0-4「その関係が、終わるとき」

 目が覚めると、真っ白な天井が見えた。

 窓からは日の光が差し込んできて、少し眩しい。


「……っ」


 身体を起こすと、腹部に鈍い痛みが走った。

 シャツをめくると結構な痣が出来ていて、さっきの出来事は決して夢じゃかったことを俺に教えてくれる。


「あ、早乙女くん!もう大丈夫なの!?」

「百合先輩……」


 カーテンを開けて、百合先輩が駆け寄ってくれた。

 いつもより近い先輩との距離に、うるさいくらいに自分の心臓が跳ね上がるのを感じる。


「痣、結構すごいね……。ごめんね、私のせいで」


 自分は全く悪くないのに、百合先輩は本当に申し訳なさそうに謝った。

 俺がもっとしっかりしていたら、先輩にこんな顔させることもなかった。

 そう思うと、より一層自分の非力さが情けなかった。


「先輩のせいなんかじゃ、ないです。俺がもっとちゃんとしていれば……本当に情けなくて、すいません」

「……私は、嬉しかったけどな」


 でもそんな弱弱しい俺を、百合先輩は否定しなかった。

 優しい笑みを浮かべて、俺の手を握ってくれる。


「もし同情で言っているんだったらーー」

「そうじゃないよ?本当に、早乙女くんが来てくれて嬉しかった。もし貴方が来てくれなかったらって……だから本当に嬉しかったよ」

「そんなこと、ないですよ。だって先輩はあの二人を瞬殺してたじゃないですか」

「それはね、早乙女くんがいてくれたからだよ?」

「……俺が、ですか」


 百合先輩の言っていることがよく分からない。

 あんなに簡単に男二人を倒せる先輩に、俺が必要なわけがないのだから。


「早乙女くんが助けに来てくれたときね、私も頑張らなくちゃって思えたの。貴方が殴られたとき、本当に悲しくて、辛かった。気が付いたら、あの人たちを投げ飛ばしちゃってた。きっと一人だったら怖くて、あのまま何も出来なかったよ……」

「百合先輩……」

「私だって、一応女の子なんだよ?それとも早乙女くんには、私が女の子には見えないのかな?」

「そ、そんなこと!……そんなこと、ありません」

「ふふっ、ありがと」


 百合先輩の言葉を必死に否定する俺を見て、先輩は笑ってくれた。

 正直、先輩の言葉を全部信じられるほど俺は自分に自信がない。

 けれど先輩のその言葉は、とても温かかった。

 やはり百合先輩は俺の憧れの人で、あの時情けなくても逃げなくて良かったと思う。

 そういう風に思わせてくれる人だった。


「あ、それとあの二人組はもう先生たちに引き渡してるから」

「そうですか……」

「早乙女くんは殴られたわけだし、もし処罰したいなら私から先生に言っておくけど……」

「いや、もういいです。あの人たちも魔が差しただけだと思いますし。それに」

「それに?」

「俺の仇は、もう百合先輩が取ってくれましたから」

「あはは、確かにそれはそうかもね。じゃあ、もう少し強く投げ飛ばしておけばよかったかな?」


 そうやって悪戯っぽく笑う百合先輩は、本当に輝いていた。

 ちらっと周りを見渡すと、他に人の気配はなさそうだ。

 つまり今俺は、百合先輩と二人っきりということになる。

 きっとこの機会を逃せばもう、今日彼女とこうして二人っきりになれるチャンスはないだろう。

 告白するならば今、このタイミングしかない。

 そう思った瞬間、急に心臓が高鳴るのを感じる。

 そんな俺に気が付くことなく、百合先輩は明るい口調で話を続けていた。

 一度深呼吸をして、昨日必死に考えた台詞を思い出そうとする……が、全く思い出せない。

 どうやら一度気を失ったことで、全部頭の中から飛んでしまったらしい。


「――あ、じゃあそろそろ私は」

「百合先輩」

「ん、どしたの?急に改まって」


 きょとんとした顔をした百合先輩を、俺はしっかりと見据える。

 もう覚悟を決めるしかない。

 先輩は、俺のことちゃんと見てくれる数少ない人の一人だ。

 もし断られたら、もうこうやって先輩と話すことも出来なくなるのかもしれない。

 それは本当に辛いことだ。

 だけど俺は先輩のことが好きだ。もうそれを隠すことなんて、出来ない。

 だから例えこの関係が終わってしまったとしても、俺はーー


「――好きです」

「…………え?」

「俺、百合先輩のことが……好きです。俺と、付き合ってくれませんか」


 ――言った。ついに言った。

 本当は徹夜して、色々なこと考えていて言うつもりだった。

 でもいざ先輩を目の前にすると、そんな余裕は全くなかった。


「……………………」


 しばらく、本当にどれくらいの時間だったのだろうか。

 俺と先輩しかいない保健室で、時計の針の音だけが響いている。

 先輩は驚いた表情をしてから、ずっと俯いたまま何も応えないでいる。

 ただ時間だけが過ぎていって、俺の心臓はもう張り裂けそうになっていた。


「………………あの、百合先輩」

「早乙女くん」


 いよいよ俺が痺れを切らしたとき、ようやく百合先輩は口を開いた。

 そして顔を上げた先輩の表情を見たとき、俺は全てを悟った。


「……ごめんなさい」


 それは、本当に悲しそうな表情だった。

 俺はフラれるとしても、もっとあっさりとした……フランクな感じの返事が来ると勝手に思っていた。

 だから本当に辛そうな先輩の表情を見て、自分がしてしまった事の重大さに今更ながら気が付く。


「嬉しかった。早乙女くんに告白されて、本当に嬉しかった」

「……はい」

「でも……本当にごめんなさい。貴方とお付き合いすることは、出来ない」

「……理由を、教えてくれませんか」


 本当はそんなこと聞くべきじゃないと思った。

 でもどうしても自分を納得させたくて、ついそんな質問をしてしまう。

 それが先輩を困らせるだけだってことは、分かっているはずなのに。

 それでも俺は聞かずにはいられなかった。


「それは………………ごめん、理由は言えない。ごめんね。ほんとに、ごめん」


 百合先輩は、とても辛そうな顔をしていた。

 これ以上先輩を苦しめることなんて、俺には出来ない。


「すいません。ありがとうございました」

「あ、早乙女くん!?」


 俺が先輩を苦しめている、その事実に耐えられなくて俺はその場から逃げ出した。

 先輩が後ろで何か言っているようだったが、もう俺にはその声は届かなかった。

 とにかくその場から逃げ出さないと、俺はもっと先輩を傷付けてしまう。

 そう思うと今はただ走るしかなかった。


「あ、英太――」


 途中で、おそらくずっと俺を探していたであろう慈美とすれ違った。

 けれど、今は構ってなんていられなかった。俺は人で賑わう校舎を、ただただ走り続ける。

 誰にも見つからない場所で、今は一人になりたかった。


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