2-4「早乙女英太の回想・3」
その日は、12月24日。世間一般でいうクリスマスイブというやつだった。
今まで恋人なんて出来たことがなかった俺には一切関係のない話だったが、今年は違う。
今年は俺にも彼女がいる。しかもずっと憧れていた、唯野百合という美人な年上彼女だ。
俺には勿体無い美人な彼女との、初めてのクリスマスイブ。
雑誌やネット、ついでにクラスメイトの陽キャたちから様々な情報をかき集めていた俺の努力はーー
「――ゴメン、その日は毎年家でクリスマスパーティをする決まりになってるの」
「……あー、そ、そうですか」
百合先輩の一言でいともたやすく水泡に帰すのだった。
むしろ一番初めに確認するべきだった、百合先輩の予定。
クリスマスイブを目前に控えたこの時期まで、一切確認しなかった俺の愚かさを呪いたいと本気で思った。
「あ、でもね……」
でも仕方ないじゃないか。だって俺は恋人とクリスマスイブを過ごしたことなんてないんだから。
そんなの夢物語、アニメや漫画の中の話だと高をくくっていた。
まさかこんなにも早く自分に機会が来るなんて、想像もしていなかったんだ。
「あの、英太くん?」
大体さ、クリスマスイブってなんだよ。
なんでクリスマスイブには恋人は一緒に過ごさないとならないんだ。
高校生にそんなこと言われたって、無理に決まってるだろ。
一体世間のリア充たちはどうやって毎年この日を迎えているのだろうか。
ああ、責めるなら俺を責めてくれ。
どうせ俺なんて漢らしくもない、どうしようもない屑のーー
「――もしもーし!」
「あ、はいっ!?」
「もうっ!聞いてた?」
「えと……す、すいません」
「どうせそんなことだろうと思った……。がっかりするのはある意味嬉しいけど、ちゃんと話は最後まで聞くこと!」
頬を膨らませながら、少し怒った口調で百合先輩は俺を小突いた。
本気で怒ってはいないことが分かり、とりあえず一安心する。
こういう時の百合先輩は、実は案外悪い気はしていない……そんな状態なのだ。
「すいませんでした……」
「もういいよ。それでね、提案なんだけど……英太くんもウチのクリスマスパーティに来るっていうのはどうかな?」
「え、俺がですか」
「……嫌、かな」
俺の反応に少しがっかりしたのだろうか、百合先輩は不安そうな表情をした。
当たり前だが、勿論嫌なわけがない。好きな人と一緒にいられるのだから。
本来ならば考えるまでもなく、二つ返事をしているだろう。
しかし百合先輩の、というか正確にはその家族に問題があったような気がする。
「いや、俺は嬉しいですし実際行きたいですよ。先輩と過ごせるっていうなら、俺はどこだって構わないですし」
「英太くん……意外とクサイ台詞言うよね」
「ええっ!?」
「ふふっ、そういう真っ直ぐなところ……私、大好きだよ?とても眩しくて、私なんかじゃ絶対に言えないもの」
「百合先輩……」
百合先輩がたまに見せる、暗い表情の理由を俺は未だに分からずにいる。
付き合ってからもうすぐ二ヶ月が経とうとしているのに、俺は付き合う前より彼女のことを知らない気がした。
何とか百合先輩を元気づけたくて、それでも届かない気がして……。
彼女のこの表情を見る度に、俺はそんなやるせない気持ちになるのだった。
「……じゃあ、クリスマスイブはウチでクリスマスパーティってことで良いかな?」
「いや、でも百合先輩」
「ええ、そこは“いいともー!”じゃないの?」
すぐに元の明るい百合先輩に戻って、子供のように無邪気な笑顔を俺に向けてくれる。
これも俺しか知らない、百合先輩の一面。
そしてあの嫉妬深い、真っ黒な闇を抱えた彼女もまた、百合先輩なのだろう。
「いいともしたいのは山々なんですけど……」
「けど?」
「確か先輩のお父さん、こういうのに厳しいんでしたよね。俺が急に家族の行事に参加したらその……いい気はしないんじゃないですか」
「ああ、そのことなら心配しないで。名案を考えてあるから!」
「名案、ですか」
百合先輩の楽しそうな笑顔に、嫌な予感しかしない。
というか十中八九、絶対に良からぬことを考えてるだろ、この人。
「あー、やっぱり俺――」
「とりあえず当日は朝、英太くんの家に集合だから!それでは解散っ!」
「あ、こらぁ!?」
言いたいことだけ言って、百合先輩はそのまま猛スピードで去ってしまった。
どうやらこれで、クリスマスイブの予定は無事埋まったようだ。
いつもなら慈美と一緒に近くのケ〇タッキーに行って余り物のチキンで乾杯している、クリスマスイブ。
そこまで考えて、最近全く会っていない幼馴染のことが気がかりになる。
「慈美のやつ、大丈夫かな……」
俺がもう来ないでほしいと言ってから、本当に慈美は一度も家に来ていない。
それどころか一切連絡も来なくなり、会ったとしてもたまに廊下ですれ違うくらいだった。
一人で廊下を歩く慈美の姿を見ると、心が締め付けられるような気持ちになる。
でも俺には百合先輩という彼女がいるのだから、俺の選択は正しかったはずだ。
今まで俺に付きっ切りだった慈美も、今回をきっかけに友達が出来るかもしれない。
「……俺も、頑張らないとな」
慈美を突き放した今の俺に出来るのは、せめて百合先輩の支えになることだ。
慈美のことは、きっと今は考えるべきではないのだろう。
俺は一度小さく首を横に振ってから、急いで百合先輩の後を追いかけるのだった。
12月24日、クリスマスイブ当日。
俺たちの住んでいる地域では珍しく、今日は夜に雪が降るとの予報だった。
