2-10「早乙女英太は、そして目覚める・2」
雨音にふと目をやると、ぽつぽつと雨が降り始めていた。リビングには俺と慈美、そして真凛の三人。
落ち着いた様子で座る慈美に対して、真凛は何処か落ち着かないようにちらちらと慈美を見ている。さっきの話が本当なら真凛にとって、慈美は憧れの存在なのだから無理もないだろう。
「とりあえず、どういう事か聞かせてくれないか」
「どういう事って?」
「さっき真凛が言ってたことだよ。慈美が、その……」
「キュートティーンのメグ!」
「そうそう、それだよ。メグって……その雑誌の有名な読者モデルだったんだろ?」
言い淀む俺をサポートするように、良いタイミングで真凛が話に入ってきてくれた。本人としては一刻も早く事実を確認したいという気持ちなんだろう。
それでもなんだかんだ、久しぶりに慈美と話す俺にとって今は真凛の存在がありがたかった。慈美は少し深呼吸した後に、ゆっくりと口を開く。
「……うん、そうだよ。私は確かに“メグ”だよ」
「マジか――」
「やっぱりそうだったんだ!一眼見た時から間違いなくメグだって思ってたもん!本当に本物なんだぁ…………あ…ご、ごめんなさい」
真凛は我に帰ったのだろう、恥ずかしそうにしながら口を閉じた。まあ短くない時間、真凛の相棒を務めてきた俺としても真凛の気持ちを尊重してやりたいとは思う。
けれど今はそれよりも先に確かめておかなければならないことがある、悪いな真凛。
「えっと、話を戻すけどさ。何で隠してたんだよ、慈美」
「隠してたって、何を?」
「“メグ”のことに決まってるだろ。真凛に言われるまで、全然知らなかったぞ……俺」
「言う必要、ないと思ったから」
「それは、そうかもしれないけどさ。でも俺たち、幼馴染だろ?だったら言ってくれたって良かったじゃんか」
慈美の答えはもっともな筈なのに、どうしてか納得出来ない自分がいた。
今まで何でも知ってると思っていた幼馴染の、俺が知らなかった一面。それが今の百合先輩との関係に重なってしまうようで、怖かった。
知っているつもりで、全く知らなかった……まるで慈美まで変わってしまうようで、怖かったんだ。
「……話せば、安心する?」
「え?」
「英太が安心するって言うなら、幾らでも話すよ?私に出来ることがあれば何でもする。私はいつだって、英太の味方なんだから」
「慈美……」
優しく微笑む慈美が今の俺には眩し過ぎて、思わず目を逸らしてしまう。
百合先輩を優先して、俺から慈美と距離を置いたのに。それにも関わらず、彼女はこうして俺に手を差し伸べてくれる。
ただの幼馴染、たったそれだけの関係の筈なのに。
「……分かった。じゃあ、話すね。えっと、真凛さん?」
「は、はいっ!?」
「私のことをその……尊敬してくれるのは嬉しいし、ありがたいんだけど…今は黙って私の話を聞いて欲しい。いいかな?」
「はい!わ、分かりましたっ!」
「ありがとう」
慈美はもう一度深呼吸をしてから、話し始める。俺が知らなかった、もう一人の小山内慈美……メグのことを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私が読者モデルをするきっかけは、中学一年生の時だった。
元々自分の容姿に自信が……というか興味がなかった私にとっては寝耳に水。考えもしないかった、突拍子もない話だった。
町中を歩いていたら偶然スカウトされるなんて、少女漫画の世界でしか知らない話。それもよりにもよって学校ですらクラスに馴染めなかった私なんかが、だ。
「そんな、よくも知らない雑誌のモデルなんか止めた方が良いわよ?」
当然、両親の反応も芳しくはなかった。当時の私の様子を考えれば無理のないことだとは思うし、両親なりに私のことを心配してくれていたのだろう。
「……私ね、やってみたい」
「慈美……もしかして英太くんの――」
「そのことは、関係ないから。……このままじゃね、いつまでも変わらないと思うんだ。ずっと守られて、おしまい。そんな私じゃ、駄目なの」
本音を言えば、全く関係ない……というわけではなかったけれど。
当時の私は必死だった。今の現状を変えたくて、いつまでも英太の影に隠れて守ってもらうだけの自分じゃいられない。
その為に出来ることを何でもやりたいと思った。
「私ね、変わりたい。いつまでもウジウジしてる自分を、変えたいの」
両親は何度か私を説得していたけれど、私の気持ちが変わることはなかった。それだけ当時の私の想いは強かったのだと思う。
「……分かった」
「あ、貴方……!」
「慈美の意志がここまで堅いなら、私たちから言うことはもうないよ。この子の気持ちを、蔑ろにすることなんて出来ない」
「お父さん……」
「慈美、一つ約束して欲しい。無理はするんじゃないよ。たとえ英太君のことが――」
