1-2「唯野百合は欲している・1」


 待ち合わせ時間は10時ちょうど。

 百合先輩から送られてきたメッセージをもう一度開いて、それが間違いではないことを確認する。

 昨日の夜からもう何度確認したか、数えるのも忘れるくらい繰り返している。

 今日に備えて早くベットに入ったが、目がさえてしまい全く寝られなかった。

 おかげで体調はあまり良くないし、おまけに朝から何も食べていない。

 というか緊張でどうにかなってしまいそうで、それどころではなかった。


「ここで会ってるよな……」


 この街で一番有名な待ち合わせ場所。

 駅前の噴水広場には俺以外にも待ち合わせだろうか、多くの人が集まっていた。

 先輩の言っていた場所はここで間違いないはず。

 頭では理解しているのだが、どうしても落ち着くことが出来ない。


「俺、どこも変じゃないよな」


 崩れないようにそっと髪を触って、特に問題ないことを確かめる。

 シャワーだって朝浴びて来たし、身だしなみだってしつこいくらいには整えてきた。

 こういう時のために毎月購読している、高校生向けの雑誌も熟読してきた。

 服だってしっかりコーディネートしてきたし、体調を除いて準備は万全なはずだ。


「くっそ……落ち着けよ、俺」


 そのはずなのに、俺の緊張は収まるどころかどんどん増していく。

 好きな人との、下手したら幼馴染の慈美を除けば、人生初の女の子との二人きり。

 こんな状況で緊張しない方がどうかしているだろう。

 昨日から何度も練り直したプランを、もう一度頭の中で再現する。

 大丈夫、上手くいくはずだーー


「早乙女くん、お待たせ!」

「あ、百合先輩――」


 でもそんな俺の思考回路は、百合先輩を見た瞬間に全て吹っ飛んだ。

 茶髪のセミロングに良く似合う、真っ白な縦セーターに紺色のスカート。

 秋を意識してだろうか、濃い茶色のコートも先輩の魅力を引き立てていた。

 なんだろう、いつも見ているはずなのに今日の先輩はいつもの何倍も可愛く見える。


「ごめんね、もっと早く来るつもりだったんだけど」

「い、いや!ぜ、全然大丈夫ですよ!むしろこれでも早いっていうか……あ、あはは!」


 百合先輩があまりにも眩しすぎて、直視できない。

 尊い、尊すぎる。

 俺の様子を心配に思ってくれたのか、先輩は覗き込むようにしてきた。

 距離が縮まって先輩から、ほのかに甘い香りがする。

 やばい、正常な思考を持っていかれそうになる。

 素数を数えて、落ち着かなければ……!


