2-8「僕とウチと・2」


「いただきまーす」


 八方さんは目の前にそびえ立つ巨大なパフェに向かって手を合わせてから、ひょいひょいと口にそれを入れていく。

 甘党でも思わずたじろいでしまいそうなそれを、嬉しそうに食べていく彼女の姿に思わず見入ってしまった。


「ん?食べないの、エイ」

「あ、ああ……っていうかやめてくれよなその呼び名」

「ええ、どうして?」

「だって恥ずかしいっていうかさ。そもそも外で呼ばれることを想定してないっていうか」

「そんなに変わらなくない、エイにしても英太にしても」

「まあ、それはそうなんだけどな。つーかさ」

「なに?」

「本当に……メグなんだな」


 大きなイチゴを美味しそうに頬ばる目の前の女の子は、どこからどう見ても俺のクラスメイトである八方真凛だ。

 クラスメイトといっても本当にただの顔見知り程度。お互いのことなんてほとんど知らない。それは八方さんだって同じはずだ。それでもこうして彼女は俺のことを“エイ”と呼ぶ。AWOでしか知りえないはずの情報をこうして容易く。

 だから認めざる負えないのだ、いくら荒唐無稽だと言われても事実、八方真凛は俺の相棒のメグだったのだ。


「んー、なんかウチじゃ不満みたいな言い方だね?」

「別に不満とかじゃないよ。ただ驚いたっていうか……だってAWOのメグと現実の八方さんはあまりにも……その」

「……キャラが違う?」

「うん、そうだな」

「あー、まあね。だってウチ、高校デビューだし」

「高校デビュー?」

「だから高校からこのキャラ始めたの!恥ずかしいこと確認しないでくれる?」


 真っ白な頬をほんの少し赤らめながら八方さんはバツが悪そうに話した。ああ、高校デビューってあの高校デビューってことか。

 中学時代までの自分を変えるために陰キャが陽キャにジョブチェンジを試みるあれか。


「ってことは八方さん、中学までは」

「超絶根暗の陰キャでしたけど、なにか」

「超絶って……」

「これでも結構頑張った方なんだけどなぁ。一人称も“僕”から“ウチ”に変えたし、流行りの服だって毎日雑誌見て研究してるし。憧れてたモデルの世界にも何とか入れたし、クラスでもイケイケギャルの地位を得られたと思ったんだけどなぁ」


 ペラペラと自分の絶え間ない努力を喋る八方さんは、俺がそれまで抱いていたイメージとは間反対のものだった。


「なんか、意外だな」

「意外って、なにが?」

「いや、八方さんってクラスではクールっていうかさ、こうやってあまり自分のことを話すようには思えなかったから」

「いやいや、それはそうでしょ。見た目はギャルに変化しても結局中身は重度のネトゲ廃人に変わりはないんだから。調子乗って喋ったらすぐに本性がバレちゃうでしょ」

「まあそうかもしれないけどさ、それならそんな必死に隠してまでギャルやらなくてもいいんじゃ……」

「これはね、ウチの憧れなんだよ」

「憧れ?」


 八方さんはじっと俺の目を見た。その瞳には、普段の彼女からは想像も出来ないような熱く強い意志を感じた。


「中学の時にね、雑誌を見たの。キュートティーンってやつ」

「ああ、今八方さんも出てるやつだろ。若い女の子に人気のファッション雑誌、だっけ?」

「うん。ウチね、今までそんなもの見たことなくて。いつも一人で引きこもってゲームして。学校だって行きたくなかった。いつも皆の笑いのネタにされて……そんな自分を変えてくれたのが、その時キュートティーンに出てた“メグ”だった」

「メグ?」

「当時、凄く流行ってたトップモデルの女の子。ウチはね、見たの。キュートティーンでAWOのキャラコスをしてる、メグを。凄かった、そのページを見た瞬間ね、震えが止まらなくなったの。“メグ”のことは知らなかったしAWOのことも出たばかりで何も分からなかったけど、それでも十分に伝わってきた。彼女の凄さ、再現度の高さ、何よりこうやって自分を表現できるんだってことを」


