は、ただ真っ直ぐで、明も暗もなく、無であった。

  見てはいけないものを見た。咄嗟にそう感じた。させてはいけない表情を、させてしまった。彼はこんな顔を、見知った相手に晒したくはなかっただろう。そう考えた。けれどももう遅く、何よりそんな克太郎の顔を、少しも厭だとは思わなかった。これまで常に接してきた彼とは違う、そのことに、落胆や拒否感を抱きはしなかった。申し訳ない。そう感じはしたけれど、それ以外はなかった。だからだろう、私は彼のけして歓迎ではない雰囲気の反応に、しかし今更云ったことを撤回したり、冗談だなどと言い逃れをしたりはせず、ただまじまじとその姿を目に映していた。

  「本気で云ってるのか」どれくらいか経ってから、常とは違う低い声で彼は云った。抑揚に欠いたその声音は、やはり明るくなく、だが暗くもなく、無味乾燥な響きだった。「そうでないように見えるかい」そう返事したと思う。「見えない、な」呟きを落とすようにそう云って、彼は僅かに口元を歪めた。笑おうとしたらしかった。けれどすぐに取りやめて、真顔のまま、ゆっくりと目を閉じた。吟味しているのか、反芻しているのか。逡巡という言葉はあまり似合わない。憤りは伺えなかった。困惑しているふうでもなかった。苦悩している様子とも違った。単に瞑目して見えた。

  「わかった」しばらくして、克太郎は答えた。ゆっくりと開いた目は、真っ直ぐにこちらを見据えた。射貫かれるようだったが、同時にぴたりと肌の上に留まるようでもあった。その目つきの直線さがとてもいいと感じた。彼は何も隠さない。そこにはなんの色もない。落ち着いて、冷静だった。私もやはり冷静だった。穏やかですらあった。抱いてくれなんて、とても色めいて俗っぽいことを口走っておきながら、奇妙なことではあったけれど。欲情はなかった。

  それから二人で茶屋に向かった。女給が居て、余分に金を握らせれば二階に連れ込める、そういう手合いの店であった。金欲しさからか克太郎の色男ぶりからか、さして美味くもない煎茶を運んできた女給はこちらに色目を使ってきたが、どちらも取り合わず、ろくに茶碗に口もつけぬまま、二人して二階に上がった。二階には小部屋が幾つもあって、そのどれもが小さく狭く、畳は毛羽立ち日焼けして、清潔さと程遠い寝具やちり紙があからさまに且つぽつねんと、置かれていた。

  こういう場所は初めてだ。物珍しく、見回していると、物馴れた様子の克太郎は、さっさと床延べてその上に胡坐を組んだ。険しくもなく面白げでもない、あの真顔をしている。「どういうつもりで云ったのか、俺にはさっぱり意味がわからん。お前が何を考えているんだか見当もつかねえ」隣へ、という意味だろう、片手で敷布団をぽんぽんと二度叩きつつ、彼は云った。「自分でも訳がわからない」と、応えようと思ったが、それより先に「が、そこのところは聞きたかない」と彼が言った為、私は黙って隣に腰を下ろした。布団は茣蓙ござかと思うくらい使い古され薄っぺらになっていた。シミだらけで、黄ばんでいるのか模様なのかわからないくらいだ。饐えた臭いが布団からも畳からもして、きっと壁からも天井からもしているのだろう。

  「経験だけは豊富だからな、望むとおりにしてやる。どうされたいか言ってみろ」もっと色気のある雰囲気作りからして欲しい、とは、思わなかった。淡々と何かしらの共同の作業をするような、その手筈を確認するようなやり取りが、無味だが虚しくは感じられなかった。これが正しいという気すらした。何も正しいことなどしていないのに。

  「したいように、して欲しい。克太郎のしたい通りに」「俺は『したい』なんて思っちゃいないんだけどな」その時になって、ようやく彼は真顔以外の表情を浮かべた。苦笑と呆れ顔の中間みたいな迷惑顔だ。健やかに伸びる片腕をおもむろにあげ、ボリボリと心情そのままな様子で首の後ろを掻いた。それからにわかにフッと笑う。