「早乙女くん、大丈夫?顔真っ赤だけど。熱でもあるんじゃ」

「い、いや大丈夫ですから!本当に元気なんで!」


 俺のおでこに手を当てようとする先輩の手を、何とか避ける。

 今先輩に触れられたらショック死してしまいそうだ。


「そう?まあそれなら良いけど」

「変な心配させて、すいません」

「それはいいんだけど……」


 突然、先輩は俺の全身を品定めするようにじっと見る。

 なんだ、もしかしてこのコーディネートはどこかおかしいのだろうか。

 この服は以前、慈美と一緒に買い物に出かけたときにあいつに選んでもらったやつだ。

 俺よりも慈美の方がよっぽどファッションセンスがあるからと、確かお願いしたんだっけ。

 慈美のセンスに間違いはないと思うのだが、こうもじっくり見られると何だか不安になってくる。


「あ、あの……なんか、俺変ですかね」

「ううん、凄く似合っていると思うけど……早乙女くんってさ、お姉ちゃんとか妹とかいるんだっけ」

「いや、俺は一人っ子ですけど……」

「…………そうなんだ。ふーん」


 どこか腑に落ちない感じで、先輩は何かを考えているようだった。

 まあ似合っているのならよしとしよう。


「せ、先輩も……」

「うん?」

「先輩も似合ってます、めっちゃ。正直、見惚れてました」

「え、そ、そう?ありがとう、なんか照れるね。あはは……!」


 百合先輩は照れ臭い感じで笑っていたが、まんざらでもないようだった。

 ちらっと時計を見ると10時ちょうどだ。

 いよいよ俺の考えてきたプランが火をーー


「それじゃあ、そろそろ出かけようか?」

「あ、百合先輩俺――」

「私行きたいとこあるんだ。まずはそこ行っても、いいかな」


 ――吹くことはなさそうだった。

 笑顔で言ってくる先輩の誘いを断ることなんて出来るはずもなく、俺は即座に頷く。


「は、はい!勿論です!」

「ふふっ、ありがとう!それじゃあ早速出発―!」

「お、おおー!」


 そしてよく分からないノリと共に、百合先輩との一日が幕を開けるのだった。

















 百合先輩の勧めで、俺たちはボルダリングジムに来ていた。

 目の前に広がる大きな壁には、様々な色と形の岩が散りばめられている。

 ボルダリングという名前だけは聞いたことがあったが、実際やったことは一度もない。

 そもそもこういうスポーツ系の遊びには、それ相応の格好が必要だ。

 急に連れてこられた俺は、当たり前だが何の準備もしていなかった。

 だが俺は今、しっかり半袖のスポーツTシャツに短パンを履いている。


『はい、これ早乙女くんの分!新品だから安心してね』

「……いくらなんでも用意が良すぎるだろ」


 笑顔の先輩に渡された袋の中には、しっかりと俺の分一式のスポーツウェアが入っていた。

 靴は元々貸し出してくれるとのことで、俺はこうして難なくボルダリングが出来るわけだ。


「早乙女くんお待たせ―」

「あ、百合先輩」


 先輩は運動用だろうか、長い髪を括ってポニーテールにしていた。

 部活の時も確かそうしていたような気がする。ピンクのTシャツがよく似合っていた。


「本当にもう傷は大丈夫?」

「はい、一日寝たらすぐに良くなったんで。むしろ、ウェアとか全部用意してもらっちゃってすいません……」

「ううん、私が言い出したことだから気にしないで。それにしても……うん、早乙女くん似合ってるね」

「ありがとうございます。先輩が選んでくれたんですよね。サイズもぴったりで、動きやすいです」

「良かった。サイズは勘だったけどね、あはは」


 俺が着ているスポーツウェアは確かにぴったりなサイズだった。

 そして着ているこのTシャツも、薄い青色で俺好みだ。

 でも俺が気になるのは、このTシャツのデザイン。

 パッと見た感じだけれど、先輩が着ている物と同じデザインのように見える。

 もしかして、俺と先輩は色違いのTシャツを……つまりペアルック状態なのではないだろうか。


「あ、あの百合先輩……」

「ん、どしたの?」

「……い、いや、やっぱり何でもありません」


 正直かなり気になったが、選んでくれた本人にこんなことを聞けるわけもない。

 もしただの偶然で俺の自意識過剰だとしたら、恥をかくだけだ。

 ここは触れないのが賢明だろう。


「なにー?なんか気になるなぁ」

「す、すいません。本当に大したことじゃないんで」

「そう?それじゃあ、いっちょ登りに行きますかー!とりあえず私がやってみるから、早乙女くんは見ておいてね」

「はい、お願いします」


 目の前の壁を軽く登り始める百合先輩。

 部活でもそうだが、この人は基本的に身体能力が高い。基本スペックが常人離れしていると思う。

 昨日、二人組を軽くのしたときもそうだったけれど、そつなく何でもこなせるタイプに違いなかった。