 確かAWOはまだ出来て数年のネトゲだ。つまりメグ……八方さんはその読者モデルである“メグ”に感銘を受けて自分も読モを目指そうと思った、ということなのだろう。


「そんなに凄かったんだ、その人」

「そりゃあ凄いなんてもんじゃないよ!歳はウチらとそんな変わらないだろうに突然キュートティーンに現れて、一躍超人気読モになったんだから。去年から急に活動休止しちゃったけど今だって熱狂的なファンは増え続けてるんだから。メグのおかげでウチだって変わりたい、新しい自分になりたいってそう思えたんだもん!……あ、ゴメン。まくし立てるみたくなって。キモいよね、オタク全開って感じでさ」


 急に我に返ったのか、八方さんは顔を真っ赤にしてしまった。どうやら思いもよらず盛り上がってしまったことを反省したらしい。


「はは、何か安心したよ」

「あ、安心?」

「ああ。だって今目の前にいる八方さんは、やっぱり俺の知ってるメグだったんだなって。それがちゃんと分かったからさ」

「あ……」

「正直半信半疑だったけど、その熱量は俺の知ってるメグそのものだ。八方さんは俺がずっとAWOで冒険してきた相棒に間違いないんだって、そう思えたよ……ありがとな、メグ」

「べ、別にお礼を言われるようなことは」

「今日だって俺のことが心配で、こうして来てくれたんだろ?八方さんのこと、まだ分からないことだらけだけどさ。でもさっきの話を聞いただけでも、今の“ギャル”っていう立場を大切にしてるのが分かるよ。だからそんな立場を捨ててまで……俺を励ますために本当の自分をさらけ出してくれる。その心意気が、本当に嬉しかった。まだ俺の人生も捨てたもんじゃないなって、そう思えて……嬉しかったよ」


 自分でも正直かなり臭いことを言っているのは自覚済みだ。でも言わずにはいられなかった。

 メグ……八方さんはギャルでありクラスの中心であり、そして読モである今の立場を顧みずこうして俺と会うことを選択した。

 それにはどれほどの勇気が必要だったのだろう。大して努力したこともない、ただ百合先輩の言いなりになって満足していた俺には想像することすら出来ない。


「な、なんだか恥ずかしいな……。ウチは別にそんな大層な考えでエイに会おうとしたわけじゃないよ?ただ相棒が苦しんでいたら、手を差し伸べるのは当たり前だと思って」

「それでも。それでも八方さんがしてくれたことは、本当に凄いことだよ。やっぱり俺の相棒は最高だな、メグ」

「わ、分かったから早く食べよ!エイのやつもすっかり冷めちゃってるよ?」

「あ、照れてる?」

「う、うるさいなぁ!いつも一言多いんだよ、エイは!」

「あははっ!」


 照れ隠しをする八方さんにせかされるようにして、俺は自分のオムライスにスプーンを入れる。久しぶり食べたまともな飯は、何故かいつもより上手いように感じた。

 それはきっと気のせいなんかじゃなくて。八方さんが一緒にいてくれるからだと、そう思った。
















「それじゃあ、俺のことには気付いてたんだ」

「まあ話の途中くらいから、だけどね」


 すっかり暗くなった空は、俺たちが来てもう数時間ほど経ったことを教えてくれている。それでも俺たちは全く席を立つ素振りも見せず、こうして語り合っていた。


「マジか。結構詳細は伏せたはずなんだけどなぁ」

「あはは、あれで伏せてたっていうんだったらエイは隠し事下手すぎだよ?確かに名前とかその辺は言ってなかったけどさ、女装して先輩と付き合ってるなんて普通じゃないからね」