まさにホワイトクリスマスということで、何日か前から既にテレビで騒いでいたっけ。
「よーし、これで全部揃ったわねー」
そして俺の姿は、唯野家のリビングにあった。
先輩の言った通り、俺は百合先輩たち家族のクリスマスパーティにお呼ばれされたのだ。
パーティといっても人数は先輩たち三人家族に俺を加えた四人。
でも目の前に広がる御馳走の数々から、やはり先輩の家は相当裕福だということが分かる。
「それじゃあ、メリークリスマス!カンパーイ!」
グラスがぶつかる小気味よい音と共に、唯野家のクリスマスパーティは始まった。
百合先輩のお父さんもお母さんも、楽しそうな笑顔で俺を歓迎してくれている。
一見して先輩の言うような厳しそうな人には見えないのだが……。
「遠慮しないでどんどん食べてねー?ほら、これもどうぞー」
いつの間にか大量に盛られていく料理の数々。百合先輩をちらっと見ると、軽く苦笑いをしていた。
どうやらこの家ではこれが普通らしい。
「お母さん、そんな風に押し付けたら困るでしょ?」
「だって百合が誰か連れてくるなんて、本当に久しぶりなんだもの。最初聞いたときは聞き間違いだと思ったわよー!」
「そ、そんなことないでしょ……」
「いや、母さんの言う通りだぞ?あんまりにも誰も連れて来ないもんだから、ちゃんと学校でやれてるのか心配してたんだからな」
「……上手く、やってるわよ」
お父さんの様子を見る限り、今のところ大丈夫のようだった。
今日は朝から先輩とデートに出かけて、そして夜のクリスマスパーティのため準備をしていた。
まさかまたこんな格好をする羽目になるなんて、誰が想像できただろうか。
しかし先輩のお父さんが、彼氏関係にかなり厳しいというのならば俺がこの家に上がる方法はこれしかないわけで。
薄々感づいてはいたけれど、本当にやることになるとは。
「でもこうやって友達が遊びに来てくれるんだから、もう安心ねー。ほら、これも食べて“英子”ちゃん!」
「だから、盛り過ぎだってお母さんっ!英子、気にしなくていいからね?」
英子と呼ばれた俺に、百合先輩は優しく微笑んでくれる。
前にこの家に来た時と同じ、俺は早乙女英子として……先輩の友達としてクリスマスパーティに参加することを選んだのだった。
「ふぅ……。本当にお父さんもお母さんもしつこいんだから」
「はは、でも本当に良い人たちでしたよ。料理も凄く美味しかったですし」
人生で二回目になる、百合先輩の部屋。
全体的にシンプルな家具が多く、色合いも紺色などの落ち着いた色で統一されている。
前回は殆どいることはなかったが、今回は違うようだ。
目の前に敷かれている布団が、やけに目に入って来た。
「あの、俺……」
「勿論、ここで寝るんだよ?だって他の部屋だとバレちゃうかもしれないでしょ」
「そ、そうかもしれないですけど……」
「ん、もしかして緊張してるのかなー。このこのー!」
悪戯な笑みを浮かべてくる先輩の、まさに言う通りなので何も言い返すことが出来ない。
確かにいつかこんな時が来るだろう、なんて思ってはいた。
俺が愛読している雑誌によれば、付き合ってから初体験までの平均は約一か月らしい。
もう俺たちは二か月近く付き合っているわけだから、統計上はなんらおかしくない。
「……ふふ、本当に緊張してるんだ」
「あ、あの……」
ちらっと時計を見ると既に11時を回っていた。
確かあの雑誌にはいわゆる“そういうこと”が一番起こりやすいのは夜の11時から1時だって……そう書いてあった気がする。
「そのパジャマ、良く似合ってるよ……」
「え、これですか……?」
一応女装中ということで、先輩が貸してくれたピンクのパジャマ。
百合先輩はそれを愛おしそうに見つめていた。
よく考えればウイッグもまだ付けたままなのだから、このままっていうのは良くない。
初体験が女装で、というのはあまりにも刺激的……というか変態すぎるだろう。
「あの、女装……」
「そのままで、いいから」
「い、いやでも……」
「いいから。ね?」
百合先輩は俺の抗議を無視して、俺を抱きしめた。
先輩の甘い匂いが、俺をゆっくりと包んでいく。
まるで思考が麻痺していくように、もう目の前の百合先輩のことしか考えられなくなっていく。
「やっと、ここまで来れたの……。もうこれ以上、我慢なんて出来るわけないよ……?」
百合先輩の表情は、まるで熱に浮かされているかのようだった。
目の焦点は定まっておらず、溶けたように俺を見つめる。
その視線に、逆らえるわけもなく俺も百合先輩を抱きしめる。
静まり返った部屋の中で、俺たちの心臓の音だけがやけにハッキリと聞こえた。
「ゆ、百合先輩――」
「百合って、呼んで?」
「ゆ、百合……」
「英太……」
百合先輩の顔が、近づいてくる。
もう抵抗することも忘れて、俺はただ先輩を見つめていた。
そしてーー
「メリークリスマス、英太……」
百合先輩は、ゆっくりと俺にキスをした。
でもその感触は、二か月前に味わったものよりもずっと熱く……そしてずっと絡みつくようなものだった。
――その日は天気予報通りの、大雪だった。
でも俺たちにはそんなこと全く関係なくて。
そして恐らくこの日からだっただろうか。
彼女の、唯野百合の様子が一層おかしくなってしまったのは。
きっと彼女はこの時“欲していた”ものを手に入れてしまったのだろう。
俺がそれを本当の意味で実感したのは、ほんの数週間後のことだった。
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