2-6「人形」
2月中旬。百合先輩と付き合ってから数ヶ月ほどが経つ。
今まで彼女がいなかった俺にとっては、この数ヶ月はまるで嵐のように瞬く間に過ぎ去っていった。
初めて女の子の、しかもずっと憧れていた先輩の手を握って体温を感じて……色々なところにデートに行った。
今まで行ったことがないような場所や、したことがなかったこともたくさん経験出来た。
きっと以前の俺が今の俺を見たら死ぬほど嫉妬するに違いない。
「ねぇ、見て!これなんてピッタリじゃないかな?」
「ああ、良いですね。百合先輩によく似合ってますよ」
目の前で楽しそうにはしゃぐ百合先輩は、それでも間違いなく現実なわけで。
それは俺が間違いなくこの人の恋人である、その証拠だった。
「んー、でもこっちの色も捨てがたいなぁ。ね、英太はどっちが良いと思う?」
ぐいっと突き出された2本のマフラー。煌びやかなチェック柄と、シンプルで大人っぽいそれらはどちらとも先輩に似合いそうだ。
「えっと……どっちも似合うと思いますけど」
「えー……それってなんか適当じゃない?」
「いやいや、本当にどっちも似合いますって!」
「ほんとうかなぁ?」
ジト目で俺を見つめる先輩。今までこんな表情の彼女を、俺は知らずにいた。
普段は優等生で皆の人気者。才色兼備で大人っぽい百合先輩の、俺にしか見せてくれない姿。
……その優越感、特別感こそが今の俺を唯一繋ぎ止める感情だ。
「いや、本当ですから!」
「ふーん……。じゃあ決めた!こっちにしよっと!」
そう言って百合先輩はシンプルな方を“2本”持ってレジに並ぶ。綺麗なピンク色が先輩の手の中で嬉しそうに揺れていた。
「あ、あの……百合先輩」
「ん?」
「そのマフラー……」
なぜ同じ色を2本買うのか。どうしてピンクなのか。聞こうととした言葉は、先輩の顔を見た瞬間に全て消え去ってしまう。
「だってバレンタインのプレゼントなんだから、やっぱりお揃いが良いでしょ?それにピンクが私も、英太にもピッタリかなって思ったんだー。ほら!」
まるで当然かのように、百合先輩は俺たちの今の関係を答えてくれる。首に巻かれたピンク色のマフラーは、煩いくらいにその存在感をアピールしていた。
「うん、やっぱりよく似合ってる!私の見立ては間違ってなかったみたいだね」
鏡にはニコニコと笑う先輩と、その隣に死んだような目をした“女の子”がいた。長めの明るい茶髪と薄めの化粧、それはどう見ても、女装している俺自身だった。
「そう、ですかね」
「そうだよ!さ、早く早く!」
去年のクリスマスから、先輩は変わってしまった。
あの日、あの大雪の日に俺と先輩は結ばれた。でもそれは正確には俺ではなくて、この女装している俺……早乙女英子が、だった。
あの日から事あるごとに百合先輩は俺に女装を要求するようになった。最初は嫉妬の延長線上だと思っていた。俺が他の女の子と仲良くするのに嫉妬して、意地悪としてやっているんだと。
でも段々先輩と過ごす時間が、女装している時の方が多くなっていった。
最近ではもう、女装してデートするのが当たり前になって来ている。
今日だってそうだ、俺は先輩とバレンタインデートをしている。でも当然のように先輩は俺に女装を、英子になることを要求して来ている。
俺のことを口では“英太”と呼びながらも、実際先輩の目には俺なんか見えていないに違いない。今だって先輩の目に映っているのは可愛らしい“英子”なんだ。
こんなの絶対に可笑しい、間違っている。そう思うのにどうしても彼女に逆らえない俺がいた。嫌われなくない、好かれていたい……そんな情けない感情で今日も俺は俺を騙している。
「どうしたの、英太?」
「……なんでも、ありません」
差し出された手を、俺は拒まない……いや、拒めない。
もう薄々気が付いている筈の認めたくない真実から、目を逸らし続けている。この歪みきった関係を、それでも俺は続けたいと思ってしまう。
どんな関係だって構わない、たとえ周りから後ろ指差されていようとも先輩が俺を必要としてくれている限りはーー
「ふぅ、なんだかんだ言って一杯買っちゃったねー!」
「そう、ですね」
あっという間に夕陽に染まった帰り道。いつものように俺は先輩の家まで彼女を送っていく。
手を繋いで仲良く歩く姿は、周りからどんな風に見えているのだろうか。ちゃんと恋人に見えて、いるのだろうか。