  例えば私が何かの用事で外出し、それが真夏だったりして、うっかり手拭いの一つも持たず、カンカン照りのお日様にほっかむりもできないで汗を垂れ流し、クラクラしてよその家の生け垣の陰などに逃れて休んでいる時、たまたま通りかかった彼がびっくりして傍へやってきて、しばらくの間、手持ちの扇子で風をくれたりどこかから水をもらってきたりと世話を焼きながら付き添ってくれ、ようよう私が回復するのを待って、何処へ行くつもりだったのかだの何時頃からああしていたのかだのどうして日よけのくらい予め用意しておかないのかだのと詰問と説教の入り混じったことを散々捲し立てた挙句、困ったヤツだ、そう云って観念したように溜め息交じりに笑う。あの時の笑い方で、フッと笑みを漏らしたのだった。強情ではない、けれど強靭な、暑苦しくなく温かな、親切さの滲む優しい目元が戻ってくる。

  「かなわんなあ」そう云って、彼は少し背を屈めて、斜め下から覗き見る姿勢で目を合わせた。


 洪水はすっかり収まった。有り難いことに、家屋は浸水したが家族は無事だった。元々狭い家なので、一階部分は車庫と水回りしかない。家財道具は下駄箱と洗濯機、父の釣り道具を除いて全部二階より上だ。なので、少々掃除が大変なほかはさしたる被害ではなかった。尤も、みながみなそんな暮らしぶりではないから、一階の部屋に家電製品だなんだと色々ある一般の家庭やお店屋さんを営んでいるところなんかは、相応の被害を受けただろう。それでも「被災」という程の深刻さは見受けられなかった。少なくとも、他者への同調を苦手とし、同情する心が基本的に欠いている私の目には、そう映った。

 家に帰った私は一応のところ両親を手伝って多少の掃除や片づけを済ますと、高所に避難させていた自身の蔵書の無事をひとしきり確認し始め、その流れでつい、読書に耽りだしてしまった。弟はまだ何かと親を手伝っていて、偉いなあと思う。私のズボラで協調性のないのは家族も熟知しているから、母が小言を言う程度で、それ以上の協力を求められはしなかった。

 読書に耽りながら、でも時々私は本から顔をあげ、ぼんやりと違う景色を見る。それは、知らない時代の知らない人たちの知らない筈の人生の光景だ。線が細く、いかにもなよっとした若い男の子と、がっちりとして逞しく、いかにも快活明朗な好青年の、じれったく、見ている方が恥ずかしいような、それでいて味気ないような、恋とも言えぬ恋物語である。

 私は雑食の読書家だからボーイズラブ小説も読みはするけれど、俗に言う腐女子というわけではなかったから、この風景が自身の妄想の産物であるとはいまひとつ信じられない。そもそも、妄想は目に映るものではない。頭の中で映像を繰り広げることはあるかもしれないが、それと「視える」こととは違うだろう。私には、視えるのだ。ふとした拍子に、何かカチリとスイッチが押されたみたいに、現実の景色と重なって、彼らの姿が、様子が、人生における風景が眼前に展開されてゆく。夢を見ている感覚に似ている。幻視もこんな感じだろうか。幻覚に悩まされるほど病んだことはないので分からない。これこそが神経を病んでいる状態だというなら別だけど。そんな気はしていない。

