第1章 フラれたはずの先輩に、猛烈にアプローチされるんだが
1-1「そして歯車は動き出す」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それは幸せそうな家族の夢だった。
母親と一緒に俺は、楽しそうにしながら何かの準備をしている。
どうやら今日は何かのお祝い事のようで、まだ小さな俺が一生懸命にお皿を運んでいる。
『英太―、あんまり慌てるとお皿落としちゃうわよー』
『大丈夫―!』
母親に注意されても聞く耳を持たず、俺は急いで準備をしている。
そんな俺を心配しながらも、母親は優しく見守ってくれていた。
でもその顔は、ぼやけていてよく思い出せない。
そもそも今日は何のお祝い事があったんだっけ。
必死に思い出そうとするけれど、答えは出てこない。
『ただいまー!』
『あ、パパだー!!』
『英太、迎えに行ってあげて?』
『はーい!』
風のようにリビングを飛び出して、小さな俺は玄関へと向かう。
――行っちゃ、駄目だ。
直感が、俺にそう教えてくれる。
そうだ、俺は何か大切なことを忘れているんじゃなかったっけ。
慌てて追いかけようとするけれど、まるで石になってしまったように身体は全く動かなかった。
しばらくして、父親がリビングに入ってくる。
顔は母親と同じく、ぼやけていてよくは分からない。
でもその手にはラッピングされた大きなプレゼントを持っていて、やはり今日が特別な日であることを教えてくれる。
その後に続くように、嬉しそうに俺がいた。
そしてその後ろにはーー
『貴方、おかえりなさい。あ、お迎えありがとねーー』
『×××××××××――』
その後ろには……後ろに、はーー
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………ん」
まだぼーっとした意識のまま、ぼんやりと天井を眺める。
どうやら学校から帰ってきて、そのまま寝てしまったらしい。
時計を見るともう家についてから、二時間ほどが経っていた。
身体を起こそうとして、脇腹の痛みを感じる。
そしてさっきまで見ていた夢のせいだろうか。全身が思った以上に怠かった。
「両親、か……」
両親のことを、俺はあまりハッキリと覚えていない。
優しい人たちだったとは、思う。けれど彼らのことを思い出そうとしても、それ以上のことは何も思い出せないのだ。
不幸な事故だったらしい。燃え盛る炎の中で、唯一生き残ったのは俺だけだった。
家族は全員亡くなって、俺は親戚に預けられることになった。
親戚の人たちは優しかったが、腫物のように俺を扱った。
きっとそれは、俺に気を遣ってくれていたからだろう。
でも俺はそんな扱いにうんざりして、高校進学と同時に一人暮らしに踏み切ったのだった。
「はぁ……」
頭を掻きながら、電気ケトルのスイッチをオンにする。
事故の影響なのだろうか、俺は火が苦手だ。
近づこうとすると変な汗が出てくるし、ちょっとでも火を使うとすぐに気分が悪くなる。
だから一人ではこうして、まともに料理も出来ない。
今日は買い置きしてたカップ麺だな、なんて思ってるとチャイムが鳴る。
こんな時間にこの家を訪ねるのは、俺が思いつく限り一人しかいなかった。
「はーい」
「私。開けて」
俺の想像通り、モニター越しには慈美の姿があった。
「あー……悪いんだけどさ、今日は帰ってくれないか」
「……なんで?」
正直、今日は色々なことがあり過ぎて一人になりたかった。
一人で考えなければならないことが、山ほどある。
俺は百合先輩に告白してフラれて。
もうそれだけで一杯一杯なのに、あんなことまで起きれば誰だってそう思うはずだ。
「えっと……ちょっとさ、一人になりたいんだよ」
「ご飯は?出来ないでしょ、料理」
「今日は買い置きのカップ麺で何とかするから、大丈夫だよ」
「でもーー」
「慈美もさ、たまには早く家に帰ってやれよ?俺は大丈夫だからさ」
慈美の話を遮って、俺はなんとか彼女を帰らせようとする。
これ以上慈美と話していると、ぼろを出してしまいそうで怖かった。
慈美は幼馴染だからだろうか、俺の嘘をすぐに見抜く。
でも今日のことを慈美に話すには、まだ心の準備が出来ていない。
だから今日は慈美に会ってはいけない。
今慈美に直接会ったら、心に溜め込んでいる何かをぶつけてしまいそうで、怖かった。
「…………分かった」
少し間を置いてから、慈美はしぶしぶ頷いた。
モニター画面越しの表情は納得はしていないようだったけれど、俺の意思を尊重してくれたようだ。
「ありがとな、慈美」
「ううん。でも待つのは今日だけ。明日は晩御飯作るから、その時には教えて」
「慈美――」
「教えて」
「……ああ、分かった。また明日な」
「うん、また明日。ゆっくり休んでね、英太」
それだけ言って、慈美の姿はなくなった。
やはり慈美は何かを感じ取っているようだったが、俺のことを考えて引いてくれたようだ。
本当に俺にはもったいないくらいの、出来た幼馴染。
だけどこれだけは、慈美の手を借りるわけにはいかない。
俺自身で向き合わなければならないことなんだ。
「明日、か……」
電気ケトルのお湯が沸いた合図で、我に返って慌ててリビングに戻る。
カップ麺にお湯を入れながら、カレンダーをじっと見つめる。
明日は文化祭の振り替え休日。
そして俺の憧れ、百合先輩と初めて出掛ける日。
「俺はどうすればいいんだろ……」
俺は確かに今日、先輩にフラれたはずだった。
でも何故か今はこうして、先輩と二人きりで出掛ける約束をしている。
しかもそれを言ったのは百合先輩だ。
優しい先輩のことだ、もしかしたら俺を慰めようとしてくれているのではないか。
というか、よく考えればそれしかありえない訳で。
「ふぅ……」
先輩は言った、俺の告白をなしにしてほしいと。
それはつまり、これからも友達でいてくださいということの言い換えだ。
だから先輩は落ち込んでいる俺を励まそうと、俺を誘ってくれたに違いない。
「先輩の連絡先、教えてもらっちゃったな……」
メッセの名前には確かに“唯野百合”と、そう書いてある。
俺はまだ、心のどこかで期待している。
あり得るわけないって分かっているのに、もしかしたら先輩と恋人同士になれないかって。
そんなあり得ない妄想を、止められずにいる。
「…………あー!本当に女々しいなぁ、俺は!」
邪念を払うため、日課の筋トレを無我夢中でやることにした。
いつものように腕耐え伏せの構えを取って、自己研鑽に励む。
帰ってくるまで痛んでいた痣は、既に痛くなかった。
どうやら見た目ほど大した怪我ではないらしい。
『――明日、どこか出かけない?そ、その……出来れば、二人きりで』
「…………くっそ」
フラれたはずなのに、俺はまだこうして先輩を想い続けている。
いや、正確にはあの告白はなしになったわけだからフラれてはいないのだろうが。
とにかく、なんだかんだ言って百合先輩と出掛けられることを、俺は楽しみにしてしまっているのだ。
「くっ!もう1セットだ……!」
同情でも哀れみでも、嬉しいものは嬉しいんだから仕方がない。
初めて会った4月のあの日からずっと、片思いし続けていた百合先輩とついに遊びに行けるのだから。
それにこの先もこうして仲良くさせてもらえることは、決して悪いことじゃない。
恋人になることだけが、男女の付き合いってわけじゃないんだから。
「…………あ、カップ麺」
筋トレで夢中になっていて放置していたカップ麺を慌てて食べながら、俺は改めて自分の往生際の悪さを認識するのだった。
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