0-5「やけくそ、そしてはじまり」
「はぁはぁ……!」
しばらく走り続けて、俺は校舎裏に辿り着いた。
切れた息を整えながら、たまらず非常階段に座り込む。
さっきまでなんともなかった痣がじわじわと痛み出して、これ以上走れる気がしなかった。
「……終わった」
俺はフラれた。でもそれだけじゃない。
多分……いや確実に、百合先輩を傷付けた。
きっと俺たちはもう元の関係には戻れない。
少なくとも先輩の苦しそうな顔を見る限り、これからも仲良くするのは難しそうだった。
「……はは」
悲しかったけれど、涙は出なかった。
この結果はある程度予想していたし、涙が出るくらい努力したわけでもない。
ただ心にぽっかりと空いた穴は、しばらくは塞がりそうにはなかった。
『――お知らせします。まもなく陵南祭、女装コンテストが始まります。参加する方は、体育館脇にあるテントまでお越しください。繰り返しますーー』
「――英太っ!」
「……慈美」
校内アナウンスが流れるのと、慈美が来るのは同時だった。
俺と同じように息を切らしながら、慈美は俺に駆け寄ってきてくれる。
おそらくさっきすれ違ったときに、俺の異変を感じ取って追いかけて来たのだろう。
「はぁはぁ……英太、どうしたの!?なんか様子がおかしかったけど……」
「……別に、なんでもないよ」
「そんなわけないでしょ。今だって、すごい辛そうな顔してる」
「気のせいだって……」
「嘘。じゃあ何で、顔背けようとするの?」
「それは……」
俺たちは腐れ縁で、そして幼馴染だ。だから慈美には隠し通せるわけなんてなかった。
でも説明なんて、情けなくて出来るはずもない。
「もしかして……」
「……なんだよ」
「――告白したの?唯野先輩に」
慈美の声は、俺が想像していたものよりもずっと冷たかった。
思わず顔を上げると、目の前には慈美が立っている。そしてその目線は、まるで氷のように冷たかった。
今まで慈美のこんな目を、俺は見たことがなかった。一体どうしたのだというのだろう。
「め、慈美……?」
「ふーん……。告白したんだ。あんなに止めといた方が良いって、そう言ったのにね」
ゆっくりと俺に言い聞かせるよう喋る慈美は、まるで俺の知っている幼馴染じゃないみたいだ。
得体の知れない恐怖が俺に襲い掛かってくる。
「あ、あのさーー」
「あー!こんなところにいた!!」
「早乙女くん!探したんだよー!早くしないと女装コンテストの締め切り!終わっちゃうから!」
「あ……」
そんな空気を打ち破ったのは、クラスメイトの女子たちだった。
どうやらさっきアナウンスしていた女装コンテストのために、俺を探してくれていたらしい。
普段なら厄介この上ないのだが、今だけは助かった。
しかしそんな俺とクラスメイトを遮るように、慈美が立ち塞がる。
「悪いけど、今英太は私と話してるから」
「はぁー?アンタ誰?」
「あー、コイツあれだよ!隣のクラスの“地味子”!」
「ああ!どうりで根暗みたいな雰囲気出してると思ったー!」
「うるさいから。さっさとどこかいってくれない?」
「はぁ!?アンタウザいんですけど!」
きっと慈美は俺のために、クラスメイトを追い払おうとしてくれているに違いない。
確かに昨日、俺は慈美にそう言ったし今だって別に女装をしたわけじゃない。
けれど、俺はもうこれ以上誰かに迷惑をかけたくはなかった。
俺のせいで慈美が悪く言われるのも、クラスメイトに迷惑を掛けるのも今の俺には耐えられなかった。
百合先輩のあの辛そうな表情を思い出すたびに、俺の心は軋んでいく。
もうこんな思い、したくないんだ。俺はそっと慈美の肩を掴む。
「慈美、ありがとう。でも、もう大丈夫だから」
「……英太?」
「探させちゃってゴメン。今から行くから」
「……まあうちらは別にそれでいいけど」
「英太!?」
「慈美、大丈夫だから」
「……分かった。英太が、そういうなら」
俺の強い口調に、渋々慈美は折れてくれた。
それはクラスメイトたちも同様のようで、そのまま俺を体育館脇まで案内してくれる。
正直、もうどうでも良いという気持ちもあった。
でも今はぼーっとしているよりも、何かをしていた方が気が晴れると思ったんだ。
『それではお待たせしました!今から陵南祭名物、女装コンテストを開催します!まずはフレッシュな一年の部から!』
薄暗い控室で、俺はクラスメイトからメイクを施されていた。
エントリーがギリギリだったこともあり、俺の順番は最後のようだ。
他の出場者が壇上に上がる中、クラスメイトたちが手分けして準備を進めてくれている。
「あー、そこアイシャドウ取ってーー」
「もう少し淡い方がーー」
流石はクラスの中でもカースト上位にいる陽キャ女子たち。
テキパキと次々と俺にメイクを施す様は、まるで名医のオペでも見ているかのようだった。
慈美がメイクをするところなんて一度も見たことない俺からすれば、この光景は新鮮そのものだ。
そしてものの10分もしない内に、どうやら完成したようで声を掛けられる。
「……やば」
「うん、マジでやば……」
「えっと……」