「それは、まあそうかもしれないけどさ」

「それにこの一週間、ずっと欠席だったじゃん。ウチらが近くに住んでるってことも前々から分かってるんだし、大体の目星はつくよ」

「さ、流石ネット廃人……」

「いやいや、これくらいエイの知り合いなら誰でも予想出来るから!」


 初めて会ったはずなのに、まるでずっと前からお互いを知っていたような。そんな居心地の良さが八方さんにはあった。

 百合先輩とは全く異なる、親友のようなタイプ。しばらく人と会っていなかったせいなのか、この時間が今の俺にとってはとても心地よかった。


「ん?ああ、この髪と目?」

「え?」

「流石はエイ、気が付いたみたいね。高校に入ってモデルを目指す上で、どうせだったらと思ってAWOの持ちキャラのコスプレっぽくしようって決めたの!どう?結構再現度高めでしょ?」


 俺がぼーっとしていたのを勘違いしたのか、八方さんは自慢げに説明を始める。

 流れるような金髪と澄んだ碧眼はなるほど、言われてみればAWOで彼女が使っているエルフ族に似ていた。勿論、八方さんの容姿が元々整っているということもあるとは思うけれど、AWOに籠める彼女の熱量が感じ取れる。


「……うん、確かによく似てるな」

「でしょ?“メグ”を最初に見たのもキャラコスだったし、自分を変えるならこれしかないって思ったのよね。まさかキュートティーンにスカウトされるなんて、その時は思わなかったけどさー」

「はは、本当に八方さんはAWOが好きだな」

「真凛」

「へ?」

「真凛、で良いよ?メグって呼ぶのはリアルじゃないからエイは抵抗あるでしょ?エイと違って本名じゃないし。でもその八方さんっての、何かムズムズするんだよね。壁を感じるっていうかさ」

「でもなぁ、急に呼び捨てにするってものな」

「だから、今言ったでしょ?これからは真凛で良いよって。それでよろしく!ウチの方はこれからもエイって呼ばせてもらうからさ」

「強引だな」

「知ってるでしょ?ウチが強引なの」

「はは、確かに」


 彼女のなりの気遣いなのだろうか、俺にとっては断る理由もない。ありがたく真凛と呼ばせてもらうことにしよう。


「……うん、少しは元気になったみたいだね」

「……ああ、真凛のおかげだな」

「ふふ、頼れる相棒だからね。学校、これそう?」


 遠慮がちに、それでもちゃんと俺の目を見て真凛は質問する。今までの真凛の話、高校デビューのためにたくさんの努力をしてきた、俺の唯一無二の相棒。その期待に俺は応えたい。


「ああ、行ける。正直、まだ百合先輩に会ってどんな顔をすればいいか……分からない。でもいつまでも逃げてるわけにもいかないからな。ちゃんと前を見て進まないと、何も変わらないと思うんだ。そう、頼れる相棒に教えてもらったからな」

「……そっか。まあしばらくはこうやって、語り合う場を設けてあげるから安心して学校に行くと良いよ。いつだってウチはエイの相棒、だからね」

「おう、ありがとな……メグ」

「さ、そろそろ帰ろうかー」


 お会計を済ませて、真凛と一緒にファミレスを後にする。別れ際まで俺のことを気に掛けてくれた真凛の存在が、本当にありがたかった。

 同時にそんな相棒がいる今の環境に感謝した。不思議と足並みは軽く、まるで深い霧が晴れたような、そんな感覚だった。

 だからなのだろうか。家に帰った途端、急激な眠気に襲われてそのままベットに倒れこんでしまった。


「……今日は、いい日だったな」


 明日からはちゃんと学校に行こう。忘れないうちに目覚ましを掛けて、そのまま目をつむる。

 まだ百合先輩とのことをどうすべきか、何も決めてはいない。でもいつまでもこのままじゃいられないわけで。


「八方、真凛……か」


 真凛のことを考えると不思議と勇気が湧いてくるような気がした。大丈夫、なんとかなるさ。

 だって俺にはなんでも相談できる、頼もしい相棒がいるのだからーー


「…………」


 気が付けば意識を手放し、夢の中へ。枕元で何度もチカチカとスマホが点滅しているのを、俺は全く気が付かずにいた。

 一体だれが、どんな気持ちで俺に電話をかけて来たのか。俺はすぐに思い知ることになる。

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