第2話 02

 堤ヶ岡飛行場に降り立ったのは、出発から一時間ほど経った後だった。


 玉幡から前橋へのルートは直線距離だとほんの100キロメートルほどだが、途中に標高2475メートルの甲武信ヶ岳こぶしがたけが立ち塞がっている。

 ステラでも充分に飛び越えられる高さだが、今回は安全策を採って、八ヶ岳やつがたけと甲武信ヶ岳のあいだを飛んで群馬に抜けるという少し遠回りのルートを選択していた。


 事前に組合から飛行申請が出されているためか、着陸したステラは迷わずターミナルビル前のスポットへと誘導される。乗降に便利なターミナルビル前は、どこの飛行場でも一番の特等席だ。


 プロペラを止めたステラに、スーツの上から反射ベストを羽織った飛行場職員が歩み寄ってきた。

 機内を覗き込んで、そこに座っている二人の歳若さに面食らったらしい。一瞬だけ目を見開いた職員だったが、すぐに顔を綻ばせて言った。


「ようこそ、堤ヶ岡へ! お二人が天羽夏海さんと天羽秋穂さんですね?」

「はい。あたしが夏海で、後ろのが妹の秋穂。よろしくお願いします」

「いやー、まさかこんなにお若い方とは思ってなくて。ちょっとびっくりしました」


 おそらく二十代半ばという感じの若い職員は、そう言って頭の後ろを掻いている。

 これから行く先々でこんな反応されるのかな、と少しばかり人見知りなところがある秋穂はげんなりしてしまう。


「玉幡飛行業組合から話は聞いてます。次の目的地を決めるサイコロ振りと、物々交換。先にどちらをされますか?」

「んー……じゃあ……」

「あ、先にサイコロのほうからで」


 人差し指を唇に当てて考え込む夏海に先んじて、秋穂は言った。


「先に目的地を決めておいた方が、最低限必要なだけの燃料搭載量が判るから、どれくらいの重さの物なら許容範囲か掴んだ上で物々交換できるでしょ。夏ねえ、ここからはその順番でいこう」

「了解りょーかい。んじゃ、そういう事でお願いします」

「分かりました。では……」


 職員は、脇に抱えていたポーチから封筒を取り出して掲げてみせた。


「この中にサイコロの目の数、つまり六カ所の目的地の飛行場名が書かれているメモが入ってます。今からサイコロを振っていただき、僕が封筒を開封して出た数字の場所を読み上げますので、そちらを次の目的地として飛行準備を整えてください。それにともなう必要な物資があれば、何でも申しつけていただいて結構です。よろしいですね?」

「了解です!」


 夏海は地面に降りると、フライトジャケットのポケットから小指の先よりもまだ小さなサイコロをつまみ出した。まるで壺振り博徒よろしく、芝居がかった仕草で構える。

 秋穂としては祈るより他にない。両手の指をしっかりと組み、近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ近いところ……とひたすら念を送り続ける。


「──ていッ!」


 夏海の指からサイコロが離れた。

 山なりに宙を飛んで地面に落ちたサイコロは、てんてんと音立てて向こうへと転がっていく。その後を追いかける夏海の背中はどこかはしゃいでいるように見えて、それが秋穂にはもどかしくて仕方がない。


 出た目は──三。


「三、ですね。えー……」


 封筒からメモを取り出しながら、職員はだららららららららら……と声でドラムロールを入れている。いや、そういう演出いいから。

 人も殺せそうなほど剣呑な視線を送る秋穂の前で、職員は一息にメモを開いた。


「──だだん! お二人の次の目的地は……秋田県の明天地みょうでんじ飛行場、です!!」


 フッ──と秋穂の意識が遠のきかける。

 いや、待て待て。これはある意味でベターだったのかも知れない。

 何しろ、目的地の候補を決めているのはあの殿堂会の老人たちなのだ。もしかしたら残りの五カ所には北海道の稚内とか、沖縄の宮古島なんて地の果てまでも含まれていたかも知れない。

 そんなとこに航続距離の短いステラで行かされることになったら、給油のために何度も中継地に降りなければならず、たった一回の飛行だけで二日間の日程が終わってしまっただろう。


 それに較べたら秋田なんてここからの距離は三分の一で済むし、ステラでも三、四時間も飛べば辿り着ける場所だ。目と鼻の先って訳じゃないけれど、玉幡まで半日もあれば帰ることができる。

 要はこれを最大進出点として、その線から内側を中心にまわっていくことができれば、月曜までずれ込むことはおそらくない。はずだ。


 ステラの同乗席に座ったまま悶々とそんなことを考えている秋穂を尻目に、夏海はこれまで一度も聞いたことがない地名に首を傾げている。


「んー? みょうでんじ、ってどこ?」

「秋田市から南東にずっと行ったとこ。奥羽山脈の西側の麓にある飛行場だよ」

「秋田……東北のほう?」


 ──そこからかい。

 日本地図がまったく頭に入っていない次姉に、思わず軽い目眩を起こしてしまう。パイロットどころか高校生になれたこと自体が奇跡だったんじゃないだろうか。


「とりあえず明天地までの飛行ルートの選定と飛行申請はこっちでやっとくから、そのあいだに夏ねえは〝わらしべ任務〟を進めといて。こんな量の味噌、さっさと交換しなきゃいつまで経っても無くならないよ」

「ほいほい。交換してもらう物は何でもいいの?」


 夏海の問いに、頭の中でここから明天地飛行場までのだいたいの飛行経路を思い浮かべる。


 堤ヶ岡から明天地までは、直線距離にしてざっと400キロメートルほど。

 しかし、このルートだと奥羽山脈の稜線をひたすらたどっていくことになるため、巡航高度が低いステラだと乱気流に巻き込まれる恐れがある。


 そこから考えて、若干遠回りにはなるが北の越後平野に抜け、日本海沿いに北上していくのが気流も安定していて最も安全なルートになるだろう。

 そのために増える距離は、多くてプラス100キロメートルってところか。


「ステラの航続距離は750キロメートルだから、ここから明天地だと燃料もかなり積み込まなきゃならないからね。それを含めるとそんなに重い物は積めないし、できる限り軽くて小さい物がいいかな」

「分かった。んじゃま、ちょっくら行ってきますか。あとはよろしくー」


 そう言って、夏海は職員と一緒にターミナルビルの中へと入っていく。

 その背中を見送ってから、秋穂は後ろの席に鎮座している味噌の大袋をうんざりといった顔で眺めた。


「……夏ねえのことだから、こんなバカみたいな量の味噌を一度で捌けるなんて思ってないけどさ……」


 どうせほとんど減ることはないだろうから、このぶんの重量も計算に入れておかなければ。


 秋穂は溜息をついて、離陸重量の計算を始める。

 正確な飛行ルートを割り出すには、後で飛行場の事務所に行って途中の気象情報も仕入れておかなければならない。

 出発までに済ませておく作業は、まだまだ山ほども残されていた。


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