何故か俺の顔を見て、放心するクラスメイトたち。
一体何がそんなにヤバいのかよく分からない。やはり失敗だったのだろうか。
さっきから壇上では歓声とも悲鳴とも取れる声が響いているし、大体女装なんかして似合う男子なんているはずがない。
「すいませーん、次の方!早乙女さん、お願いしまーす!」
「はーい!じゃあ行ってくる。えーと、ありがとな」
「う、うん……」
「が、頑張って……」
本当は鏡を見て、どれくらい酷いのか確認したかったがどうやら時間はないようだった。
あらかじめ彼女たちが用意してくれた、俗に言うゆるふわコーデに身を包み、駆け足で壇上へと上がって行く。
『それではエントリーナンバー6!一年の部、最後のトリを飾るのは早乙女英太くんだー!!テーマは休日のゆるふわ系女子!さあ、いらっしゃーい!!』
テンション高めのアナウンスに促されて、おずおずと壇上に上がる。
体育館はかなりの人の数で溢れていた。
きっと皆が面白半分でこのコンテストを見に来たに違いない。
俺が反対の立場なら、間違いなく顔くらいは出しているだろうしな。
転ばないように中央のマイクスタンドまで行ってから、とりあえず自己紹介をする。
「えっと……一年の早乙女です。よろしくお願いします」
会場がしんと静まり返ったのが、ここからでもよく分かった。
薄暗いのでよく見えないが、皆が俺のことをまじまじと見つめているようだ。
もしここに百合先輩もいたら、こんな俺を見て少しは笑ってくれるのだろうか。
「……っ」
先輩のことを思うと心臓が締め付けられるので、無心になる。
しかし会場の反応は予想していたよりも、ずっと淡白だった。
舞台袖で聞いている感じだと、もっと盛り上がっていたのだが。
それだけ俺の女装が酷いということなのだろう。
軽く溜息をついて、司会の方を見ると同じように俺を見つめて固まっていた。
いくら何でも皆そんな感じだと、流石に俺も傷付くんだが。
「あ、あのさーー」
『……す』
「す?」
『素晴らしいっ!!!美少女爆誕っ!!!!』
「…………は?」
『女装とは思えないっ!!!!これは陵南高校始まって以来の美少女だぁー!!!!』
「「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」」
それは突然だった。司会のうるさすぎる叫び声の直後、会場が爆発した。
歓声や悲鳴で体育館が埋め尽くされる。怖いくらいの熱気だった。
「えと……は?」
『お名前はっ!?』
「あ、えと……早乙女――」
『早乙女ちゃん!!!なんて可愛らしい名前!!可愛すぎるっ!!!!!』
「あんな子ウチの学年にいた!?」
「男でもいいっ!!付き合ってくれぇ!!!!」
「早乙女ちゃぁぁぁあん!!!」
もう誰も俺の話なんて聞いていないようだった。会場は異常にヒートアップしていく。
どうやら一瞬静まり返ったのは、俺の女装が酷すぎるせいではなく……むしろその逆だったらしい。
しかしここまで盛り上がるのは異常だった。
先ほどから耳につく野太い声に身の危険を感じた俺は、急いで舞台袖に駆け出す。
一刻も早くここから逃げた方が良さそうだと、本能的に感じていた。
『あー!!待って愛しの天使ちゃーん!!!』
「ふ、ふざけんなっ……!」
そのまま体育館を抜け出して、一心不乱で走り出す。
脇腹の傷が痛み出したが、構わず無我夢中で走った。
「はぁはぁ……!」
幸い……というか当たり前かもしれないが、誰も追ってはこないようだった。流石に考えすぎだったようだ。
いつの間にか中庭まで来ていたようで、とりあえず息を整えながら空いているベンチに腰掛ける。
「ふぅ。今日は散々だな……」
いつの間にか空は夕焼けに染まっていた。
今はまだ、百合先輩のことを考えると心が痛む。
けれどそれはきっと時間が解決してくれるはずで。
いつかまた、先輩と前のように笑って話し合うことが出来たら……。
「あ……」
丁度夕焼けが反射している窓を見つけて、ゆっくりと近付いていく。
そういえば結局俺は今、自分がどんな風に女装しているのかを知らない。
あれだけ会場を盛り上げたのだからそれなりに可愛いはずだ。
そう思ってそっと窓を覗くとーー
「…………マ、マジか」
そこには想像を絶するほどの美少女が映っていた。
大きな目に、少し幼いが整った顔立ち。銀髪のウィッグもよく似合っている。
自分で言うのもアレだが、そこら辺の女子には負けないくらいの美少女だった。
これは会場も盛り上がるわけで、自分がこんなにもメイク映えする顔だということを俺は初めて知った。
そもそもメイクなんてしたことがないので、そんなこと知るはずもないのだが。
「…………早乙女くん?」
「っ!?」
急に声を掛けられて振り向くと、そこには今一番会いたくない人がいた。
なんで彼女がここにいるのか、分からなくて頭が真っ白になる。
「やっぱり、ここにいたんだね」
「……百合先輩」
それは間違いなく、俺がついさっき失恋した相手……百合先輩だった。
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