 前世の記憶というものだろうか。そう考えてみたこともある。でもなんとなく、違うと感じる。少なくとも自分の前世が彼らのどちらか一方だという気はしない。誰か別の人の前世を垣間見ていることは、あり得るかもしれないと思う。例えば、弟だとか。年の離れた彼は、ひょろっとしていて顔立ちが優しい。そのあたりは、彼らの片方に似ていると言えなくもない。但し、弟はなよなよしい類の少年ではないから、安易に当てはめるのは早計かもしれない。彼はどちらかと言えば、活発で気持ちのいい少年だ。別になよっとしたのが悪いわけではないけれど、そういうタイプは頼り甲斐とは遠いから、なんとなく人を不安にさせたりするだろう。いい意味でも、悪い意味でも、人の気を引く。弟にはそういう部分がない。概ねさっぱりして、ちょっと素っ気ないくらいの態度で私には接するが友達とは相応の親密さで上手くやっているようだ。いい子だなあ、とまた私は勝手に感心した。不思議だ。私みたいな人間を育ててしまった両親が、今はあんなにいい子を育てている。

 あの子たちも、いい子だよなあ。と、私は幻覚なのか妄想なのか、それとも霊視なのか、実際のところは判別のつかない光景の登場人物たちを想った。「子」という年齢の人たちではないのだけれど、今の私よりは年下だから、ついそんな表現になる。でも、もしも本当に昔の誰かの魂の欠片とか名残りとかそんな感じのものが私にたまたま触れていて、それを見させているのだとしたら、私よりずっとずっと年上の、もう死んでしまっているくらい年上の大先輩たちなのだ。その彼らが、あんな甘酸っぱい青春の遣り取りをしていたと思うと、妙に頬が緩んでしまう。

 私の目から見ると、あれは恋愛模様に他ならなかった。でもどうだろう? 当人たちにとっては、恋なんて簡単な言葉では片付けられない、友愛や憧憬や親しみやなんやかやが入り混じった複雑で扱い難い「思い」だったのかもしれない。確かなことは、それは大事なものだったということ。それだけは私にも伝わってくる。そんな大事なもの私なんかに伝えていいの? とも思うけど、何か偶発的な、もしくは必然的な因縁で、繋がって伝わっちゃったのだろう。諦めてもらうしかない。

 彼らの行く末がどうなるものか、当面、私は楽しませてもらうつもりだ。小説を読むように。遠い日の、誰かの思いの余韻を、生きて背負った時間の残滓を、無責任な場所からそこはかとない愛しさを覚えて、眺めさせてもらおうと思う。

 尤も、このよく分からないもしかすると奇跡的な現象が、いつもう起こらなくなるとも限らない。それはそれで、読み終えないまま返却してしまった図書館の本くらいには名残惜しい感じがする。なんにせよ、今のところこれは私だけの秘密の能力だ。自慢するようなことでもないし、誰とも知れない人の青春時代の話を――しかもまた聞きみたいな形で――延々としゃべられても退屈なだけだろう。それ以前に信じてもらえるかだって怪しい。妄想逞しい腐女子認定を受けるのは、例え親しい友達からであっても決まり悪いものだ。正直なところ、私だってまだ半分は自身の正気を疑っている。スピリチュアルとは無縁に生きてきた。本音では、魂なんて信じていない。

 けど、「信じる」ということだって、「魂」とおんなじくらい、ほんとはあやふやで曖昧なものではある。


  信じ難いことだった。が、信じるしかあるまい。これが現実だ。

  あんなことがあったのに、彼との関係はそれ以前となんら変わることがなかった。

  男同士だったからかもしれない。これが男と女なら、一旦、体の関係に縺れ込んだなら、どう足掻いたって男と女でしかあれなかっただろう。色恋沙汰に花が咲いたか、或いは痴情が縺れて破局したか、よくても手頃なイロとして、それ抜きの関係には後戻りがきかなかったろうと思う。身を交わすことは、何かしら決定的でそれまでとそれからを断絶させる威力を持つものとなったはずだ。だが彼と私との場合には、普段とは違う珍しい遊びを一度きり、ふたりで遊んで、それだけだったかのような、そんな何事でもない雰囲気であの日の出来事は片付いていった。

