2-5「早乙女英太の回想・4」


 1月。新年の境内入り口に、俺の姿はあった。

 白い息は、まだまだ寒い季節が続くことを俺に教えているようで、一層身震いする。

 しっかりと防寒はしているはずなのだが、朝はやはり寒い。

 ただでさえ最近は朝起きるのも一苦労だというのに、こう寒くては余計に外に出る気も失せるというものだ。


「はぁ……」


 それでもこうして朝っぱらから外にいるのは勿論、百合先輩とのデートだからに他ならない。


「おまたせー」

「じゃあ、行こっか」


 よく見れば、周りにも同じように初詣に訪れるカップルがちらほらいる。

 中には可愛らしい着物を着ている人もいた。

 そういえば、百合先輩も着物を着てくるって、言っていたような気がする。

 そう思うと俺はそわそわせずにはいられなかった。


「……何、そわそわしてるの?」

「うわっ!?」

「ふふっ、いきなり驚きすぎ!」

「いきなり話し掛けないでくださいよ、百合せんぱ……い……」

「……どうかな?」


 百合先輩は、俺に見せびらかすようにその場でくるっと一回転する。

 赤字に大きな花が描かれた、奇麗な着物だった。そして百合先輩にぴったりの色合いと、デザイン。

 眩しいほどの笑顔も相まって、いつも以上に周囲の視線を集めていた。


「似合ってます、とっても」

「そう?良かったぁ……。意外と着るのに手間取ってね。結構待たせちゃったでしょ?」

「いや、俺も今来たところなんで」


 彼氏のテンプレートみたいな台詞を言って、俺はその場を誤魔化す。

 本当は緊張して30分くらい前にはもう着いていたけれど、それをわざわざ言うのは百合先輩の晴れ姿に水を差すというものだ。


「相当待ったんじゃないの?鼻、真っ赤だけど」

「えっ!?」


 思わず鼻を触ってしまう俺を、百合先輩は意地悪そうな表情で見つめている。

 くそっ、やられた……!