「楽しみだね、マフラー。早速明日から一緒に着けようよ?」
「でも学校で着けると目立ちませんか?それに俺ーー」
「それに?」
「……いや、なんでもありません。とりあえず、恥ずかしいんで学校はやめましょうよ」
「えー……まあ、仕方ないなぁ。でもデートでは必ず着けてくるように!」
「……まあ、デートなら」
それは女装した俺に、ってことなんですか。俺じゃなくて早乙女英子にって、ことなんですか。
爆発しそうになる感情を必死に抑え込む。俺さえ、俺さえ我慢すれば良いだけなんだ。それだけで、百合先輩は俺のそばに居てくれるのだから。
もう何度もそう自分に言い聞かせてきたはずなのに、今日に限って心のざわめきが抑えられない。考えたって仕方のないことが、ぐるぐるとずっと頭の中で回っている。
「……ふふっ」
「どうかしましたか、先輩?」
「ううん、私今、本当に幸せだなって」
「百合先輩……?」
「前にも言ったかもしれないけど、今まで人を好きになんてなった事なかったから。だからね、こんなにも幸せな気持ちになれるなんて……思いもしなかったの」
本当に幸せそうな表情をする百合先輩。
ああ、やっぱり俺は間違っていなかったんだ。一番好きな人のこんな表情を見れるのだから、これで良かったんだーー
「私ね、英太が大好きだよ。誰にも渡したくない。こんな私を、どうしようもない私を好きでいてくれるのは……貴方しかいないの」
「百合先輩、俺もーー」
「これからもずっと、“今のまま”でいたい。“今のまま”の私たちで、ずっと……」
ーー俺も好きです、という言葉は百合先輩によってかき消された。“今のまま”という言葉が、まるで反響しているかのように頭の中で繰り返される。
「今の、まま……?」
「うん、今みたいな幸せがずっと続いたら良いなってーー」
百合先輩の言葉はもう、それ以上は聞こえなかった。
そうだ、先輩の幸せに必要なのは俺じゃない。弱くて情けない、“漢”から最もかけ離れている早乙女英太なんかじゃない。
今、目の前で幸せそうに微笑んでいる彼女が見ているのは早乙女英子……あくまでも女装している、俺じゃない俺だったんだ。
「あ……」
何かが音を立てて崩れていった。心のどこかで薄々気が付いていた、気が付かないようにしていた真実。
今まで我慢していたものが、一気に溢れ出す。
……もう、止める事は出来なかった。
「ーーだからね、私」
「先輩は」
「えっ?」
「先輩には、俺は必要ない。必要なのは女装した俺……いや、自由に出来る“可愛い”人形なんですね」
「えっと……え?」
「最初から、そうだったんですよね。貴方は女装した俺にしか、興味なかったんだ。だから、あの日……俺が告白した日。先輩は一回断った。だってあの時俺は……俺は……」
「い、いきなり、どうしたの?」
「俺は女装してなかったから、でしょ?」
百合先輩の目は、今まで見たことないくらいに揺らいでいた。明らかに動揺したその表情に、もう俺は取り返しのつかないことをしていることに気が付いた。
「……はは、だからか。もう一度会った時俺はコンテストのせいで、女装してましたもんね。それを見て先輩は、可愛い人形を見つけたと……そう思ったんですよね。それで“告白を無かったことにしたい”なんて言ったんだ……」
「ち、ちがーー」
「違わないだろっ!」
思わず出た声は、まるで自分のものとは思えない程に醜いものだった。百合先輩は後悔したような、今にも泣き出しそうな顔をして俺を見ている。
そしてその表情が俺の言葉が真実であることの、何よりの証拠だった。
「俺のことを“英太”って呼んだ時も、本当は俺のことなんて見てなかった。先輩の……アンタの目にはずっと“英子”しか写ってなかったんだ……」
頬に伝う涙で、自分が泣いていることに気がついた。一気に顔が熱くなっていてもたっても居られなくなった。
「え、英太ーー」
「っ!」
先輩が何か言おうとしていたが、構わず走り出していた。逃げ出すようにして全速力で走り続けた。
一番漢らしくないであろう行動をしていることが、どうしようなく情けなかった。そして何よりも憧れていた、好きだった先輩に一切見られていなかったことが苦しくて仕方なかった。
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