「分かってる。大丈夫だから、お父さん……ありがとう」
父親の言葉を遮って、私は自分の意志を押し通した。
何故父親の言葉を遮ったのか。それを最後まで聞いてしまったら、また現実と向き合わなくてはならない。多分それが怖かったのかもしれない。
こうして私はやった事もない世界へと足を踏み入れることになった。全ては自分の為、そして彼を……早乙女英太を今度こそ、守るために。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ひとしきり話し終わった私は、出して貰った麦茶を一気に飲み干した。
カラカラだった喉が潤っていくのを感じるのと同時に、思っていた以上に自分が緊張していたことを自覚する。
「……俺、全然知らなかった。慈美が中学生から読者モデルやってたなんて。おじさんもおばさんも、何も言ってなかったし」
「私がね、言わないでってお願いしてたの。上手くいくかなんて分からなかったし、英太に余計な心配を掛けたくなかったから」
嘘は、言っていない。伝えられる範囲で、伝えられる事実を精一杯伝えた筈だ。
“彼女”のことに触れないように細心の注意を払ったのだから、大丈夫なはず。そう分かっていても、冷や汗がじわじわと出るのを抑えられない自分がいた。
「そうか。でも、本当に信じられないよ。慈美がまさか読者モデルだったなんて……」
「……変わりたかったから」
「変わりたかった?」
「弱くて、いつまでも英太に守ってもらってばかりの自分から。このままじゃ駄目だって、そう思ったの」
「守るってそんな大袈裟だな。別に俺は慈美のこと守ってなんかいなかったろ?幼馴染だから、そりゃよく一緒にいたとは思うけどさ」
「そんなことない。だって英太は守ってくれた。あの時だって――」
「あの時?」
「……なんでもない」
一瞬で背筋が凍るような感覚を覚えた。感情に任せて話し過ぎた。
きょとんとした英太の表情を見る限り、何かを思い出した様子はまだない。こんなミスをするなんて私らしくない。やっぱり慣れないことをするものじゃない。
思わず否定した言葉に、英太は納得していない様子で首を傾げる。
「小学校の時、よく虐められてたから。助けてくれたでしょ、英太が」
「あー、そう…だっけ」
「そうだよ。英太にとっては大したことじゃないかもしれないけど、私にとっては大切な思い出なの」
「それで――」
「それでエイの為に自分を変えようと思って、読者モデルを始めたんですね!……あ、すいません、つい……」
つい堪え切れなかったのか、英太を遮って真凛さんが話に割って入ってきた。
「おい、真凛」
「だ、だって!あのカリスマ読モの“メグ”だよ!ウチが読モ目指すきっかけになった人なんだもん。理由だってなんか似てるしさぁ。これでも我慢したの!」
「……私なんて、目指すほど立派なものじゃないよ。またまたスカウトされたから読者モデルをやってただけで、自分を変える為なら何でも良かったんだもの」
「……慈美」
「でも結果的にはそれが色んな人に勇気を与えたんです!ウチだってメグに出会わなければ……あ」
「真凛、お前なぁ……」
「だ、だってぇ!?」
真凛さんのおかげで、私の失言はいつの間にか英太の記憶から消えてしまったようだった。
最初は彼女に聞かせるような話じゃないと思っていたが、今は真凛さんがいてくれて良かったと思う。
「とにかく、今はもうモデルはやってないし。しばらくは学業に専念する為に、中学で終わりにしたの。元々ずっとやろうとは思ってなかったし、それに……」
「それに?」
「こんなにも頼もしい後輩が、私の後に居てくれてるんだもの。私の出番なんて、もう無い」
「えっ!?あ、えと…え?あ、あはは!う、嘘ぉ……!」
「テンパり過ぎだろ、真凛!」
「い、いや無理だってぇ!」
「ふふ……」
……本当に、もう私は必要無いのかもしれない。今の英太にはこんなにも信頼出来る人がいるのだから。私の役目は、本当にもう終わりなのかもしれない。
「じゃあそろそろ帰るね。あんまり長居しても英太に悪いから。久しぶりの登校で疲れただろうから、今日は早めに寝てね?」
「おう……慈美」
「なに?」
「色々と、ありがとな」
「……うん」
「じゃあウチも帰るねー。あ、メグさん一緒に帰りませんか!?」
「うん、そうだね。じゃあね、英太。また明日」
お礼を言うのはきっと私の方だ。けれどそれを、その理由を言ってしまったら英太は思い出してしまうかもしれないから。
だから私はこれからも英太を守る、たとえ彼にとって私が必要じゃなくなったとしても。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
熱い。目の前で家が燃えている。ほんのついさっきまで俺が住んでいた、生まれてからずっと暮らしてきた家が真っ赤な炎に包まれている。