「嘘。でもマヌケは見つかったようね……」

「く、くやしいっ……!」

「あははっ!でも、待ってくれてありがとう。彼女のために見栄を張る彼氏も、嫌いじゃないよ?」

「あ、ありがとうございます……」


 不意打ちみたいな笑顔を見せる百合先輩を直視できなくて、思わず目を背ける。

 相変わらず恥ずかしげもなくこういうことを言ってくるんだよな、この人は。


「さて、英太くんが風邪を引く前に行きましょうか?」

「ちゃんと防寒してるんで、心配には及びませんよ」


 少しは彼氏らしいところも見せておかないとな。

 強がりを言って胸を張る俺を、それでも百合先輩はお見通しのようだった。


「うん……。でもこうすればもっと温かいよ?」

「ゆ、百合先輩……」


 隣で密着するように身体を寄せ、俺の手を握る。

 百合先輩の甘い匂いが、冷えた空気の中に広がっていく。


「……嫌?」

「嫌なわけ、ないです……」

「ふふ、良かった。それじゃあ、行こっか」


 新年の境内を、百合先輩と二人で歩く。

 少し一歩が短い百合先輩に合わせるように歩くのも、もう慣れてきていた。

 未だにこうして密着させるのは慣れないけれども、少しずつ彼氏彼女としてやっていけるようになってきた。

 きっと傍からはそんな風に見えているに違いなかった。














「参拝の仕方って、いまいちよく分からないんだよね」

「そもそも参拝にルールなんてあるんですか」


 田舎町の神社と言っても、三が日は結構な人が訪れている。

 皆がいつもは信じていないような神様にお願いをするため、行列を作っている。

 そしてそんな無礼な行列に、俺たちも並んでいた。


「えー、そりゃあるでしょ。そもそも、毎年どうしてたの?」

「毎年って……」


 そういえば去年はどうしていたっけ。確か三が日は滅多に家に出たりしてなかった気がする。

 たまに慈美が遊びに来るくらいで、こうしてわざわざ初詣なんてしてはいなかった。


「……最近、初詣した記憶はないですね」

「そうだったんだ!じゃあ今年からはちゃんと覚えてないとね?」

「はい?」

「だって来年も、その先も。こうやって二人で来るんだから」

「あ……」

「ね?」


 穏やかな笑顔の百合先輩は、本当に優しい人だ。

 こうやって何も知らない俺を、先輩として年上の彼女としてリードしてくれる。

 俺だってそうしたい。来年も再来年も、こうやって百合先輩と一緒に初詣に行きたい。

 初詣だけじゃなくて、色々なところに行って色々な思い出を作りたい。

 本気でそう思っている。


「それにしても、中々動かないね……列」

「そうですね。意外と皆しっかりと礼節に則って参拝してるみたいですしね」

「それじゃあ、えい!」

「わっ!?」


 百合先輩はさっきよりも一層近く、お互いの体温が分かるくらいに密着してきた。

 着物の上からとはいえ、華奢な先輩の感覚を間近に感じる。

 なんとか平常心を保とうとするけれど、そんなことは出来るわけもなくて。

 そんな俺の慌てる様子を見て、また百合先輩は意地悪そうな笑みを浮かべるのだった。


「ほ、本当にからかわないでくださいよ百合先輩……!」

「別にいいじゃんー。それに半分はからかってないけど?」

「またそんなこと言って……」

「だって寒いじゃない?だったらこうやってくっついてた方が絶対に良いでしょ?」

「まあそれは……そうかもしれませんけど」


 俺の憧れていた先輩は、こんなにも俺の側にいてくれる。

 これ以上の幸せが、考えられるだろうか。俺は本当に罰当たりなくらいの、幸せ者に違いなかった。

 どうかこんな時間がずっと続きますように。

 そう考えてしまったのが、悪かったのかもしれない。


「でしょ?だったらーー」

「あー!早乙女くんじゃーん!あ、唯野先輩も!あけましておめでとうございますっ!!」

「あ……」


 よく考えれば、地元のお祭りなのだから当然なのだろう。

 すれ違ったのは、クラスメイトたちだった。最近俺に話し掛けてくれている、いつものグループ。

 そしてその中心にはいつものように、気怠そうな八方さんがいた。


「ああっ、早乙女!新年早々唯野先輩とデートかよ!くそぉ……!」

「あはは、アンタも今年こそ頑張ればいいじゃない?ね、早乙女くんに弟子入りしなよー」

「え、俺!?」

「そうだっ!頼むよ早乙女―!!」

「い、いや無理だって!」


 教室の時と変わらずに、盛り上がる彼らを俺は素直に羨ましいと思った。

 こうやって青春を共に出来る仲間がいることは、きっとこれからの財産になるだろう。

 そしてそんな彼らが、俺のことを気に掛けてくれていることもまた、嬉しかった。


「大体さぁーー」











「――ごめん、離してくれるかな。その手」

「……え」


 だからなのだろうか、つい浮かれてしまっていたのだろうか。

 百合先輩の、氷のように冷たい声が聞こえても俺は一瞬何を言われているのか理解出来ずにいた。

 そして自分の肩を見て、ようやく百合先輩が言わんとしていることを理解した。

 それは手だった。ノリで騒いでいる時に、ついクラスメイトの女子が俺の肩に手を乗せていた……ただそれだけのことだった。


「あ、ごめんなさい!私そんなつもりじゃ……」

「ううん、私の方こそゴメンね。実は英太くん、こないだ肩を怪我しちゃったの。だからその辺はあまり触らないでくれると嬉しいかな?ね、英太くん」

「え、そうだったの!?本当にゴメンね早乙女くん!」


 勿論、そんな事実は一切ない。

 俺は肩なんて怪我していないし、今だって別に触られても何ともない。

 でも、俺は嘘をつくしかない。申し訳なさそうにしているクラスメイトに、ただの冗談だよって笑ってあげることが出来ない。


「……いや、俺の方こそ悪い。ちゃんと言っておけば良かった」

「こいつってさ、本当にガサツだからなぁー」

「はぁ!?知らなかったんだから仕方ないでしょ!っていうかアンタにだけは言われたくないしー!」

「……ねえ、もう行こうよ。寒いし」


 八方さんは小さく溜息をつくと、そのまま俺たちを無視して行ってしまった。

 他のクラスメイトたちも慌てて俺たちに挨拶して、その場を後にする。

 もしかして八方さんは、変な空気を察して気を遣ってくれたのだろうか。


「…………ねえ、英太くん」

「は、はい……」


 でもそんな考えは、冷え切った百合先輩の声で一気に隅に追いやられてしまった。

 百合先輩は笑っていた。

 その張り付いたような笑みが決して先輩の心中が穏やかではないことを、俺にまじまじと教えてくれているようだった。


「初詣が終わったら、ウチにおいでよ」

「え、でもこの後――」

「おいでよ」


 それは有無を言わせない、そんな圧力だった。

 俺たちの周囲だけ、気温が数度下がっているような感覚に陥ってしまう。


「…………わかりました」

「……ふふっ、良かったぁ」


 まるで獲物を見定めたような、恐ろしい笑顔だった。

 始まる、また始まってしまう。

 俺のせいでまた、百合先輩は“壊れて”しまう。

 もうさっきまでここにあった俺たちの日常は、どこにも存在なんてしていなかった。

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