1-4「唯野百合は欲している・3」
カフェを出た後は、その辺をブラブラしたり昼飯を食べたりした。
よく知っている商店街なはずなのに、百合先輩と一緒にいるだけでまるで違う景色に見える。
そういう時ほど時間はあっという間に過ぎるもので、気が付けば段々と空は夕焼け色に染まっていた。
「ちょっと歩き疲れたねー。この辺で休憩しようか」
「はい。あ、そこのベンチ空いてますよ」
駅前の噴水広場は、待ち合わせした時とは違ってほとんど人はいなかった。
帰宅ラッシュにはまだ早い時間だし、通り過ぎる人はいても広場に留まる理由もないだろう。
この街のシンボルである大きな噴水が、夕日を反射してオレンジ色に輝いていた。
「わぁ、奇麗だね」
「はい、普段は素通りしちゃうんで気が付かなかったんですけど、こうして見ると本当に奇麗ですね」
「うん……」
先輩との間に流れる沈黙が、今はなんだが心地が良い。
今日一日で、俺が知らない先輩の顔をたくさん見ることが出来た。
そしてより一層、先輩のことが好きになった。
今自分で言った通り、見慣れた景色でも先輩といるだけでこんなにも輝いて見えることを知った。
……いや、知ってしまった。
「俺、良かったです」
「早乙女くん?」
「百合先輩とここに来れて、本当に良かったです。先輩と一緒にいると色んなことが新鮮に思えて……こんなにも知らないことが、この街にもまだまだあるんだなって思いました」
「ふふっ、そう言ってもらえると今日誘った甲斐が会ったかな」
先輩の笑顔が、眩しすぎて見えない。
この人の優しさが、痛かった。俺のことを心配して、わざわざこうやって時間まで使って元気づけようとしてくれた。
それは本当にありがたくて、感謝してもしきれないことだ。
でも先輩が優しくすればするほど、俺は期待してしまう。勘違いしてしまうから。
フラれていることをすっかり忘れて、先輩の言葉を全部鵜呑みにしてしまうから。
「本当に、今日は楽しかったです。わざわざ俺のために色々考えてくれて。励ましてくれて、ありがとうございます」
だからこそ、俺は線引きをする。
自分が思い上がらないように、この関係を俺はちゃんと理解していることを先輩に伝えるために。
「……別に励ますつもりで誘ったわけじゃ、ないよ?私は早乙女くんと遊びたくて、今日誘ったんだから」
でも何故か先輩は納得いかないような表情で、俺に踏み込んで来ようとする。
それは本来は嬉しいはずなのに、今の俺にとっては痛みでしかなくて。
先輩だってそのことは分かっているはずなのに、どうしてそんなことを言うのか。
全く理解できなかった。
「……はは、止めてくださいよ。あー、もしかしてからかってますか?俺は純粋な男子高校生なんで、そういうの真に受けちゃうんで」
「からかってなんか、ないよ」
先輩は俺の目をまっすぐ見つめる。
一体先輩が何をしたいのか、何を言いたいのか……俺にはさっぱり分からない。
「と、とにかくやけくそで女装して落ち込んでましたけど、先輩のおかげで明日からも頑張れそうですよ。本当にありがとうございました」
「……やけくそ、だったんだ」
つい口が滑ってしまったと思った。
なんでやけくそだったのか、それは俺と先輩しか知らないことだから。
こんなこと言うつもりじゃなかったのに、場の空気を変えたくてぼろを出してしまう。
「えと……すいません」
「……別に早乙女くんが謝る必要なんてないよ。むしろ、私の方が謝んなきゃいけないことだし」
「いや、先輩が謝る必要こそありませんよ。元はと言えば俺がこ……」
「……なに?」
「と、とにかく先輩は悪くありませんから。もうこの話は終わりにしましょう」
これ以上話せばもっとぼろが出そうだった。
喉はカラカラで、もう今の俺は一杯一杯だ。
耐えきれずに思わず立ち上がろうとする俺の手を、先輩が掴んでくる。
昨日と、全く同じ光景だった。
「ゆ、百合先輩……?」
「……ごめん。でも聞いてほしいの」
百合先輩の手のひらは、少し震えていた。
先輩の緊張が、俺に伝わってくる。でも先輩が緊張している理由が、俺には分からない。
「き、昨日はね。怖くて言えなかった。でも今日、早乙女くんと一緒にいてはっきり分かったの。あれは、些細なきっかけに過ぎないんだって。私は、やっぱり間違ってなかったんだって……」
百合先輩が何を言おうとしているのか、相変わらず俺には全く理解できない。
でも先輩は何か大事なことを言おうとしている。これだけは確かだった。
「早乙女くん……私……私ねーー」
先輩は、何かを決意したように両手で俺の手を握ってーー
「――その手を放してもらえませんか、唯野先輩」
――冷たい、まるで氷のような声だった。
聞き覚えのある声に思わず振り返ると、そこには夕日を背にして俺たちを見つめる幼馴染の姿があった。
「め、慈美……?」
「……早乙女くん、知り合い?」
百合先輩は驚いたような、困ったような表情で俺を見る。
先輩からしたら、それは当然の質問だった。
だからそれに答えようとする俺を、それでも慈美は阻もうとする。
「初めまして。英太の幼馴染の、小山内慈美です」
「あ、えっと……こんにちは、小山内さん。私はーー」
「英太はこれから私と晩御飯の約束があるんで、これで失礼しますね」
動揺する先輩の返事を待たずに、慈美は俺の腕を掴みその場から引き剥がした。
普段の慈美からは考えられないほどの強い力だった。
「お、おい慈美――」
「英太は、黙っててくれる?」
「……っ」
そして鋭い目で、俺を睨みつけた。
慈美の目は今までに見たことがない、冷たい目だった。
俺は抵抗も出来ずに、そのまま慈美に引きずられていく。
「あ!さ、早乙女くんっ!」
「せ、先輩、すいません!明日――」
「――行くよ、英太。それじゃあ唯野先輩、失礼します」
最後に見た先輩の顔は、夕日に紛れてよく見えなかった。
隣で歩く幼馴染の豹変が、ただ怖かった。
痕になる程強く握られた腕が、痛くて仕方なかった。
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