  一度きり。そう、一度きりだ。私はもうその一回で、十二分に懲り懲りした。

  強烈な体験だった。他人の体の一部が自身の体の一部に潜り込むのだ。酷く無理があった。女はいつもあんなふうに男を感じながら受け入れているのかと思うと、それだけでもうどこのどんな女にも頭が上がらないような気にすらなった。克太郎は、黙々とこなした。その道に疎い私にははっきりとは分からなかったが、房中術とでも云うのだろうか、そうしたことにはそうしたことの一定の所作であるとか手順じみたものがあるのだろう。それに従い、一通りをこなした印象だった。彼にしてみれば別に面白くもなんともなかっただろう。私も別段、楽しくはなかった。むしろ苦しいし大層疲れた。二人して汗みどろになって肌を重ね合わせ、息も唾液も混じり合わせて、ほんの一瞬の放悦ほうえつに向けて頑張っているのは、実に滑稽で馬鹿馬鹿しいことだった。だから、二度目を欲しいとは思わなかったし、その時のことを思い起こしたりもしなかった。彼も誘ってはこず、掘り返して言及することもなかった。ただ一つの、過ぎ去った物事でしかない。そうして我々は元通り、気安い友としての付き合いにかえっていった。

  いつの間にか息が上がっている。

  じりじりと肌が灼けついた。日差しがきつい。息苦しいのは暑気あたりかと思ったが、もっと物理的な理由だった。担いだ風呂敷を握る手の力が萎え、結び目が喉仏の辺りを圧迫しているのである。手の甲で一度、額の汗を拭ってから、風呂敷を握り直した。

  「休むか」前を行く克太郎が振り返って問う。知らぬ間に随分と離れている。彼が先を急いでいるのはない。私が遅れているのだ。「やっぱりお前にゃ無理だ」そう彼が云いかかるのを察して、私は首を左右すると足を速める。一刻も早く、追いつこうと焦る足が重い。置いて行かれたくはない。しかしだからといって、自身の歩調にいつまでも彼を付き合わすわけにはいかない。それでは彼まで置いてけぼりにされてしまう。我ながら必死の形相であった。

  「真剣だな、人殺しでもしそうだ。お前のそんな表情は初めて見た。いや――」まったく疲れの見えない様子で可笑しそうに云った彼は、ふと何事か云いかけて、云わぬまま、どうにか追いついた私の背を景気づけに叩いた。痛い。少しは手加減してくれてもよさそうなものをと思う。しかしその痛みの分だけ、暑さによろめき疲労困憊してゆく陰鬱さははらわれた。首筋を伝う汗が、少しだけ、清々しいもののように感じられる。

  顔を上げると、ニタリと笑いを寄越した克太郎が、後ろに回って背を押してきた。「おい、やめろよ。恥ずかしい」人目が気になって抗議するが、彼は構わず押し続ける。押されるままに私は歩いた。先までよりずっと早く楽に歩ける。「恥ずかしいとかいっちょ前なこと云ってんな。ワッパどもにすら置いてかれてんだぞ。ったく、情けねぇ」詰る言葉に反して声色は明るい。旅立ちに彼の心が浮き立っているのがわかる。旅から旅へ、そうして彼は幼少からずっと過ごしてきたのだ。晴れ晴れとした大らかな気質を、常に変化してゆく景色と共に培ってきたのだろう。真っ白に膨らんで、広い空をどんどんと流れる雲のように。

  一年と半年、それが、彼がこの地に根を下ろした期間だった。正確を期せば、彼の属する一座が当地の芝居小屋で興行を続けた期間が、であった。「随分長居しちまった」と、彼は出立の日を報せに来た時、一切の外連味なく云った。そのあまりにさっぱりとして至極当然という口ぶりに、声音に、表情に、態度に、私は寂しいと思う瞬間を逸した。幾らかぽかんとしながらも、すとんと何かが落ちてきたように「そうか」と云っただけだった。

