2-2「早乙女英太の回想・1」
11月も中頃になり、外はすっかり寒くなってきた。
朝が苦手な俺にとっては余計に、ベットから出たくない理由が増えてしまう。
それでもこうして遅刻せずに朝食にありつけるのは他でもない、目の前の幼馴染のおかげだった。
「あのさ、慈美」
「はい、お醤油」
以心伝心というべきか、俺が言う前に察して望むものを渡してくる。
最早職人芸と呼んでも良いものだった。
「ありがとう……じゃなくてだな」
「あれ、違った?」
「いや、確かに醤油も欲しかったけどさ。昨日も言ったけど、もうわざわざ起こしに来なくていいからな」
先程の考えとは全くもって矛盾する言葉を、それでも俺は言わざるを得ない。
もう何度目かになるその言葉を、慈美は相変わらず無視した。
「……早くしないと遅刻しちゃうよ」
「慈美、分かってるだろ。俺と百合先輩が付き合ってるの」
「今日は英太の好きな卵焼き、入れておいたからね。味は問題ないと思うけど、もし気に入らないようだったら言って?」
慈美の視線の先には、可愛らしい袋に入ったお弁当箱がある。
これだって、昨日も俺は散々断ったはずなのだが……。
慈美は一切聞く耳を持ってはくれなかった。
「ありがたいけどさ、持っていけない。百合先輩の気持ちを考えたら、慈美にだって分かるだろ」
「今日は放課後ちょっと用事があるから、遅れるけど……。夕飯には間に合うから安心して?」
「慈美、なあいい加減にしてくれよ。やっと百合先輩と付き合えたんだ。だから出来れば慈美にだって祝福してほしいしさ……。こんなの、まるで当てつけだろ?」
百合先輩と俺が恋人同士になってから、約二週間が経っていた。
先輩と何度か話し合った結果、俺たちの関係は聞かれない限りはむやみに吹聴しないことにした。
と言っても、ほぼ毎日俺のクラスに来る先輩を見ていれば大体のクラスメイトは勘づくとは思うけれど。
でも幼馴染であり俺の数少ない理解者である慈美には直接、俺の口から付き合ったその日に伝えた。
そしてその日から、慈美の様子は少しおかしいのだ。
今までも確かに俺の身の回りの世話を焼いてはくれていたが、こんな頻繁ではなかった。
まるで“誰か”に見せつけるように、ほぼ毎日こうして足繁く俺の家に通っている。
さっきも言ったように俺自身、何度も止めるように説得しているのだが……。
「……別に当てつけなんかじゃない。私は幼馴染として、一人暮らししてる英太が心配でこうしているだけ」
「それはありがたいけどさ、先輩の気持ちを考えるとそうはいかないんだよ」
「急に入って来たのは、唯野百合の方でしょ。私たちの関係は何も変わってない。今までだってこれからだって……英太を守れるのは私しかいないんだから」
「守るって……」
最近慈美は“守る”という言葉を頻繁に使うようになっていた。
一体何から俺を守ろうとしているのか、俺には見当もつかない。
ただ伝わってくるのは慈美は百合先輩のことを敵対視しているということだけだった。
そして間の悪いことに、こんな時に限ってインターホンの音が聞こえてきた。
そういえば昨日、百合先輩が「明日は家まで迎えに行くねー」なんてことを言っていたような気がする。
「私、出るね」
「あ、おい慈美!」
止める間もなく、慈美は扉を開けてしまう。
今までは先輩がウチに来ることがなかったから、避けられていた事態がついに起きてしまうのだった。
「おはよ……えっと、貴女は……」
「小山内、小山内慈美です。英太の幼馴染の。何か用ですか、唯野先輩」
「お、おい慈美!ゆ、百合先輩すいませんーー」
「――これはどういうことなのかな、英太くん」
何とか弁解しようとしたが、時すでに遅し。
百合先輩は能面のような表情で、慈美をじっと見つめている。
「どういうことも、ありません。私たちはずっと前からこういう関係ですから」
「慈美!誤解を招くような言い方するなよ!」
「ねえ、小山内さん。私と英太くんが付き合ってるのは……勿論知ってるんだよね」
「……それは、そうですけど」
