1-3「唯野百合は欲している・2」


 百合先輩が紹介してくれたそのカフェは、商店街の脇道にひっそりと店を構えていた。

 この街にはそこまで多くの商業施設がないため、この商店街は地元民にとっては馴染み深い場所だったりする。

 俺自身も、小さいころからよくここを利用している一人だ。

 でもそんな俺ですら、こんなところにカフェがあるだなんて全く気が付かなかった。

 最近出来たのかもしれないが、まさに知る人ぞ知るといった場所だった。

 先程のボルダリングジムもそうだったが、百合先輩は俺の知らない場所をたくさん知っている。

 単に俺が疎かったのか、それとも先輩が物知りなのか。

 どちらにせよ、こんな身近に新しい発見があることは素直に嬉しかったりする。


「ここ、私のお気に入りなの。一人になりたいときとかは、よくここに来るんだ」

「そうなんですか。こんなところにカフェがあるなんて全然知りませんでした、俺」


 店内にはコーヒーの良い香りが漂っている。

 アンティークな家具や照明が、店内のレトロ感をより一層演出していた。


「ふふっ、そうでしょ」

「コーヒーの香りもすごく良いですし、店内の雰囲気も何というか……」

「そうそう、なんていうんだろね。この雰囲気……」


 思わずうーん、と二人で考え込んでしまう。

 言葉で表現するのは中々難しいのだが、きっと俺たちが考えていることを同じだと思う。


「いつもどうも、百合ちゃん」

「あ、店長!今日も来ちゃいました!」

「百合ちゃんならいつでも大歓迎だよ。もっとウチを宣伝してくれれば、更に大歓迎なんだけどね」

「えー、それだと私だけの場所じゃなくなっちゃいますもん」


 注文を取りに来た初老の男性と、先輩は親しげに会話を続ける。

 どうやら先輩は本当に足繁くこの店に通っているようだった。

 店に来た時も自然とこの奥の席に通されたし、きっとここが先輩の定位置に違いない。


「――で、こちらの彼は?」

「学校の後輩の、早乙女英太くん」

「さ、早乙女です。よろしくお願いします……!」

「はは、そんなにかしこまらなくていいよ。百合ちゃんが連れてきた、大切なお友達だからねー。それとも、それ以上の関係なのかな」

「え、えっと……」

 