  だのに。何を考えているのだろう。ここでもやはり、自身で自身を解しかねる。気づけば「共に行く」と口走っていた。当たり前に彼は面食らっていた。云った私自身驚いたくらいだ。しかし一旦口にしてみれば、それは前々から考えていたことのようにも思えた。「弟や妹はどうする。まだ小さいのがいるだろう。誰が面倒見るんだ」驚愕からくる短い沈黙のあと、開口一番に彼がそう問い質したのが、憎らしくもあり、彼らしく感じられもした。

  問題ない。と私は答えた。嘘ではなかった。本当は、下の子らの面倒など自身がみずとも良かった。炊事だって頼める相手は居たし、現に洗濯物は出入りの女がしていたのだ。その女は父の新しい女だった。母の後釜である。彼女も当初からそんなつもりがあった訳ではないだろう、女手をなくした家に、善意で下女まがいのことをしにきてくれていたのだと思う。それがいつしか親密になり、事実上の後妻となっていた。私はそれを認めたくなくて、子供じみた意地を張っていただけだ。彼女が我が物顔で台所に立つのが厭で、炊事を請け負い、歳幼い弟妹が母を忘れて違う女を慕うのが厭で、面倒を引き受けていた。

  「わかっていた。自分はあの家のお荷物だって。父の職を継ぐでなし、嫁に来てくれる女が居るでなし、子供の時分、わりに体が弱かったから甘やかされて育てられて、そのまま甘えた大人になって、ふわふわと家で親のすねをかじって暮らして、なんの役にも立ちやしない。それどころか、若くもない父に尽くして血の繋がらない子供らの母親にもなってやろうという気の優しい女を追い出そうと躍起になってる厄介者だ。もうずっと前から要らぬ者なのに居座っていたのだ」我ながら侘しいことを云っていると思いながら、彼に教えた。知らず、笑みを浮かべていた。笑う程に卑屈さが増すと自覚してなお、込み上げる笑いに唇が歪んだ。醜いと感じた。

  克太郎は、珍しく真面目な顔をして聞いていた。「ま、そういうこともあるだろう」と、あっけらかんと言い放って欲しかった。まともに向き合われては余計に惨めだ。常の調子で軽々しく笑い飛ばしてくれていいのにと。だが、考えてみれば彼が他人の身の上を軽々に扱ったことなどなかった。彼は身軽で軽妙だったが軽薄ではなかった。尊敬にたる人柄なのだ。

  「いずれ、何所どこかで、見切りをつけなくてはならないと思っていた。お前が旅立つなら、その契機を分けて欲しい。別にずっと着いて行くなんて言いやしない。芸など何もできないのだし。ただ初めだけ、共に連れて行ってはくれないだろうか」そう語ったときには、もう自嘲めいた笑みは消えていた。驚くほど静かな気持ちになっていた。僅かな時間、逆巻き立った思いを過ぎて凪いだ心に、彼の真顔は酷く穏やかに浸みてくるようだった。「わかった」以前にも、こんな声を聞いたなと、どこか自身とは離れて感じられる心地でうっすらと思った。

  そんなやり取りを経ての今である。約束通り、克太郎は次の巡業へと旅立つ朝、私を呼びに来てくれた。私はひと時、友だった男を見送るそぶりで家を出た。背負った荷物は彼への餞別という名目だった。尤も、誰に言い訳したでもない。それを問い質すには弟妹は幾らか幼過ぎたし、父は既に仕事場に籠っていた。行きがけにすれ違った出入りの女に「お出掛けですか」と声をかけられたが、返事はしなかった。最後くらい、何か云ってやればよかったと思う。頭の中では「父を頼みます」であるとか「弟達を宜しく」であるとか「今まですみませんでした」とか、何かしら告げたい言葉はあった。が、結局言えぬまま、常と同じに目を逸らしてすれ違ったのみであった。