「おおっ……!」


 気が付けばすいすいと天井近くまで登り、そのまま流れるように地面へと戻ってくる。

 こうやって見ているともしかしたら俺だって簡単に出来るのではないか、なんて思ってしまう。


「ふうっ。とりあえず、こんな感じかな?」

「ゆ、百合先輩……すごいですね」

「ふふっ、ありがとう。それじゃあ早乙女くんもやってみる?」

「はいっ!」


 ここで格好良いところを見せれば、先輩だって少しは俺のことを気になってくれるかもしれない。

 そう意気込んで挑んだ俺の初ボルダリングはーー


「ぐっ……ぐぐっ……!」

「あんまり無理しないで!とりあえず少しずつだよ!ね?」

「す、すいません……」


 まさかの半分も登れないという結果に終わった。

 実際やってみると、思ったよりも視界が狭まるためどの岩を使えばいいのか分からなくなる。

 そしてそんな風にしている内に体力を消耗してしまい、気が付けばジリ貧になってしまうのだ。

 ほんの数回しか挑戦していないにも関わらず、既に俺の身体は悲鳴を上げ始めていた。


「少し休憩しよっか。私も疲れちゃったし」

「そ、そうですね……」


 そんな俺とは対照的に、百合先輩は何度も登頂しているにもかかわらず全く息を乱していなかった。


「な、情けない……」

「いやいや、最初から登れるわけないんだから当然だって!むしろナイスファイトだよ、早乙女くん!」

「あ、ありがとうございます……。でもすごいですね、先輩は。あんなにすいすい登れるなんて」

「まあ休みの日とかに結構一人で来たりしてるからなぁ。でもね、ここまで出来るようになるのに結構苦労したもんだよ?」

「そ、そうなんですか」

「そうだよ!私だって普通の女の子なんだから」


 何でも出来そうな先輩でも結構苦労したということは、それなりに難易度は高いようだ。

 しかしそんなことよりも俺が気になったのは、“一人で来ている”ということだった。

 百合先輩くらいの人気者ならば、休みの日だって色んな人に遊びに誘われているものとばかり思っていたのに。


「まあ、誘ってくれる人はいなくはないんだけどね」

「え?」

「考えてること、声に出てましたけど?」

「ええっ!?」


 心を読まれた、一瞬エスパーかと思ったがどうやら俺が間抜けなだけだったらしい。

 そんな俺の反応が面白かったのか、百合先輩は楽しそうに笑ってくれた。

 ごくたまにやってしまうんだよな、これ。先輩の前では特に気を付けないとな。


「し、失礼なこと言ってすいません……」

「ううん、別に失礼なんかじゃないよ。早乙女くんの言う通り、誘ってくれる人はいるんだけどね……なんだか気が乗らなくて。本音の自分でいられないんだよね、学校でも……家でも」


 百合先輩の口調は、どこか寂しそうだった。

 先輩のような人気者には、俺のような日陰者にはない……人気者ならではの悩みがあるということなのだろうか。


「百合先輩……」

「でもね、早乙女くんと話してるときは……素の自分でいられる気がするんだよね」

「そう、なんですか」

「自分でもよく分からないんだけどね。何故か君と話してるとすごく落ち着くの。自分を偽らなくっていいっていうか……うーん」

 

 それは、俺も同じだ。誰からもいじられて、まともに相手にされない。

 そんな俺に唯一ちゃんと接してくれた先輩との時間が、いつの間にか大切なものになっていった。


「だから早乙女くんにならね、私だけの場所。教えてあげてもいいかなって思ったの。ここ、意外と知られてないんだよ?」

「俺も、初めて知りました……」

「でしょ?良かった。この後も、私だけのお気に入りの場所……教えてあげるね?」


 そう言って悪戯に笑う先輩は、とても可愛らしくて。

 ……ああ、やっぱり俺は先輩が好きだ。

 こんな笑顔見せられたら、嫌でも期待してしまうじゃないか。

 今すぐは、無理だ。先輩が望んでいるのは気兼ねしない、今の関係なのだ。

 それにあの告白は、俺たちの中ではなしになっているのだから。

 でもいつか、もっと先輩のことを知れて、そして俺のことを知ってもらえたら……。

 そしたらもう一度、先輩に告白しよう。

 フラれた次の日にそう思うくらい、俺はこの人のことが好きだ。


「……早乙女くん?」

「よしっ、休憩はもう大丈夫です。時間がもったいないですし、どんどん登りましょう」

「オッケー。じゃあ今度はもう少し簡単な方から行こうか?」


 今はまだ無理だと思うけど、それでもいつか先輩に認めてもらえるように。

 そう、この壁を登れるようになるころには、告白を受け入れてもらえるように努力しようと、そう思った。


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