バチバチとこちらを威嚇するように燃え上がり、視界を真っ赤に染め上げる。
『はぁはぁ……』
そんな真っ赤な海から少しでも離れようと、俺は力を振り絞って慈美を引きずる。
ぐったりとした彼女の身体は炎とは違う、もっとどす黒い赤に染まっていた。それが何なのか、考えることすら恐ろしくてとにかく俺は慈美と共に炎から離れようとする。
『あ……』
『逃げないでよ、英太』
でもそんな俺の努力も虚しく、“彼女”はどこからともなく現れた。顔に張り付いたような乾いた笑顔と、右手に鈍く輝くナイフを持って。
『なんでだ……?』
『んと……何が?』
『なんでお母さんを殺した!?なんでお父さんを殺したっ!?なんでっ……なんで家に火をつけた!!?』
息を吸う度に肺が燃えそうになる。頭はチカチカしてもう何も考えられない。でも目の前の“彼女”は俺を見て当然のように言い放った。
『だって、邪魔だったんだもん』
『……え?』
『皆、邪魔だったんだもん。わたしはね、英太と一つになりたかっただけなのに。だって元々わたしたちは一つだったんだから。なのにお父さんもお母さんもね、“わたしはおかしい”って、そう言うんだよ?』
『な、に、言ってるんだよ……』
『あーあ、本当は慈美もいらなかったのになぁ。英太が庇っちゃうんだもん』
『ふざけんな……ふざけんなよぉ!!』
真っ赤な炎に包まれて、それでも“彼女”は静かに嗤う。
本当に自分と血が繋がっているのか、同じ生を受けたのか。疑ってしまうほど、俺は目の前の少女を理解出来なかった。
『わたしね、どうすればずっと英太と一緒になれるか考えたんだ』
『な、何を――』
“彼女”が自らの首元にゆっくりとナイフをかざす動きを見て、俺は全てを察した。
思わず慈美を離して全速力で走り出す。まるで時間が止まったかのように全てがスローモーションで見えた。
そんな中、“彼女”はまた静かに笑って、そして――
『こうすれば、わたしだけを見てくれるよね?』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やめろぉぉぉぉぉぉぉお!!」
飛び起きてまず目に入ったのは見慣れた自室だった。辺りを見回すが勿論、どこも燃えてなんていない。雨が窓を叩く音だけが響いていた。
「……夢、か」
まだ荒い息を整えてから、額の汗を拭う。思っていたよりも大量の汗をかいていることに、改めて気がついた。
「……なんなんだよ」
夢、にしてはあまりにもリアルだった。燃え上がる炎も血に染まった慈美も、そしてあの少女も到底夢で済ますことの出来ないリアリティがあった。
「……とりあえず、着替えよう」
何度か深呼吸をしてから、ゆっくりとベットから起き上がる。どうやら慈美と真凛か帰った後、制服姿のまま寝てしまったらしい。慈美の言う通り、久しぶりの登校で疲れていたのだろうか。
“いつものように”服を着替えてリビングへと向かうと、見計らったかのようにインターホンが鳴った。
「……慈美か?」
まだ夢の内容で頭が一杯だったからかもしれない。後で思えば不用心としか思えない行動だった。何も考えずドアを開けた俺の目の前には――
「あ……ゆ、百合先輩」
「こ、こんばんは英……太?」
慈美ではなく百合先輩がいた。制服のままずぶ濡れで薄っすらと下着が透けている。
しかしそんな事も気にならないくらい、先輩の様子は可笑しかった。俺を見て、隈だらけの虚な目を見開いたまま硬直している。
「ど、どうしたんですか!?そんなずぶ濡れで」
「信じてた」
「……えっと、え?」
「信じてたよ、私。誰にも理解されなくたって、貴方だけは私を分かってくれるって。私の気持ちは絶対に通じてるって、そう思ってたんだから。両親も、私のことなんて本当の意味で理解してなんかないの。貴方だけ、貴方だけなの」
急に密着してきた百合先輩は、ずぶ濡れなのにかなりの熱を持っていた。それがまるで先輩の狂気を表しているようで、怖かった。
「な、何を言ってるんですか……。とりあえず落ち着いて」
「大好きだよ、英太。ううん……“英子”」
「…………え?」
百合先輩の言っていることが、分からない。先輩に髪の毛を触られて、初めて自分の毛じゃないことに気がついた。
恍惚な表情を浮かべる百合先輩の瞳に、俺の姿がぼんやりと映る。
それは、その姿は、顔は、容姿は、表情は――
――あの夢の“彼女”そのものだった。
「……………あ」
「え?」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
――おかえりなさい、わたしの愛しいヒト。
第2章 付き合い始めた彼女の、様子がかなりおかしいんだが 完
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