  一座の移動の速度は思いがけず速かった。かつての克太郎がそうであっただろうのと同じに、中にはまだ年端のゆかぬ子供も混じっている。大人も大人で、男女を問わず大きな荷を背負っていた。にも拘らず、彼らはずんずんと前へ進んでいく。本当に小さい幼児などは、先頭をゆく山車だしにも似た荷車に母親や母親代わりの女と一緒に乗っているらしかったが、そうでない者はみな歩きだ。子供がついていける早さなのだから、大人の男である自分についてゆけないはずはない。そう思うものの、どんどんと引き離されてゆく。子供の体力にも及ばないとは、我ながらあまりに情けない。

  いや、違うな。例え子供であれ、老人であれ、彼らはみな芸人として己を鍛え、稽古に勤しみ、日々舞台に立ってきた。役者稼業というのが見た目ほど楽な仕事でないことは、克太郎の逞しい体躯を見ればわかる。瑞々しく活力に溢れた若木の四肢、よく撓る柳の肢体、どっしりと低く、けれど鈍重ではなく重心の据えられた体幹。老いも若きも男も女も、一座に属する者は皆、人を喜ばせ、楽しませるために、己が肉体を商売道具として、惜しみない努力を続けてきたのだ。そんな人らに、親元でぬるま湯暮らしをしてきた自身が、なんの努力もしてこず、志も持たない自分如きが、着いて行けようはずがない。思い上がりも甚だしいというものだ。

  一行が角を曲がったことで、とうとう見えもしなくなった。次の角を曲がる前に追いつければいいが、そうでなければついにはぐれてしまう。

  仕方がないな。

  そう、思った。一座の姿が見えなくなり、チンドンと鳴らす囃しも遠のいていき、音につられて道端に出てきた近在の者らもまばらに去り、自身の目に映るのが見知らぬ土地の見知らぬ風景だけになって、

  ――諦めがついた。

  ようやく、と云って良いだろう。遅すぎたくらいだ。

  立ち止まり、膝に両手をつく。肩で息をする私の隣に、背中を押す手を降ろした克太郎が佇んでいた。

  「行けよ。もう、歩けない。見てて分かるだろう、情けないが、今にも倒れそうだ。たった一日練り歩くことすらままならず置いて行かれるとは、正直自分でも予想外だったが、この通り、とても追いつけやしない」云っていて、本当に情けないなと笑いが込み上げた。自嘲の笑みだったが、嫌な感じではなかった。汗を流したせいだろう。クタクタになって足が棒に感じられるほど、ひたすら体を動かしたお陰かもしれない。気持ちがスッキリしていた。胸に宿るのは諦念だったが、そこに濁りや粘着きはなかった。晴れ晴れしくすらある。そして同時に、もう懲り懲りだと思った。

  「お陰で家を出ることができた。これ以上の世話は不要だ。助けてもらった、有難う。左様ならだ」なかなか息が整わず、顔を上げることができない。顎から額から滴り落ちる汗が、乾いた土に点々と落ちる。背中がじりじりと暑かった。今も、青空の天辺ではカンカン照りのお日様がかまびすしい程に輝いているに違いない。僅かばかりの財産が入った風呂敷包が、ずるりと前に垂れ下がってくるのを、結び目を引っ張ってどうにか持ちこたえさせた。小さい癖に重い。克太郎の負っている背負子とは比べ物になるまいが、それでもずしりとはしている。金目のもののせいではない。「そうか」と、克太郎は云った。「そうか」同じ言葉をもう一度云う。

  パンっと小気味よい音がした。一瞬、なんの音だかわからなかった。音の直後につんのめった。危うく顔面から地面に激突するところだった。どうにか踏みとどまった私はまだ目を白黒させながら、尻を叩かれたのだと遅ればせて呑み込んだ。「そうか」三度云って、またパンっと私の尻を叩いた。それきり、彼は言葉を閉ざした。

  遠くから囃子の音が流されてくる。うだる暑さに蜃気楼の揺らぎを帯びて。別れの音色はこんなに明るく愉快気なのかと、うらぶれた気持ちにならずに済んでこれはいいなと、そんなことを僅かに思った。

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