1-10「ここから終わる物語」
放課後、担任の号令と共に今日の授業も終了した。
いつもならこのまま真っ直ぐ部活へと直行するところなのだがーー
「あ、早乙女くんー!これから部活?」
「え、ああ……そうだけど」
「早乙女くんって男テニでしょ?じゃあ一緒に行こうよ!」
わらわらと集まってくるクラスメイトは、それぞれ興味津々だと言わんばかりの雰囲気だった。
それもそのはずだ。昨日まではただのクラスメイトだった奴が、こないだの女装コンテストで一躍有名になったのだから。
その感情が好意にしろ、敵意にしろ興味を持つのは当然のことだった。
ちなみに男テニというのは俺が入っている男子テニス部のことで、彼女たちは女子テニス部だ。
確かにコートは隣なので何度か顔を合わせたことはあるが、特に親しくはない。
そんな人たちからも声を掛けられるのは、こないだの女装コンテストの影響……だけではないようだった。
むしろ今、彼女たちが知りたいのはもう一つの方に違いない。
「えっと、じゃあーー」
「――早乙女くん、いますか」
「あ……」
その声が聞こえた途端、クラス中がざわめいた。
しかし張本人である百合先輩は、そんなことは微塵も気にしない様子で真っ直ぐ俺の席へと近付いてくる。
「ごめんね、早乙女くん。待たせちゃったよね?」
「いや、俺も今終わったところですから」
「そっか、それなら良かった」
そう言って満面の笑みを浮かべる百合先輩は、どんなものよりも眩しく感じた。
俺の憧れの……初恋の人。
「あ、部長お疲れ様ですっ!」
「皆、お疲れ様―。悪いんだけど、ちょっと早乙女くんは借りていくねー?」
「は、はいっ!」
「さ、行こ?」
「……はい」
差し伸べられたその手を、俺はしっかりと握る。
周囲ではざわつきがより一層大きくなり、皆がひそひそと噂話をしているのが分かる。
百合先輩は校内では知らない人はいないくらいの有名人だから、こうなるのも納得ではある。
そのまま先輩に連れられるように教室を出て、向かうのはいつもの中庭だった。
「ごめん、邪魔しちゃったかな」
「いや、全然そんなことありませんよ。むしろ急に話しかけられちゃったんで……その、ちょっと困ってたんです。だから、助かりました」
「嫌なときは、ちゃんと嫌って言わないと駄目だよ?」
若干俺をたしなめるような百合先輩の口調に、素直に反省する。
「すいません。正直、今まであんな風にクラスの女子に話しかけられたことなんて、滅多にないので……。本当に、あの女装コンテストがきっかけですね」
「それだけなのかなぁ」
「あー、あとはその……」
「んー?」
歯切れが悪い俺を、じっと覗き込んでくる百合先輩。
俺がこれだけ注目されているのは間違いなく……。
「多分ですけど、百合先輩が原因じゃないかと」
「え、私?」
「先輩がわざわざ一年のクラスに来るなんて、話題にならない方がおかしいですから。今日の朝といい、昼といい……それに今だってかなりクラスが騒がしかったですよ」
「えー、そうだったかな」
どうやらこの人には全く自覚がないようだった。
それもまた先輩の魅力であり、そして憎めないところでもあったりするのだが。
「でも、別に良いでしょ。私が早乙女くんのクラスに遊びに行ったって」
「それはまあ……勿論、俺は嬉しいですけど」
「だって私たち……そ、そのつ、付き合ってる?わけだし」
顔を真っ赤にしながら、それでも絞り出すようにして百合先輩は言ってくれた。
きっと昨日までの俺だったなら、耳を疑ってしまうような台詞。
でもこれは紛れもない、現実なのだ。
俺はこの人、唯野百合先輩と付き合うことにした。
「……俺、正直まだ実感湧かないです」
「そ、そう?」
「だって憧れの百合先輩と付き合えるなんて……俺、てっきりフラれて……あ」
その話は無しだと、そう言われていたことを思い出して咄嗟に口を閉じる。
でも仕方ないじゃないか。俺は事実、一度先輩にフラれているのだから。
「……あの時もね、正直すっごく悩んでたんだよ」
「そう、だったんですか」
「でもね、もう悩むのは止めたんだ。後悔するくらいなら、誰かに取られてしまうくらいなら自分の気持ちに正直になろうって……そう決めたの」
ゆっくりと夕日に染まる中庭。
そしてそれを眺める先輩は何だか儚げで、でも同じくらいに美しかった。
「百合先輩……」
「ね、早乙女くんが私の告白を受け入れてくれたとき……本当に嬉しかった。こんな気持ち、生まれて初めてだった」
「俺も……俺も嬉しかったです。だって先輩はずっと俺の憧れでしたから」
「私が、憧れ……?」
俺は結局、先輩の告白を受け入れた。当然、迷いがなかったと言えば嘘にはなる。
でもそれ以上に、もうこんなチャンスは二度とないと思った。
それに今でも俺はやっぱり先輩のことが好きだ。
だから、告白されて本当に嬉しかったんだ。
「俺、高校に入って……いや、それ以前からずっと男として見られてなくて。だから自信がなくて……。いじられるのも仕方ないって諦めてました。でも先輩はあの時、部活に無理やり連れて来られた俺を笑わずに……ちゃんと俺を見てくれたんです。だから、俺は今幸せです。こんな風に百合先輩の隣にいられることが、俺の夢だったんからーー」
百合先輩は突然、俺を抱きしめた。
夕日に染まった中庭で、先輩の温もりを感じる。
少し甘い匂いが、とても心地よかった。
「あの、先輩……」
「ありがとう。こんな私を好きになってくれて、本当にありがとう…………ごめんなさい」
「あ……」
真っ赤に染まった中庭で、百合先輩は優しく俺にキスをした。
でもその先輩の表情はやはりどこか儚げで、そして少しだけ辛そうだった。
――今思えば、どうしてこの時百合先輩が“ごめんなさい”と言ったのか。
その意味をもっと真剣に考えるべきだったんだろう。
でも俺はずっと夢見心地で、そんなことを気にすることすらしなかった。
これがそう、終わりの始まり。
俺と先輩の、恋人“ごっこ”の始まりだった。
第一章 -フラれたはずの先輩に、猛烈にアプローチされるんだが・完ー
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