「じゃあ分かってくれると思うけど、小山内さんには少し遠慮してほしいかな?あくまでも貴女は幼馴染でしかないわけだし」
言葉遣い自体は冷静そのものだったが、所々に棘のある口調。
百合先輩はかなり頭にきているようだった。
そして慈美の性格上、こうなってしまっては恐らく引くことはないだろう。
この状況を解決するには、もう俺がはっきりと言うしかない。
一度軽く深呼吸をしてから、俺は優しく慈美の肩を叩いた。
「ごめんな、慈美。さっきも言った通りだけど……もう起こしに来なくて大丈夫だ。弁当も晩飯も、悪いけど必要ない」
「英太くん……」
「英太、聞いてーー」
「――はっきり言って、迷惑なんだ。百合先輩の言う通り、こんなの間違ってるよ。だからもう止めてくれ。幼馴染なんだから分かるだろ……頼むよ」
罪悪感は、勿論あった。
でもそれ以上に、ちゃんとけじめをつけるべきだと思った。
俺の彼女は百合先輩なわけで、慈美じゃない。
ここではっきりした態度をとることが、誠実な……“漢”らしい対応だと俺は思うから。
「…………分かった、好きにすれば」
「慈美……」
俯いた慈美の声は、いつもよりずっと元気がなかった。
その声に気持ちが引き戻されそうになる。
でもこれ以上不誠実な態度をするわけにはいかない。
「…………でもね……それでも、私は英太を守るから。それだけは覚えておいて」
「……百合先輩、行きましょう」
「えっと……でも……」
「いいですから……慈美」
「……分かってるから。合鍵なら、ちゃんとポストに返しておくから……早く行けば、いいよ」
「……ああ」
「あ、英太くん!」
そのまま先輩の手を取って、逃げるように学校へと向かう。
これ以上あの場にいたら、気持ちが揺らいでしまいそうで怖かった。
俺だって、好きでこんなことをしているわけじゃない。
本当だったらこれからだって、以前のように仲の良い幼馴染でいたかった。
でも今の慈美はきっと聞いてくれない。だからこうするしかないんだ。
先輩の手を握りしめて、俺は何度も心の中でそう繰り返した。
通学路を歩きながら、俺は百合先輩に慈美とのことを説明した。
といっても特にやましいことがあるわけではない。
それでもああやって一つ屋根の下、男女二人きりでいた時間もあったのだから先輩には当然怒る権利がある。
「……別にね、私そこまで怒ってないよ?」
「そ、そうなんですか」
でも百合先輩は俺を怒りはしなかった。
どちらかというと悔しそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「勿論驚いたし、最初はイラっとは来たけど……最近ね、ちょっと怖いの。自分が……」
「先輩、ですか」
「私ね、今まで恋とか……そういうのとは無縁だったの。だからね、ちょっと変なのかな。英太くんがね、他の女の子と話したりしてるとね……その、なんかそわそわしちゃうんだよ。こんなの私らしくないって、みっともないって思ってるんだけど……」
「それって……嫉妬、ですかね」
「そ、それは………………うん」
耳まで真っ赤にしながらも、百合先輩は静かに頷いた。
「……それじゃ、俺と同じですね」
「英太くんも、そうなの?」
「はい。俺だって先輩が他の男子と仲良くしたりしてたら、不安になりますよ。ただでさえ先輩は人気者なんですから。いつフラれちゃうんだろうって……たまに心配になりますし」
「そんなことしない!……しないもん」
大声で周りの視線を集めたのに気が付いたのか百合先輩は小さく、それでも念押しするように言ってくれた。
「だから、俺嬉しいんです。それだけ先輩が俺のこと、好きでいてくれるってことですから」
「……うん、好き」
「あ、はは……照れますね」
「…………馬鹿」
まだ人通りの少ない裏道を、俺たちは一緒に歩く。
付き合ってから二週間、俺は順調に先輩との関係を深めていた。
――このまま俺たちは上手くいくに違いないって、この時はまだそう思っていたんだ。
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