0-2「小山内慈美は知っている・1」
夜、俺はまだ悩んでいた。もう今週末の文化祭まで時間がない。
百合先輩に告白する、と決めたもののどうやって告白するか。
そもそも上手くいくはずなんてないのに、今の関係を壊してまでする必要があるのか。
相変わらず、そんなことをずっと考えていた。
「相変わらず辛気臭い顔してるね、英太は」
紺色のシンプルなエプロン姿のまま、小山内慈美(おさないめぐみ)がリビングに入ってくる。
顔までかかる程の真っ黒な黒髪が印象的な、俺の幼馴染。
中学校まではクラスも一緒で、高校ではクラス自体は別になってしまったが同じ県立陵南高校に通っている。
小さいころから俺のことを何かと気に掛けてくれる、唯一の理解者と言ってもいい。
「うるさいな……。慈美には分からないんだよ、俺の気持ちなんて」
「はいはい……どうせ唯野先輩のことでしょ」
「え、なんで分かったんだよ」
「顔に書いてあるから」
少し悪戯な笑みを浮かべて、慈美は慣れた手つきで夕飯の準備をしていく。
「……ったく、慈美には敵わないな」
「っていうかさ、英太が分かりやすいだけだよ。大体、まだ諦めてないんだ。唯野先輩のこと」
「そりゃあそうだろ。まだ告白だってしてないのに、どうして諦めるんだよ」
「私は止めておいた方が、懸命だと思うけどな」
俺も慈美を手伝いつつ話を変えるために、いつも通り気になっていることを聞くことにした。
「なぁ」
「ん?どしたの?」
「慈美、家のことはいいのかよ」
その瞬間、慈美の動きが止まる。
俺だって正直、一人暮らしにはまだ慣れていないしこうしてほぼ毎日慈美が来てくれるのは助かる。
中学まで親戚の家で暮らしていた俺からすれば、洗濯や掃除はともかく料理はからっきしなわけだ。
だからこうして料理上手な幼馴染が来てくれるのは嬉しいし、ありがたい。
今日だって目の前に置かれているビーフシチューは、さっきから良い匂いを放っていて俺の食欲をそそる。
「……別に、英太が気にすることじゃないよ」
「けどなぁ」
高校入学してもう8か月ほど経った。
その間、ほぼ毎日慈美は俺のためにこうして晩御飯を作りに来てくれている。
確かに俺たちは幼馴染だし、俺だって慈美の親とは顔見知りだ。
だけど、流石にこうも毎日娘が知り合いとはいえ、一人暮らしの男子の家に入り浸るっていうのはどうなのだろうか。
「じゃあ、英太は一人で暮らせるの?料理は?私より上手く作れるの?」
「そ、それは……」
「無理だよね?」
そんな俺の心配を、慈美はばっさりと切り捨てる。こいつは昔からそうだ。
一度こうと決めたら、意地でも自分の信念を曲げようとしない。
大人しそうに見えて、頑固者なんだよな。
これ以上の説得は無理そうなので、今回も俺は素直に諦めることにした。
「……降参だよ。俺の負けだ。でもさ、慈美だって自分の時間とか欲しいだろ。俺ばっかに時間使ってるのは悪いなって思っただけだよ」
「英太が気にすることじゃないからね。私はやりたくて、こうしているんだから。正直、高校入っても英太以外に仲良くできそうな人、見つからないし……」
前髪に隠れて、慈美がどんな表情をしているのか俺には分からない。
けれど隣のクラスで、慈美がなんて呼ばれているのかを俺は知っている。
暗くて何を考えているのか分からない、根暗な陰キャ女子。
名前の“慈美”の読みをもじって“じみ子”なんて呼ばれていじられていることを。
本当は俺だって助けてやりたい。
数少ない親友で、幼馴染の慈美を悪く言うやつを黙らせてやりたい。
でも俺にはそんな力も度胸もなくて。
自分がいかに本当の“漢”とは似ても似つかないか、慈美の悪口を学校で聞くたびに思い知るのだ。
「あ、あのさ慈美――」
「ね、だからこれからも来ていいでしょ。英太との時間が、今の私には大切なんだから。英太だって、そうでしょ」
慈美の半ば強制するような圧に、俺はただ頷くしかなかった。
慈美のお父さんお母さん、安心してください。
俺には心に決めた人がいますから。だから娘さんには絶対に手は出さないですからね。
「……ああ、勿論さ。俺も友達全くいないしな。あーあ、もう学校とか行きたくねえなぁ」
「ふふ、そういえば聞いたよ?英太、女装コンテスト出るらしいね」
「もう広まってるのかよ……。あー、絶対出ないからなー!当日はボイコットしてやる!午後には学校なんか出て、サボってやるからな……!」
「あ、いいねそれ!私も連れて行ってよ」
慈美の作ってくれたビーフシチューを食べながら、俺たちの会話は続いていく。
俺に出来るのは、こうやって幼馴染の居場所を作ってやることくらいだ。
でもこれじゃ駄目だってことは、俺だって分かっている。
だから俺は百合先輩に告白するんだ。
それをきっかけにして、今度こそ俺は“漢らしい”自分に生まれ変わるんだ。
――まさかこの時の俺の決意が、結果的に俺の人生を大きく変えることになってしまうなんて……この時の俺には想像も付かなかった。
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