 店長の突っ込んだ質問に、思わずたじろいでしまう。

 0勿論、俺と百合先輩は友達以上の何者でもない。

 でもそれを俺の口から言ってしまったら、もう二度とその関係以上にはなれない。

 何故かそんな気がしてしまって、言葉が出てこなかった。


「もうー、止めてくださいよ店長!本当に色恋沙汰が好きなんですから」

「あはは、悪い悪い!若者の青春を少しでも分けてもらおうと思ってねー。驚かせちゃってごめんね、早乙女くん」

「いや、俺の方こそすいません……」

「あ、店長。いつものやつ、二つで。早乙女くんは紅茶とは飲めるっけ?」

「大丈夫です。特にアレルギーとかもないんで」

「良かった。ここはコーヒーも美味しいけど、私のお勧めは断然紅茶だから」


 店長は注文を確認すると、カウンターの方に帰っていった。

 よく見ると他に店員などはおらず、注文から提供まで全てあの店長がこなしているようだ。

 本当に昔ながらの個人喫茶といった感じだった。


「ごめんね、早乙女くん。店長、腕は確かなんだけどちょっと変わってるの。悪い人じゃないんだけどね」

「いや、全然気にしてませんよ。むしろ気を遣わせてしまってすいません。こういうところ、あまり慣れてなくて緊張してしまって……」

「分かる分かる!私も初めて来たときは、今の早乙女くんみたいな感じだったもん。普段はこういうとこ、私たちみたいな高校生には無縁の場所だもんね」


 なんとか誤魔化せたようで、先輩は気にせずに話を進めていく。

 それはありがたくもあり、少し寂しくもあった。

 店長の一言で俺はあんなにも動揺してしまったけれど、百合先輩にとっては気にすることでもなかったということなのだろうか。

 そんな女々しい考えに、我ながら嫌気がさす。

 先輩は自分だけの秘密の場所を、こうやって俺に紹介してくれている。

 それで俺は十分幸せなんだ。多くを求めすぎることは、きっと間違っているんだ。


「はい、いつものやつね。早乙女くん、驚かせちゃったお詫びに、サービスしておいたから」


 しばらくして店長が持ってきてくれたのは、良い香りがするミルクティーだった。

 それと俺の方にだけ、チーズケーキが1切れ置かれている。


「え、悪いですよ。こんな」

「良いの良いの!百合ちゃん以来の若いお客様だし、初来店のお礼ってことで。その代わり、これからもウチをご贔屓にー」

「あ、ありがとうございます!それじゃ、いただきます」


 俺の返事に店長はにっこり頷いてくれた。

 どうやら先輩の言うように、本当に悪い人ではないようだ。

 むしろ小粋なおじいさんといったところだろうか。


「あー、早乙女くんだけズルいー!店長、私にはー?」

「あるわけないでしょうが。食べたかったら、自分で注文してねー」

「店長の鬼……!」


 頬を膨らませて思いっきり拗ねる百合先輩は、学校で見る彼女とは180度違っていた。

 これが本来の、素の先輩なんだ。

 そんな先輩の新たな一面を見ることが出来て、俺は本当に幸せ者だ。


「……先輩、良かったら分けませんか」

「え?……い、いやでもそれは早乙女くんのだし」


 明らかに欲しそうな様子で、それでも先輩は必死に我慢していた。


「俺、あんまり甘いの得意じゃないんで。もし良かったら協力してほしいんですけど」

「……そ、そこまで言うのなら仕方ないなぁ。別に食べたいわけじゃないんだよ?早乙女くんがお願いするから、仕方なくなんだからね?」

「はい、分かってますから」


 意地っ張りな先輩を前に思わず笑いだしそうになるのを必死に我慢して、俺はチーズケーキを取り分ける。

 それをじっと見つめる先輩が滅茶苦茶可愛くて、動揺しないように半分に切るのに相当苦労した。


「じゃあ、一緒に食べましょうか」

「うん、ありがと……あ、こっちの方が少し多いよ?」

「いや、別に大して変わらないから良いですよ」

「そういうわけにはいかないから!ほら、あーんして?」

「……え?」


 突然面前に差し出されたチーズケーキの欠片を前にして、俺は思わず固まる。

 正確にはチーズケーキを差し出している先輩に、固まっているのだが。

 なんなんだこのイベントは。


「手、疲れるから早くー!」

「え、あ、はい」


 そして先輩に促されるままに、チーズケーキを食べさせてもらった。

 先輩自身は何も気にしていないようで、満足げにしてから自分のチーズケーキへとフォークを運ぶ。


「……あ、百合先輩――」

「うーん!やっぱり美味しいね、ここのチーズケーキは!」


 俺が間接キスの可能性に気付くのと、先輩がフォークを口に運ぶのはほぼ同時だった。

 でもそんな俺のことは気にも留めず、先輩はチーズケーキを堪能している。


「本当にここのケーキって、どれも紅茶に合うんだよ。生きててよかったー!」

「……そ、そうですね」

「ん、どうかした早乙女くん?」

「い、いや別に!全然何でもないですから!あはは……!」


 先輩に悟られないように、俺もテンションを合わせる。

 俺が慌てることも、先輩にとってはたわいもないことで。

 そんな当たり前のことを再認識させられる。

 これで良いって、俺自身が決めたはずなのに先輩といると我慢できなくなってしまいそうだ。

 この関係を、先輩は望んでいるんだ。

 もう一度強く、俺は自分自身に言い聞かせた。


「……美味しいですね、本当に」


 ーーそうは言ったものの、飲んだ紅茶の味はもうよく分からなかった。

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